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鳥になりたかった少女7  作者: 葉里ノイ
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第三章『潜』

  第三章 『潜』



「準備はできたか?」

 事情を説明して急いで黒葉を転送したり、違界に行っている間に父親が詮索してきた時のために雪哉に相談したり、紫蕗が急げと言うのでルナはあちこち奔走した。

 黒葉は紫蕗が違界に行く間、色羽の傍にいると約束してくれた。今イタリアからこちらに来るのは危険ではあるが、それを承知で来てくれた。アンジェとヴィオも電話の向こうでハラハラと騒いでいたが、無事にイタリアに帰ることを条件に送り出してくれた。

 椎の義足は問題無く接続できた。ルナが違界に行くと言うと椎もついて行くと言い、灰音は止めたが椎が聞く耳を持たないので渋々自分も行くと言った。ラディは利害の一致とばかりについて行くと言った。城を壊すことが目的ではないので利害は一致していないのだが、細かいことは気にしない大雑把な性格らしい。

 ラディが行くならと案の定モモも行くと言い出したが、ラディが必死に説得を試みた。最終的に天利が引き止めて事無きを得たが、ラディは既に疲れ切った顔で天利に何度も頭を下げた。

 宰緒は勿論、留守番だ。紫蕗が急ぎ仕上げた頭の装置を未夜に預ける役を引き受けた。紫蕗の作った装置はリヴルが作ったという小型装置より大きいが、普段の両耳タイプではなく片耳で装着できるよう改良されていた。紫蕗は本当に、思考を形にするのが上手い。

 もしかしたら雪哉も来るのではとほんの少し思ったりもしたが、申し訳なさそうな顔をして見送るだけだった。違界で地雷に吹き飛ばされた稔の痕跡を何か持ち帰ることができればと考えもしたようだが、花菜(かな)を一人残して行く方が躊躇われたらしい。偶々一緒にいた拓真(たくま)が、雪哉が何か無茶をしようとしたら止める係を勝手に買って出ていたが、無茶しねぇ、と雪哉に叩かれていた。拓真の両親は違界出身だ。何かあれば力になってくれるだろう。

 急がなければリヴルの足取りがつかめなくなるので急ぐしかないが、多少回復はしたが紫蕗の体調は万全ではない。目の方は大分良くなり、離れて立っても顔が識別できるようになったが、まだ毒の調子が戻らず、幾分良くなったとは言え体はまだ重いようだ。できるだけ戦闘は避けた方が良い。ベッドから下りて軽くストレッチしているが、時折小さく首を傾げている。まだ思うように動いていない。片目では視界が狭くなるので、眼帯は外している。視力が回復しきらない内は態々不利を負う必要はない。耿々と目立つ紅い瞳は違界でも目立つが、気にしていられない。

 城の中のことは雪哉から聞いた。以前千佳からそこで撮影した写真を見せてもらった時にも幾らか聞いたが、今回は道順だ。司から聞いた城の作りと抜け穴の位置、そして一面白いコア内部の経路。記憶力の良い雪哉から、彼が通った道程だけではあるが聞き出し、頭の装置に記録させた。

 それでも外周に地雷原や見張りの人間がいる中でどうやって無事に城の中に侵入するのか、ルナには考えがつかなかった。前回のように戦闘は避けられないのではないかと、紫蕗の体を案ずる。

「紫蕗、どうやって城の中に入るんだ? 前みたいに外で戦えば、騒ぎになると思うけど……」

 この当然の質問に、紫蕗は装置の調子を見ながらけろりと言った。

「城に入るまでのことは気にしなくていい。俺が何とかする」

「何とかって……その体で?」

「少し害毒の血を使うが、気にすることじゃない」

「血を使うなら余計に心配なんだけど」

 徒でさえ毒の足りていない体で、更に血を使えば、また倒れてしまう。

「安心しろ。入る前に倒れるようなへまはしない」

 いつも通りの、この自信。少しくらい分けてもらいたいものだ。でもこの自信が今は心配だ。虚勢でなければ良いのだが。焦っている、とも見える。

「ルナ、椎、灰音、そこの男。これを足に付けておけ」

 言いつつ輪になっている華奢な装置をそれぞれに放り投げた。

「オレはラディだ」

 名前を呼んでもらえなかったラディは不満げに名乗りながら、素直に足輪を装着した。

「地雷を感知する装置だ」

「何! 助かる!」

 何の装置か知らずに装着したラディは喜んで拳を握った。

 倣ってルナも足首に装着し、椎と灰音も足輪を嵌めた。灰音は二度目の装着だ。

 準備は調い、いよいよ違界へ転送する。ルナは緊張で喉が渇きそうだった。装着したヘッドセットに手を遣り動作を確認する。

「天利、黒葉。後は頼む」

 色羽のことを。

 天利と黒葉は頷く。言われなくとも。

「任せて。色羽ちゃんも他の皆も、この病院にいる内は守るよ」

 モモは行きたそうに険しい顔をしつつも、何とか堪えて手を振った。

 そして五人は、青界からその姿を消した。



 再び視界が開けるとそこは、瓦礫の転がる廃墟の群れだった。絶え間無い不快な雑音、濁った空、ザラザラとした砂っぽい空気――間違いなく違界だ。

「この先が城だ」

 廃墟群の隙間に真っ直ぐ指差す先は視界が悪く、城なんて見えない。

「ここって、どの辺り?」

「城へ向かう最後の廃墟群だ。ここからすぐに閑地に出る」

「まさか、正面突破……?」

 恐る恐る不安をぶつけてみる。正面突破は前回の悲劇のようになるのではと、気が病む。

 心配性な声で、紫蕗は城の方向へ向けていた指を、ぴ、と上に向けた。

「上に行く」

「上? 飛ぶ……のか?」

「いや、建物の上に上がる」

 上に上がれば城は見えるのだろうか。紫蕗の意図がわからず、全員で不思議そうに空を見上げた。

 わからなくとも何か考えはあるのだろうと、黙って紫蕗を信じ従う。散らかった瓦礫を越え、硝子を踏んで廃墟に足を踏み入れる。不快な雑音以外は、しんと鎮まっていた。城に近いこの辺りまで来る者はなかなかいないが、警戒だけは怠らない。

 紫蕗は難無く歩を進め、時折頭の装置に手を遣る。背後にも一瞥し気に懸けている。

「そこまで警戒しなくても、襲ってくる人間はいない」

「わかるのか?」

「ああ」

「その装置って気配もわかるのか……」

「それは装置ではわからないが」

「えっ? じゃあ何で……」

「説明は気が向いたら後でしてやる」

 説明を聞ける気がしなかった。装置ではないなら、長年の勘というものか。ルナには真似できそうになかった。

 椎と灰音とラディは周囲に警戒を向けたままだが、紫蕗の言葉ですぐに解くほど違界生活は短くない。暫く青界にいても、それは無意識に刻み込まれている。

 紫蕗の言う通り誰とも遭遇せず、朽ちて外れた扉から屋上に出る。学校の屋上ほどの高さだが、やはり先は霞んで城は見えない。

 ルナはよく見ようと眼を細め柵に手を掛けて身を乗り出そうとし、錆びて朽ちた柵が千切れ地面に落ちた。慌てて身を引く。ガシャンと大きな音が響いた。

「ご、ごめん」

 想像よりも大きく音が響いたので謝った。大きな音を立ててしまった。これではさすがに誰かが襲ってくる。

 だが紫蕗は気にする素振りなく、自身の頭の装置に手を遣っている。城のある方角を向きながら。

 念のため灰音とラディは周囲を警戒し、建物の下へ目を凝らす。銃声などは聞こえてこない。

「人間が出てきても攻撃しなくていい」

「?」

「俺達は今、城の南側にいる。合図したら左へ走れ。西にあるという抜け穴へ行く」

「最初から西にいるんじゃなくて?」

「俺の力が及ぶ範囲が限られてる」

 力……ここで害毒の力を使うらしい。また紫蕗が倒れてやしないかと不安になる。

「それはわかった……けど、走るって言ってもこの高さじゃ」

 壊れた柵の向こうを覗き込み、一度また下まで下りて走ることを考える。

「ルナはまだ慣れてないのか。誰かルナを担いで壁を下りろ」

「え」

 恐ろしいことを言われた気がした。この建物の壁を、下りる……?

「はいはい! 私がやる!」

 椎が勢いよく挙手した。遣る気に満ちた双眸が爛々と輝いている、違界では当然備わっている能力のようだ。装置の身体強化で、慣れれば誰でもできるが、慣れるまでの一歩目を踏み出すことが難しい。飛ぶわけでも壁に足が貼り付くわけでもないのだから。

 椎に担がれるとは……初めてではないが、女の子に軽々と担がれる複雑な心境は忘れていない。

「始める」

 まるでこれから音楽を奏でる指揮者のように、紫蕗は屋上の端に立ち城に向かって手袋を嵌めた手を翳した。

 何をするのか見守ることしかできないが、皆一様にごくりと唾を呑む。

「――出てこい。人形共」

 左の紅い瞳が彩度の低い世界の中で耿々と輝く。

 感情の籠もらない冷たい声と共に、静かだった廃墟に、何処から湧いてきたのかぞろぞろと人間が現れた。

「!?」

 灰音は反射的に機関銃を形成するが、紫蕗に言われたことを思い出し銃口を引き上げた。――人間が出てきても攻撃しなくていい。本当に攻撃しなくても良いのかと彼の背に視線を刺すが、反応は無い。

 明らかに異常な数だが、このまま放っておけと言うのか。この建物に上ってこられたら厄介だ。

「紫蕗……これ本当に大丈夫なのか!?」

 ぞろぞろと次々出てくる人間達全てが武器を持っていて一斉に襲い掛かってきたらと考えると気が気じゃない。ルナも大鎌を形成するか迷う。

「これからこいつらを城に嗾ける」

「は!?」

「全て俺の支配下にある」

「支配……?」

 害毒の血を使うと言っていたが、今、使っているのか……? 見通しが悪く霞んではっきりとした数はわからないが、十や二十ではないことは確かだ。この人数が全て紫蕗の支配下にあるというのは、一体何をしているんだ。

「俺が何のために積極的に技師の活動をしていたのか――」

「! まさか……全ての装置に害毒の血を!?」

 椎の場合は義足だったが、頭の装置に血を含ませればそれを装着している人間を操れるのか。違界の装置は思考で動くと言う。ならば思考で様々な事が可能な頭の装置を乗っ取れば、その人間を乗っ取れると言うことだ。通常は人間の脳から装置へと思考を伝達するが、今回はその逆、装置から脳への操作だ。

 言わば糸の無い無線のマリオネットだ。

「所有者の思考より、俺の血の方が優先度を高く設定してある」

 何のために。紫蕗はそこまで言わないが、これは恐怖ゆえの身を守る行為だった。リヴルと別れて一人残されたその時から、生きるために装置を作り、殺されないための予防線として害毒の血を注いだ。五歳の子供が生きるために考えた策だった。まさかこんな所で役に立つとは思わなかったが。

「こんなに……血を使って体は大丈夫なのか!?」

「新たに血を使ってるわけじゃない。装置に含ませた血を操ってるだけだ。負担は少ない」

 負担は少ないと言うことは、少しは負担が掛かると言うことだ。意識を切り離して自動で動くように設定を施す。

 ラディも眼下を見下ろし、眉を顰める。こんな纏まった数を違界で見たことがない。何十人いるんだ。

「凄い……が、この先は地雷があるんだぞ? まさかこのまま進ませる気か?」

 わざと踏ませて地雷を作動させて人間を吹っ飛ばすだけなら、そんな惨い作戦もない。

「こいつらの命がどうなっても構わないが、無駄死にはさせない」

「じゃあ、どうする――」

「進行方向の地雷の指揮を全て奪って起爆させる」

「なっ!?」

「爆発したら、走れ」

 言うや否や、手前から順に地雷が爆ぜ、地面が捲れ上がった。爆発の騒音と共に派手に土を撒き散らし、見えない城に向かって進んでいく。

 同時に紫蕗達は西へ走った。

「こんな派手なことしたら、すぐ見つかって殺される!」

 爆音に掻き消されないよう大声を張り上げ、恐る恐るラディは背後を振り返る。

 血に操られた人形達が進行を開始していた。爆発によって地面が抉れ歩きにくそうではあるが、ふとそれに気付いた。抉れた地面の穴が、何も無い閑地で障害物になっていると。これなら城から丸見えで狙われ放題だった閑地で身を隠しながら戦うことが可能だ。

 そのことに気付き、ラディはぽつりと漏らした。

「オレ達、いらないんじゃ……」

 全て紫蕗一人で対処している。一人で充分なのではないか。

 建物の屋上を跳び越え、外壁の突起に足を掛けて下に下りる。自由落下とあまり変わらない速度で下に下りるので、慣れないルナは思わず椎の服を掴んだ。頼ってもらえていると感じ、椎は嬉しくなって速度を上げた。

 建物の陰から地雷原に踏み込み、紫蕗から貰った感知装置のおかげで地雷を踏むことなく難無く進めた。紫蕗が起爆させた地雷の火柱や煙も徐々に霞んでいく。地雷を自由に起爆させることができるのなら停止させることもできるはずだが、紫蕗はそれをしなかった。そのことにルナ達は気付く余裕がなかった。

 その間ルナは恥ずかしながらずっと椎に抱き上げられていた。

「……椎、そろそろ下ろしてくれても」

「平気!」

 そういうことではないのだが、椎はご機嫌で、下ろしてくれなかった。

 紫蕗も病み上がりと言うにはしっかりと走れている。考えているよりは体調が良いようだ。

 城の者は紫蕗の目論見通り人形達に吸い寄せられ、静かに侵入を試みるこちらには気付かない。悟られることもなく城周囲のゴミ山に辿り着き、雪哉の言っていた通りに足場の悪いゴミ山の上へ。

 ゴミ山の上に、わかりにくいが人間が入り込める隙間があった。中を覗くが、暗くて何も見えない。

 椎は漸くルナを下ろし、ルナも下を覗き込む。

 紫蕗は無言のまま人差し指を口に当て、ルナ達を下がらせる。頭の防御展開装置に手を遣りながらゴミ山を覗き、小さな画面を叩き出す。少しの間何やら画面を弄っていたが、すぐに画面を閉じて口を開いた。

「カメラがあった。壊そうかとも思ったが、穏便に画像を差し替えた。もう下りていい」

 指でくるりと小さく円を描くと、光の玉が現れた。腕の装置で出した物なのだろうが、魔法のように見えてルナはつい感嘆の声を漏らしてしまった。

 小さな光の玉が照らすと、ゴミ山の穴は底まで見通せた。足場の悪いゴミの上を足場を探りながら下りると、目前に壁が現れた。汚れた白い壁。城の外壁だ。雪哉の話では、この壁が秘密の抜け穴になっていて、司にしか開けられないらしい。

「どうやって開けるんだ?」

 壁に手を添わせて見ている紫蕗に、何もすることがないルナはきょろきょろとゴミを見回しながら訊いてみた。紫蕗は暫し黙考した後、壁から一歩離れる。

「開けることは可能だが、内部が複雑で時間が掛かる。少し下がれ。壊す」

「こわす……」

 シンプルな答えだった。

「頭が良いのか悪いのかわかんねーな。――っいて!」

 真顔で呟いたラディは脛を蹴られて蹲った。

「こいつ容赦ねぇ……。壊すなら、馬鹿なオレでもできると思っただけで」

「脆い接合部を壊すが、お前には接合部が正確に何処にあるかわかるのか」

「わかりません。馬鹿ですみません」

 紫蕗は手を翳し、糸状の武器を振るった。茹で卵でも切るように、滑らかに壁が切り抜かれた。

「マジでオレ達いらない気がしてきた」

 ここまで全て一人で熟している紫蕗に今後助けなど必要あるのだろうか。せめて足を引っ張ることだけはないようにしたい。

 壁の向こうは薄暗いが、暗闇ではなかった。光の玉は消し、周囲をぐるりと見渡して、罠など無いか確認し踏み込んだ。

「まずここから近い司の部屋に行って情報を得る」

「お、おう」

 いよいよ城の中だ。緊張感が増す。外に好意的な司に直接情報を聞くことを第一目標に、一行は恐る恐る初めて見る城の内部を、白い廊下を進んだ。

 紫蕗の髪が、深い紫紺色から今までで一番の抜けるような白色に変わっていく。


     * * *


 外が妙に騒がしい。

 どう青界を攻めようか考えていたイドは、ぴたりと思考を中断した。

「えェー何なのォ? 折角向こうの世界で遊ぼうと思ったのにィ」

 画面だらけの白い部屋で、くるりと椅子を回し不満げに漏らす。

「まァいいや。派遣して自動モードにしとこっとォ」

 爆撃機を何機か見繕い、指示を出す。戦闘員に武器を支給、危険なので派遣した畸形には近付かないこと。それだけは言い聞かせる。無闇に近付いて無駄死にすることは避けたい。戦闘員は無限ではないのだ。

 手を動かしながら管制室に駆け込んできた伝達係からの報せを聞く。どうやら城の外に多人数の人間が迫っているらしい。彼らの狙いは何なのか知らないが、皆城に向かって武器を掲げているらしい。

(外の人間が統率を取れるなんて思わなかったけどォ、地雷が先に爆発したってことはァ、後ろに何かいるね)

 何らかの方法で地雷を起爆させることのできる頭の可笑しな技師か。今まで技師がそんなことをしてきたことはない。ただの気紛れな暇潰しか、本気で城を落とそうとでも考えたか、何か他に目的があるのか。

「じゃあ、爆撃機でも飛ばそうかなァ」

 足下が駄目なら頭上から。地雷で吹き飛んだ地面の穴を塹壕代わりに潜って攻撃を避けているらしいが、それなら頭上はガラ空きだ。逃げ場は無い。姿を隠せる屋根は無い。

「ちょっとロゼの所行ってくるねェ」

 椅子をくるりと回し、床に飛び降りる。爆撃機は幾らでも作れるが、浮力の仕上げがまだだ。ロゼの花が必要だ。そして。

(念のためもっと安全な場所に移すか)

 ロゼの花は要だ。失うわけにはいかない。時折自分で毟って遊んでいるようだが、貴重な花を容易く無駄遣いしないでほしい。肝心な時に花が無かったらどうする。何のために高い食費を叩いているのかわからない。

 選りに選って青界に攻めるタイミングで城奇襲を企てなくてもいいものを。念のため、青界奇襲を行ったこととの関係も考えておく。


     * * *


 司は無意識に涙を流していた。

 仮面を取ったクロの顔に、確かに見覚えがあったからだ。

 仮面の下は畸形でも傷があるわけでもなく、普通の人間の顔だった。普通の、()()()()()人間の顔だった。

「――イル!」

 勢いよく立ち上がり、木の椅子が音を立てて倒れた。

「本当に、イル……なのか……? いや、あの時私は確かにイルを撃った……急所が外れていたのか……?」

 震える唇で、何とか声を絞り出す。十三年前、確かに司は彼を撃った。外に走って逃げる彼を、撃ち殺した。そう思っていた。すっかり大人の姿になってはいるが面影はしっかりと残っている。間違いない、彼は司が撃ち殺したはずの、大好きなフォイルだ。

「オレも詳しくはわからない。気がついたら治療されていた。攫ったあの子供は……いなくなっていた」

「治療……」

 殺したと思っていたが、即死だったかなんてわからない。最期の姿なんていつまでも見ているのは苦しくて、あの時の司は目を逸らして背を向けて城に戻った。あの後死体がどうなったのか、確認していない。

 混乱する頭を落ち着けるため、司は今までのことをゆっくりと思い返す。クロが司の目付に起用されたのは、イルが死んだ後だ。仮面はつけていたが、背丈はイルに似ていて、髪の色もそっくりだと思った。だから司は不気味だと思いながらもクロを傍に置いた。同時にあの時のことを思い出して辛くなったが、いずれ忘れるためにも、気にしないようにしなければと割り切った。

 その苦しい決意を、今ここで、無駄にされた。

「何故もっと早く言わなかった!? 私が、どれほど……!」

 声が濡れていく。涙が止められない。群青の双眸からぼろぼろと雨のように落ちていく。

 クロは懐かしい司の青い頭に手を遣り、ゆっくりとぎこちなく撫でた。あの頃の幼い司ではない、すっかり大人になった司の頭を子供のように撫でても良いものか迷ったが、泣き噦る姿に、そうしたいと思った。

「……司がオレを撃った時、もう二度と城に来るなということだと思った。けど、司の立場とか……あの件で良くないことになってると知って、力になりたかった。今度は守れないかと……。城では顔が割れているから、仮面をつけた。司の前でも、後ろめたくて仮面を外さなかった」

「……っ!」

 何だ――私の所為じゃないか。司は言葉を紡げなくなった。仮面をつけていても、気付かなくてはいけなかったのに。

 瓦礫に突いた手が震える。ぱたぱたと瓦礫に涙が溶けていく。司は思いきり、クロの頬を平手で殴った。突然のことに、クロは避けられなかった。

()った……」

 殴られた頬に、放心しながら手を遣る。じんじんと痛かった。手加減などなかった。

「夢じゃない……」

 夢か現実か確かめるために殴ったのだと察した。

 司も殴った手が痛かったのか、じんじんする手を握り締める。

 もっと他に確かめ方があったのではないかと思ったが、殴った後に何を言っても、過ぎたことだ。それだけ司は混乱していた。同時に痛みが、嬉しかった。今ここに生きている確かな証拠だ。

 そしてクロがイルなら、司が保管している臓器に発信機を仕込むなんて有り得ない。――と思いながら、過去に騙されていたのだ、一応確認は取った方が良いと思い直した。少しだけ冷静になった。

「イル。唐突ですまないが、私のストックしていた臓器に何か仕掛けたか? もしくは、何か知ってるか?」

「臓器?」

 本当に不思議そうな顔で、クロは司を見た。本当に知らないようだ。やはり犯人はクロではない。となるとやはり怪しいのはイドか……。

「知らないならいいんだ。知らなくて本当に良かった」

 もし犯人がクロだったら、何を言えばいいかわからない所だった。安心すると、途端に手が震えてきた。ここなら見つからないという安心感も手伝ったのだろう、少し緊張が緩んだか。

 殺されかけたのだ。コアの連中に。イルが司に撃たれた時、どんな気持ちだっただろう。きっとこんな風に疑問が駆け巡っていただろう。

 俯いたまま黙り込んでしまった司を、クロは恐る恐る抱き締めた。クロが立ち上がったことにも気付かなかった司は、驚いて目を丸くした。温かくて少し固い感触。懐かしい感覚。

「うぅ……ばかあぁ……」

 司もクロの背に手を回し、ぎゅうと抱き締めた。司は両性の畸形だが、身長はクロの方が高い所為か彼より少し華奢で、腕にすっぽりと納まってしまう。

 何やら地響きのような揺れを微かに感じたが、今は気にしないでおいた。今はそっとしておいてほしかった。


     * * *


 上下左右がわからなくなる真っ白な空間で沈みながら、薄い光に照らされた水面がほんの少し漣立つ。吐き出した泡が薄い光できらきらぼんやりと水面でちらちらと揺れた。

 ぼんやりとしているだけの何も無い退屈な日常。脚や腕の解けかけた包帯を巻き直すだけの毎日だ。

 その中で少しだけコアの外に出られる時間だけが、唯一の楽しみだった。上下も左右もわかる外の景色が好きだった。上は空の青、下は草の緑と土の茶色。風があるのも良い。

 今日は外に出られる日だ。感情の起伏が無さそうに見えるが、内心そわそわしている。

 沈みながら浮いていると、上下左右の一角がぽかりと開いた。そうかあれは壁だったか。逆様の人間がぶら下がっている。――逆様なのは自分か。

「げ」

 その人物の姿を捉え、泡と共に心の底から嫌そうな声が出た。出たはずだが、水中なので聞こえていないかもしれない。

 床に手を突き壁を蹴り、勢いよく水から顔を出す。硝子のように透き通るような淡い水色の髪からぼたぼたと硝子玉の水が滴る。

 大きな水槽の縁に手を掛けて身を乗り出すと、そいつは何が面白いのかけらけらと笑い出した。

「あァ水藻クン! 駄目だよォそんなに床を汚しちゃあ。掃除の人が大変だからねェ」

「イド……!」

 まさかこいつが司の代わりに水藻の外出の付き添いに? 冗談じゃない。こいつは細胞を採取しに来ただけだ。水藻の肉を削ぎ取りに。

「どォしたのォ? そんな怖い顔してェ」

 原因がしゃあしゃあとほざいている。水藻は眉を顰めて壁を蹴り、水を掻いて距離を取った。

「司はどうした」

「司ァ? ――あー、散歩の時間だっけェ? そォじゃなくてェ、ちょっと確認に来ただけだよォ」

「確認?」

 外出の付き添いではないのなら安心する。早く去ってほしい。

「水藻クンはァ、陸地にいることはできるけどォ、定期的に水に入らないといけないんだよねェ?」

「……そうだが?」

 魚型の畸形である水藻には水は不可欠だ。そんなことは以前からわかっていることだ。何を今更、というような質問だった。

「具体的にィ、どのくらいの頻度で水に入らないといけないのォ?」

「は……? そんなの報告書を見ればわかるだろ。司に聞けばいい」

 今まで散々調べてきたのはコアだ。今更何を確認すると言うのだ。水藻を担当している司なら、そんな物見ずともすぐに答えられる。

「それがねェ、本人がいなくなってェ」

「…………」

「死体には聞けないでしょオ?」

「……?」

「あァ、驚くのは後にしてくれるゥ?」

 目を見開く水藻に対し、イドは表情一つ動かさない。聞き間違いでなければこいつは今、死体と言ったのか? 司が死体? 一体どういうことだ。何が起こっているのだ。

「はーやーくぅ!」

 急かすイドに意味もわからず、水藻は目を逸らした。水藻の情報を管理している司がいないのなら、水藻に話を聞きに来たことには合点が行くが……。この部屋の外の状況がわからない。

「……乾燥した空間なら数時間置きに、湿気があるなら半日は持つ。体調によっても少し差が出る」

 満足のいく答えではなかったのか、イドは少し黙った。あまり見ない表情だが、ほんの少し険しい顔をしている。

「長くても半日かァ……ちょっと厳しいかなァ。一日持ったりしない?」

「相当湿度が高ければ持つかもしれないが、無理だ。あとは、雨? 水が降っていれば、水に入らなくても持つと思う」

「雨は御都合だねェ。まァいいや。それじゃあ水藻クンは待機ねェ」

「待機? 今日の外出はどうなるんだ」

「それは無し」

「はぁ!?」

「それじゃァ、またねェ」

 ぴし、と手を上げ、イドは聞く耳持たず部屋を出ていった。何も聞き出せなかった。

 司が死んだというのが本当なら、担当している水藻に詳細が知らされないのは不自然だ。それとも忌まわしい畸形には説明の必要などないと思われているのか。まさか今のイドが報告係か?

 今日の外出は無しだと言っていたが、無しなら待機する理由もわからない。死んでいなくなったなら担当の引き継ぎはされるだろうが、そのための待機なのだろうか。そもそも死んだ理由も皆目見当が付かない。病気を患っていたという話も聞いたことがない。無断で外に出ている話は本人から直接聞いていたが、見つかったとしても王族をいきなり殺しはしないだろう。同じ担当であるロゼには何か知らされていないのだろうか。同じ畸形でも重要度はロゼの方が上だ。

 そう考えても一人でこの部屋から出ることはできないが。部屋には鍵が掛けられていて、水藻には開けることができない。

(外の様子が知りたい)

 とぷんと水に沈み、泡を吐く。

 引き継ぎでもなく確認だとか言っていたイドのことも気になる。

(司は本当に死んだのか?)

 動きを止めるとよくわかる。水面の漣が少しずつ大きくなっている。つい最近も水面が揺れることがあった。その時は城の外で地雷が爆ぜたのだとこっそり司が教えてくれた。今のこの揺れも同じものだとすれば、それは徐々に近付いてきている。何かが城に向かっている。

(もし外の人間が攻めてきたんなら、待機っていうのは、僕にも戦えってことか……?)

 水が必要な水藻を長く水から出しておくわけにはいかない。人間を感電死させられる程の電気を扱える水藻は戦力にできるが、水を得られないと無駄死にすることになる。

(さっきイドにはああ言ったけど、城内だと十時間程が活動限界か。息苦しくて体も動かしにくいけど、生きるだけなら一日以上持つ。司なら知ってるけど、イドには言わないでおこう)

 魚ではあるが、人間でもあるのだ。純粋な魚類とは異なる。

 イドが何を考えているのか今まで理解できたことはないので、こちらから全て情報開示してやる必要はない。何か嫌なことに使われようとしているのなら、避けたい。定期的に肉を削ぎ取られることより嫌なことは今は思いつかないが、思いつかないような嫌なことをするのがイドだ。

 開示していない情報――いや露見していない情報か。水藻にはまだ秘密がある。司にも露見していない秘密だ。唯一ロゼだけが知っている。立場の同じ畸形ということで、少し心を許してしまった。

 あれはできれば誰にも知られたくない。それが知られれば、必ず立場が変わってしまうから。特にイドには知られたくないことだ。


     * * *


 地面が微かに揺れている。

 白いクッションに埋もれてじっとしていたロゼはゆっくりと身を起こした。青と緑の混じる双眸で白い壁を見る。

 地に根差す植物型の畸形であるロゼは揺れに敏感だった。以前揺れた時は外の地雷だと司が言っていた。その時の揺れに酷似している。

 長い白髪を足元から払って踏まないように立ち上がる。頭の上でまた一つ、青薔薇の大輪が咲いた。花弁がふわふわと揺れる。

「…………」

 地面の揺れは少しずつ大きく、近付いてきている。誰か外の様子を伝えに来るのではないかと白い壁に同化している扉を見るが、誰も来ない。

(こんなに何度も地雷が爆発するのは初めて……)

 ぺたりと床につけた裸の足に微かに震動が伝わり不安になる。青薔薇の浮力を借りて少しだけ宙に浮くと、震動を感じず安心できた。地に根を張る植物が地面から浮いて安心するとは不思議な話だが。

 本来薔薇に浮力なんてものは無い。水藻のように何か別の種類の生物が混ざっているのかもしれない。薔薇が咲く以外に目立つ特徴は無いのだが、表面に特徴があまりでない畸形も存在する。

(少しお腹すいたな)

 新しい花が咲いたので、腹が減る。もう少し経つと睡魔も来ることだろう。体力を温存しようとクッションの上に降り立つ。全く燃費の悪い体だ。

「うあっ、と」

 着地の瞬間蹌踉めいてしまった。ずっと狭い部屋の中にいてクッションに埋まって、脚の筋肉が衰えているのかもしれない。花の開花速度は遅くなるが、少し運動してみようとその場で足踏みして手を振って歩いた気分になってみる。

「……何してんの?」

 そんなことをしていたら、黙りだった扉が開いていることに気付かなかった。

「あっ、ネム!」

 手足は動かしたままで、無感動な顔だけそちらに向ける。

「またサボリ? ボクはサボらず運動してみようと思ったの」

「花にカロリー回さないと咲かないんじゃないの?」

「それはそれ」

 感情の籠もらない声でしれっと言う。体を動かすことに体力を使えば、花の開花はそれだけ遅くなる。開花にはかなりの体力が必要なのだ。

「ロゼ、ストップ」

 部屋の中に入ってくるのでやはりサボリか、それとも何だ遣るのかと動きを止めて構えてみるが、口にもふりと大きな柔らかい物を突っ込まれた。――甘い。

「チョコチップクリームパン!」

 開きかけていた蕾が一つ、ぽんと開いた。ロゼが嬉しい時、興奮したエネルギーが花に伝わり、勢いで咲くことがあるのをネムは知っている。大きなパンを頬張るロゼの表情はやはり感情が読み取れないが、喜んでいることは確かだ。食事はこれでもかと与えられるが、菓子類は普段与えられることはない。甘い菓子が、ロゼは好きだった。

「ちょっといい?」

「ふむ」

 ふもふもと頬を膨れさせながら、ロゼはこくんと頷いた。普段は司がこっそりと街で買ってきた菓子を持って来るが、ネムが持って来るのは初めてだ。漸く好物に気付いたかとロゼは心中でほくそ笑んだ。これからは言うことを聞かせるには甘い菓子、と覚えてくれれば良い。

 少しくらいなら話を聞いてやろうと思う。チョコチップクリームパンのお礼だ。それほど甘い菓子は偉大だった。


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