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鳥になりたかった少女7  作者: 葉里ノイ
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序章/第一章『願』

「鳥になりたかった少女」シリーズ、完結です!

最初に登場キャラの絵を描いたのが2011年、小説を最初に投稿したのが2013年で、約十年くらい経ってるので感慨深いです。

こんなにキャラが増えるとは思いませんでしたが、最後まで楽しく書けました!

  序章



 上手くいっている。何もかも、大旨上手くいっている。今までが上手くなかったのだから、やっと上手く回り始めたと言うべきか。

 いらないものは全て捨てる。壊す。

 外の人間がこそこそと何処かへ消えていることには気付いていた。爆撃機に取り付けたカメラで見ていた。あまり性能の良いカメラではなかったが、人が消えたかどうかくらい、わかる。

 あれが何なのか調べて、探した。あまり自由に動き回れない身だ、時間はかなり要した。


 最初は城の王だった。

 王はいらなくなった。

 壊し尽くした王は、不用になった。

 だから、始末した。

 それでも世界は何事もなかったかのように動いている。人一人いなくなった程度で、何も変わらない。


 島を見つけて、何もかも好転した。

 突然外から現れたリヴルとかいう男は、交渉を持ち掛けてきた。城の中に無い技術と、城の中に入れる権利の交換だった。

 王が生きていれば、突き返されていただろう。城は外の者を拒む。

 だが今はいない。もしかしたらリヴルという胡散臭い男も、王がもういないことに気付いていたのかもしれない。

 いつからだったかはっきりとはもう覚えていないが、(つかさ)がいざという時のために常備していた人工臓器にこっそりと細工をした。発信機だ。何故司がそんな物を常備しているのか。過去の出来事から想像はついた。司が情を注いでいた相手を、司は自らけりをつけた。生死の確認は直接はしていないが、死んだということになっている。城に無断で侵入した罰だ。だが司は無意識にそいつが生きている可能性を考え、酷い傷を負わせてしまったことに、内臓にも損傷があるだろうと人工臓器を作った。無意識に、そいつが戻ってきた時のために。戻ってくることはないが、それが今日までずっと、人工臓器を常備し続けることに繋がっている。

 その臓器にいつ頃だったか、発信機を仕込んだ。それを使う時はきっと、外の人間に対してだからだ。城の中の者が必要な時には、他の医師がきちんと用意しているからだ。態々司には頼らない。司が作った人工臓器を使う時は間違いなく城に連絡を通せない者――外の人間に対してだ。

 時間は掛かったが思惑通り、発信機は作動した。一度は途切れたが、再び違界に戻ってきた。随分と稀薄な電波だったが、理解した。結界が全体に張られた島の中にいたからだ。

 確信した。そんな特異な場所は禁足地しかないと。

 転送装置とやらを持つリヴルをそこに派遣した。転送の力を見るのに打って付けの機会だった。周りの人間を使い、適当に理由を付けてリヴルを行かせた。

 頼んだ通り、石を持ち帰ってきた。緑色の奇怪な石を。リヴルは不審な血の臭いをさせていたが、気にしないことにした。誰がいたにしろ、始末したのなら問題ない。

 ついでに転移草だとかいう植物も手に入ったらしい。生態は知らないが、どうやらそれで転送装置が作れるらしい。願ったり叶ったりだ。早速リヴルに有りっ丈の転送装置を作らせた。そんなにすぐにはできないと言っていたが、コアの人間より優秀だった。


 空白の王の玉座には、持ち帰ってもらった石を堂々と鎮座させた。なんて素晴らしいのだろう。この子が新しい時代の世界を作ればいい。

 そのためにはまず、もう一つあるという世界を壊さなくてはならない。未知の世界には最初は少しだけ様子見で攻撃を。それからどう攻めるか考える。とても長い時間が掛かったのだ、焦らなくてもいい。

 一番邪魔で扱いにくいと思っていた司ももういない。リヴルは本当によく働いてくれた。迷子にでもなっているのかコアの中をうろうろとしているが、迷子は無理もないだろう。トイレの場所くらいは教えてやれば良かったかもしれない。


 とても上手くいっている。

 もう少し、あと少しだ。

 あと少しで全て壊れて、終わる。






  第一章 『願』



 違界の襲撃から一日が経った。

 攻撃を受けた街では未だに混乱が続いている。テレビ等のニュースでも途切れることなく惨劇の映像が流れ、不安を煽っていた。

 一日経ったが、あまり眠れなかった。眠れるはずがなかった。いつまたあの爆撃機が空を飛んでくるかわからない。今度は自分の上に飛んできて直撃して吹っ飛ぶかもしれない。そんな違界のような恐怖が訪れようとは、夢にも思わなかった。

 違界のことを知らない父がいるため夜は一旦、七枝(ななつえ)医院から家へ帰っていた青羽(あおば)ルナは翌朝、頭上を気にしつつも紫蕗(しろ)のいる病院に戻った。父一人残してくるのも心配ではあったが、またすぐに奇襲が来ないよう祈るしかない。

「紫蕗、来たよ」

 比較的損壊を免れた病室に移された紫蕗の新しい部屋のドアをノックし、中に入る。ドアはきちんと開閉できるが、窓は硝子が飛び散って風通しが良い。

「おう、青羽。いい所に来た」

 先に返事をしたのは、コートにフードを被った久慈道(くじみち)宰緒(さくお)だった。宰緒は一人で暮らしているため、紫蕗に言われて病院に泊まっていた。瓦礫や硝子を片付けた床に座り、その前には人間の脚が二本。色羽(いろは)も時折尻尾をぱたぱたと、一緒に覗き込んでいる。人間の脚が床に転がっているのは異様な光景ではあるが、これは生身の脚ではない。

「何してるんだ? 修理?」

「修理って言って貸してもらった。義足に入れた血を抽出するんだと。こういうの得意だろ? 青羽」

「すみません。私も一人では難しくて……」

「それ、(しい)の?」

 見覚えがあると思えば、それは椎の義足だった。確かに踵が折れていて、修理とも言えるが。辺りを見渡すが椎の姿はない。別室のベッドで転がっているのだろう。きっと灰音(はいね)も一緒だ。灰音とラディにも爆撃機のことは話した。ラディとモモも一緒にいるかもしれない。

 紫蕗は多量の害毒の血を失い、まだよく目が見えていない。ベッドの上から指示だけ出しているらしい。彼は薄ぼんやりと見えるルナの姿に気付き、目を遣った。

「害毒の血を抽出して培養する。お前も手伝え」

 害毒――またはヴァイアラス。表面上は普通の人間と変わらない、奇異な病状を持つ稀有な存在。表面に異常が現れる畸形よりも危険な存在として、狭く認知されている。紅い眼を持つ者が多いと言う。

「俺にできるなら……」

「まずある程度義足を分解したい。手順は指示するが、二人では陽が暮れそうだ」

「ああ、それなら。分解は得意」

 袖を捲り、義足の傍らに腰を下ろす。幼少から分解に手を染めてきた。それなら造作も無い。

「凄いですルナさん! 頼もしいです」

 紫蕗が目覚めて、色羽も明るくなった。ふわふわの尻尾を嬉しそうにぱたぱたと揺らす。

 一人でいるより、誰かがいる方が不安は和らぐ気がした。集中している間は不安も消える。時折紫蕗が指示を出すが、大方ルナは一人で分解を進められた。母の工具も役に立った。

 分解して必要な部位だけをベッドの上に載せ、紫蕗は違界の器具を何も無い空間に形成した。先が針のように細い、スポイトのような形状の器具だった。その針とは逆の先に細い管が生えている。管の先を台に固定した試験管に突っ込み、スポイトのような器具を分解したパーツに当てる。――いや、当てようとしている。先端が行き場を探してふらふらと彷徨っている。上手く見えていないのだと気付き、ルナは手伝ってやった。

 管を通り、赤い液体が試験管にぽたりぽたりとゆっくりと溜まっていく。ルナも宰緒も興味深そうに眺めた。言い方は悪いかもしれないが、ドリップ珈琲のようだと思った。

 暫くはしんと静まり様子を見守るだけだったが、静寂の中にコンコンとドアを叩く音が響いた。

「ごめんね、紫蕗君。気付くのが遅れて」

 七枝医院の違界人看護師、天利(あまり)だった。今日も際疾いミニスカートのナースコスプレスタイルで目の遣り場に困る。手には変わった形の瓶を持っていた。

「その体ではトイレも難しいでしょ? 尿瓶をあげる」

 一瞥して何を持っているのか見えなかった紫蕗は、その言葉で手元に視線を戻して固定した。

「俺も医師だ。自分の体のことはわかる。いらない」

 手元から目を離さない紫蕗を見ながら、天利は枕元のチェストに尿瓶を置いた。色羽は見たことがないのか察しが付かず、不思議そうな顔で尿瓶を凝視し、やがて手を叩いて部屋を飛び出していった。

「……色羽、外に出てもいいのか?」

 畸形である色羽は大きな耳と尻尾が生えているため非常に目立つ。こちらの世界の人間に見つかると騒ぎになりかねない。

「うん。元々裏口は違界患者専用で人がいないし、今は皆怯えてあんまり外を歩かないから、違界棟と少しだけ裏になら出てもいいことにした。ずっと病室にいても気が滅入るだろうしね」

 やがてぱたぱたと色羽が駆け足で戻ってきた。外で摘んだのか、手に小さな花の咲いた雑草を持っている。それを尿瓶の口に挿した。

「尿瓶に草を活けないで。それは花瓶じゃない」

「えっ?」

 困惑する色羽に、宰緒はベッドの陰で肩を震わせて笑いを堪えた。

「……色羽、それなら水も入れないと」

「! あっ、そうですね!」

「ちょっと、嗾けないで」

 宰緒は完全に面白がっている。こんな状況下でも肝が大きいと言うか。

 天利は一つ溜息を吐き、まあいいかと紫蕗に向き直る。鬱々と下を向いているよりはずっと良い。

「ねえ紫蕗君。それは何をしてるの?」

「害毒の血を抽出している。これで培養する」

 紫蕗の製作した装置には自身の害毒の血を含ませていると言う。危険な害毒の血を椎の義足に含ませたことをルナは良く思っていないが、こうして後に役に立つのなら、悪いことだとも言い切れない。

「抽出? 言ってくれれば少し分けたのに」

「は……?」

 そう言えば害毒の血を培養しようとしていると聞いた気もする。できるとは思っていなかったので記憶の外に追い遣っていたが。

「研究のために、輸血前に少し血液を採取しておいた」

「輸血が必要な患者の血を更に抜くな」

「特殊な病気に耐えられる体をしてるんだから、丈夫なんでしょ? 心臓切り離して無事な人間の血液を更に少し抜いたくらいで死なないよ」

 死にはしなかったが、長い時間目覚めなかったのだが。

「ヴァイアラスなんて初めてだもの。調べたい。隅々まで」

「断る」

 つい本音が出る天利に、紫蕗は聞く耳を持たない。そんなことより培養を急ぐ。

「目障りだ。あまり覗きに来るな」

 ルナが家に帰っている間も随分と様子を見守られていたらしい。看護師が心配して様子を見に来るのは当然の行動だと思うが。

「違界の患者は久しぶりだし。全面的に任されてるし、君以外に看る違界人もいないし、要は暇ってこと」

「暇潰しに来るな」

 一般外来の阿鼻叫喚はひとまず落ち着いたらしい。それともこちらがより気になるのか。

「ヴァイアラスだし、監視もしないと」

「それが目的か」

「君、天才技師なのよね? 私も名前は聞いたことある。そんな凄い有名人が大怪我負って入院して身動き取れないなんて知られたら大変ね」

「…………」

「安心して。カルテも名前を伏せてある。騒ぎになったら他の患者にも迷惑だし。私の提案よ」

「礼は言わない」

「いいよ。お礼が欲しいわけじゃない」

 椅子を引っ張り出し、ドアの脇に置いて腰を下ろす。まだまだ居座る気だ。

 それに紫蕗は目もくれず、試験管を揺らして様子を見る。抽出は終わったようだ。ルナに義足を元通りに組立てるよう指示し、理科室にある実験器具のような物を次々と形成する。それからはもう何をしているのかよくわからなかった。色羽が手を貸し、ルナは義足の組立てに専念する。分解した物をそのまま逆の手順で戻すだけなので、紫蕗が見ていなくても一人でできる。ついでに折れた踵も修理する。

 お互いに手元に集中してまた暫し静かな時間が流れたが、やがてぽつりと、顔は上げずにルナは口を開いた。

「……リヴルって、どんな人なんだ?」

 紫蕗の白い睫毛がぴくりと動くが、手は止めない。

 人間性に問題があることは以前にちらりと聞いているが、それ以上のことは知らない人だ。島で紫蕗を襲った、彼を拾い育てた人物。殺そうとしたのに、生きていることを確信したあの妙な布片の仕掛け。それがルナには引っ掛かっていた。

 紫蕗の答えを待つが、先に口を開いたのは色羽だった。

「……胡蝶姫って、知ってますか?」

 それには聞き覚えがあった。椎が言っていた。違界の危険な空を単身鳥のように飛んでいた少女のことだ。そして――イタリアで襲ってきたフレアとコル。そのフレアの実姉だ。

「知ってる……」

「胡蝶姫の翅を作ったのが、リヴルさんです」

「!?」

 空を自由に蝶のように舞っていたことから付いた名前が、胡蝶姫。その飛ぶための翅を作った人物――。

「天才と言うのは、ああいう人間を言うんだろう」

 紫蕗もぽつりと呟くように言う。心做しか、伏せた目が憂えているように見えた。

「俺には、完全に人間を浮かせる軽装な装置を作るのは難しい。妹に頼まれた蝶程度なら作れるが――」

「フレア……?」

「なんだ、知ってるのか。あれから会ってないが」

「フレアは……死んだよ。襲ってきて……」

 あの時のイタリアでの一件を訥々と話した。皆黙って話を聞いていた。フレアの最期を。

「……そうか。死んだのか」

 それだけ呟き、紫蕗は口を閉じた。違界で死は珍しくないが、知り合いが死ぬというのはそう多くはない。少しだけちくりと何か小さな物が刺さるような違和感があった。

「仲……良かったのか……?」

 声が少し沈んだことにルナは気付いた。襲ってきたとは言え殺す結果になったことに、罪悪感は少なからずある。襲ってくるような危険な者でも、親しい人物が存在しないとは限らない。

「特に交流はなかった。リヴルの方は知らないが、俺は武器を作ってくれと頼まれただけだ」

「うん……」

「襲われたのなら仕方がない。襲う方もその覚悟はしてただろ」

 少し、後味が悪い。もやもやとした感情の名前が、ルナにはわからなかった。

 少しだけ、紫蕗は手を止めた。ふと思い出したように、一瞬だけ。

「……リヴルは、俺を殺す気はなかった……?」

「え?」

 思考を纏めようとするように、独り言のように呟く。

「物の一部分収納がリヴルにできないはずがない。他の何も傷付けずに正確に心臓を一突きできるなら、貫く瞬間に刃を収納すればいい。そもそも俺があの島にいること自体、想定外だったはずだ」

「なるほどね」

 黙って聞いていた天利は脚と腕を組んで一拍置き、再び口を開いた。

「逃がそうとしたのかもね。他の城の連中に見つかれば殺されるだろうし、普通に逃がしちゃえば報告が上にいって面倒なことになったかも。だったら自分が殺したことにしておけばいい。紫蕗君が心臓を切り離したことこそ、相手には誤算だったかも。気付いてるのかな? 相手は、紫蕗君が心臓切り離したこと」

「……気付いただろうな」

「びっくりしただろうね」

「そうだな」

 リヴルを信じられなかったことには、弁解の余地はない。ないが、そういう紛らわしい性格なので仕方ないとも言える。そうだこれは止むを得なかったことだ。

「早とちりだと思うと、紫蕗君も可愛い所ある――」

 とす、と天利の傍らの壁に何かが刺さった。少し離れているが、高さは首の位置だ。

「あー……」

「まだ感覚が鈍ってるか……」

 紫蕗の手から、視認しにくい細い糸が真っ直ぐに伸びている。

「私を的にして試すのはやめてくれるかな?」

 少々肝が冷えた。細くて視認しにくい上に速い。抵抗力も少なく、音もあまり無い。

 くい、と手を引き、糸が戻される。昨日と比べると少しは回復したようだ。全快には程遠いが、動きは少し良くなっている。

 遠目でベッドの陰から見ていた宰緒は思い出したように硝子の無い窓を一瞥した。紫蕗の独特な武器を見て、違界人の脅威を思い出したと言うか。

「違界のって、また来るんだよな?」

 その不安は確実なものになるだろう。宣戦布告してきたのだ、きっとまた来る。これは確認だ。

「俺は違界に行ってねぇけど、イタリアの件で逃げるのも大変だってのは知ってる。逃げられる場所って、あると思うか?」

 そのことにはルナも懸念しかなかった。違界人は魔法使いではないという言葉から、青界にも応戦することはできると思うが、直ちにどうこうできるのか、対抗する力を持たない一般人はどうすればいいのか、見当がつかない。

 抽出した血に何やら施していた紫蕗は小さな注射器を形成しながら思考する。

「逃げ切ることも可能だと思うが、城が何をしたいかによる。青界の人間を根絶やしにしたいなら、逃げても無駄だ。城の連中を殺せる人間がいるなら、逃げることも一考すればいいが」

「紫蕗だったら……どうする?」

 自分よりも年下の少年に考えを仰ぐのは些か不甲斐無さもあったが、戦闘に関しては違界人である紫蕗の方が頭は切れる。ルナも手の届く範囲くらいはとは思うが、大鎌では空を飛ぶ爆撃機には届かない。

「違界が壊れていくことに対して何も抗ってない俺に訊くのもどうかと思うが、青界にも武器はあるんじゃないのか? 違界の物でも撃ち落とすことは可能だ。ただ、畸形などがいた場合、不利になるな。その辺りは例のコミュニティでも、違界人が始末する方がいい」

 例のコミュニティ。梛原(なぎはら)結理(ゆうり)未夜(みや)が所属する、違界の脅威から青界を護る治安維持コミュニティのことだ。リヴルも所属していると聞いたが、未だ接触は叶わない。

 一度口を噤み、紫蕗は自身の白い細腕に注射針を刺した。針が刺さる瞬間というのは何とも苦手なので、目を遣っていたルナは目を逸らした。紫蕗は涼しい顔だ。

 注射の間は皆無意識に無言になり息を呑んで見守った。沈黙が流れる。

 静かに注入を終えると注射器を仕舞い、再び毒と向き合い始める。そして決心したように徐ろに口を開いた。

「俺は城に行く」

「え」

「リヴルがそこにいるなら、会いに行く」

 もう決めていることだと、回復していない体で言う。ルナはあの違界の地雷原を思い出し、苦い顔をした。あそこにもう一度、行くのか。

 紫蕗はできないと思っていることは遣らないだろう。無謀なことでも、できると思って行動する。それが紫蕗の強さだ。だが今回は明かに分が悪い。今の紫蕗の体では、死にに行くようなものだ。


「あのー。ちょっといいかな?」


 ドアの脇に座っていた天利がハッとして振り返る。そこにはドアを少し開けて、遅れてコンコンと軽く壁を叩く青年の姿があった。鉛色の髪に青い瞳。初めて見る顔だった。気配を感じなかった。

「警戒させてごめんね。未夜くんにここだって教えてもらったんだけど、紫蕗ってここにいる?」

 その言葉に緊張が走った。紫蕗を探している。敵だとしたら不味い。紫蕗はまだあまり動ける状態ではない。――だが未夜に聞いたというのは? 無理に口を割らせたのか仲間なのか、どちらなのかで話は違ってくる。

「何? 誰かのお見舞い? だったら受付を通してほしいんだけど」

 紫蕗のことには触れず、看護師の天利は立ち上がる。青年は今は戦う意志はなさそうだった。片手をズボンのポケットに突っ込み、気怠そうにぐるりと病室を見渡す。こちらも刺激しないよう武器は出さず対応する。少なくとも、裏口から迷い込んだ青界の一般人ではない。

「受付? あー、ちょっと急ぎなんだけど、駄目? 入口の方って人が多くてさ。時間掛かりそー」

 爆撃の負傷者は病室が足りず待合室でも治療など対応、待機を続けていて混雑している。受付に辿り着くまで時間が掛かるというのは本当だ。そのことは天利も知っている。

「ご用件は?」

「あれ? 未夜くんの名前じゃ通してくれない感じ? 困ったな……じゃあ――梛原結理? 姉さんがピンチだから助けてほしいんだけど」

 ふと出た結理の名前に宰緒が反応する。久慈道家の一件でも、結理の少々無理をする性格は露呈していた。また何か良からぬ無理をしたのかと、宰緒もほんの少し心配した。

「結理に何かあったのか? お前、誰だ?」

「何かって言うか、これから何かあるかもしれないから。オレは姉さんの後輩の加倉(かくら)清依(せい)

 結理の名前は通じたので、清依は安堵した。それと同時にもう一つ。

「オレの名前覚えてた! よっしゃ覚えた!」

 名前とこの変な言葉。覚えがある。

(いつき)小無(こなし)の所にいた変な奴か!」

「うわ、変な奴って認識なの?」

 清依は不満そうに頬を膨らませた。変な奴で間違いない。

「……知り合い?」

 天利も少しだけ警戒心を解く。完全に解かないのは、顔を見ただけでは誰も何者かわからなかったからだ。どういう関係なのか定かではない。

「知り合いってほどじゃねぇ」

「えー、つれないなぁ」

「何の用だ? 結理を助けるってのは?」

 問題はそれだ。結理に何があったのか、だ。態々こんな所まで紫蕗に会うために来るのだから、余程の理由がありそうなのだが。

 清依は考えるように一度天井を見上げ、一人でうんと頷いた。

「話が長引くから正直に言うよ。東京に畸形がいる」

「!?」

 最悪だ。今し方、紫蕗が畸形の厄介さを上げた所だ。

「けど姉さんは今、頭の装置が無い。だから紫蕗に、急いで装置を作ってほしい」

「…………」

「野犬騒ぎって全国ニュースになってたよな? あれ、畸形の仕業。肉食獣って話だから、装置が無いとマジでやばい」

 そのニュースは確かに覚えがある。野犬にしては狂暴すぎると。肉食獣と言うなら、話が噛み合ってしまう。それを相手にするなら確かに違界の装置無しで戦うのは『やばい』だろう。

苺子(いちご)ちゃんも遣られちゃったし、姉さんの装置が無いとオレが一人で相手しないといけないってわけ。わかる?」

 木咲(きさき)苺子。コミュニティの一員で、カマキリの畸形の件で助けてくれた少女の名前だ。自信が無さそうな、だが戦闘では臆することなく畸形に向かっていた。その彼女が、遣られた……?

「……嘘は、言ってないと思う」

 そう判断するにはまだ情報が足りないが、直感的にルナは、清依は嘘は言っていないと思った。ここまで手の込んだ嘘を用意する理由も思いつかない。

 紫蕗がどういう判断を下すか。先程彼は、畸形なら違界人が相手をすべきだと言った。その正に畸形がいると言うなら、結理の戦力が欠けるのは惜しい。

 病院に来た未夜が、リヴルが結理の装置を持ったまま行方を晦ませたと言っていたことを思い出す。ならば結理が危険な畸形に立ち向かえないのはリヴルの所為だ。

「……装置の機能は」

 小さく溜息を吐き、いつの間に紅い瞳を隠したのか眼帯をつけた紫蕗が了承と取れる言葉をベッドの上から放った。

「えっ」

 理解してもらえた安堵よりも先に清依は間の抜けた声を出した。こんなにあっさり良い返事をくれるとは……と言うより、

「その小さいのが紫蕗!?」

 叫んだ瞬間、清依の首筋に細い糸が掠めた。

「……は?」

「まだ精度が鈍いな」

 その言葉に冷や汗が流れた。当てようとして外した? 外そうとして当てかけた? 速くて反応ができなかった。

「ああ、こういう子だよ」

 何か言いたそうな清依に天利が呆れ顔で補足した。『こういう子』とは? 慣れているようだが、害は無いと考えてもいいのか? 清依にとっては今物凄く害のある行為をしたと思うのだが。清依は息を呑んで紫蕗を見る。彼は清依に一瞥をくれただけで、殆ど手元に意識を向けている。何をしているのかは清依にはわからなかったが、軽い挨拶でもするように糸を飛ばしてきた。その場の清依以外全員、動じていない。つまり――『こういう子』?

 糸が戻され、清依は首に手を遣る。血は出ていないが、薄皮一枚持っていかれた。顔が引き攣る。

「あーね。気に障ったみたいだから謝るよ。装置の機能はオレのやつ参考にして」

 耳からコードレスのイヤホンのような形状の装置を外し、紫蕗に放って寄越す。ベッドの上にぽすんと落ちるが、違界でよく見るヘッドセットのような装置に比べて、随分と小型だ。

「これも同じ物?」

 ルナは自分のヘッドセットを形成し見比べる。こんな小さな物は初めて見た。結理はこれを装着していたのかもしれないが、長い髪に隠れて見えなかった。紫蕗の持つ頭の装置もヘッドセットのような形状をしている。

 紫蕗は小型の装置を拾い、初めて手元から意識を移した。

「製作者は誰だ?」

「リヴルって人だけど、わかる?」

「……わかった」

 リヴルが今はコミュニティに所属しているとのことから、こんな小型の装置を作れるのはあいつしかいないと思った。確認のために質問した。小型化できるのは優秀な技師の証拠。つまりこれが、技師の力量だ。

「ここまで小型の物は、俺も作ったことがない」

「サイズは気にしないよ。間に合わせみたいなもんだし。使えれば問題無し」

「少し借りる」

「どぞー」

 手元の作業を完全に止め、紫蕗は自分のヘッドセットを形成し装着する。コードを引き出し、清依の装置と接続、空中に吐き出される小さな画面を叩く。

 ほんの数分の後に、コードを外して小型装置を投げ返した。

「もういいの?」

 飛んできた装置を慌てて受け取り、すぐに耳に装着。大きなヘッドセットを付けていれば青界では目立つし、違界人が見ればすぐに警戒される。見慣れない小型の装置は青界で活動するには不可欠な物だ。通信機能も備わっているが、結理は現在この装置を持っていないので、通信だけ別の通信装置で行っている。

「機能はコピーした。(がわ)は今から作る。完成したら未夜にでも預けておく。帰っていい」

「おお、助かる! 姉さんだけ残して長時間離れられないからね。紫蕗くんに直接貰いに行くのは駄目なの?」

「俺は違界に行く。お前が戻ってきても、俺はいない」

「あー、はいはい。違界ね。今行って大丈夫?」

 違界からの爆撃後、違界ではどんな状態になっているのか想像がつかない。違界にもいつもより激しく爆撃機が飛んでいる可能性もある。清依も少しばかり違界へは足を踏み入れたが、危険だと思われる場所には行っていない。一応、心配はしておく。

「梛原結理とお前は畸形をどうにかしろ。俺は城に様子を見に行く」

 様子見はただのついでで、本当の目的は城につくと言ったリヴルの方だが。

 心配をした清依だったが、態々一番危険な城に自ら行くと言う人間に心配は不要だと考えを改めた。

「うっわマジで!? 超頼もしいじゃん! 姉さんにも伝えとく。こっちに爆撃機が来ないようコテンパンにしちゃってよ」

 そういうことをしに行くのではないのだが。説明も面倒なので、紫蕗はそのまま黙った。

「じゃ、なるはやでよろしく!」

 にこりと良い笑顔で手を振り、早々に清依は転送で消えた。結理が心配なのと、速く伝えたいということとで。

 ルナは今は誰もいない空間から紫蕗へ目を戻すと、ばちりと目が合った。紫蕗が怪訝そうにしている。

「……なるはや、というのは?」

「なるべく早く、じゃないかな」

「……わかった」

 納得した顔で紫蕗は手元の器材を横に遣り、新たに工具を形成した。見守っていた天利もふと気付いて立ち上がる。

「机、出してあげる」

 ベッドに備え付けられている細長い机を引き出し、紫蕗の前に出してやる。その上に色羽が必要な物をてきぱきと並べていく。さすが世話係と言った所か、手際が良い。

 毒の培養セットは色羽に任せ、目を隠していた眼帯を外して早速清依に頼まれた装置の製作に着手する。畸形を相手取ると聞き、優先するようだ。肉食獣の畸形を野放しにし続けるわけにもいかない。

「ルナ、一つ相談がある」

「えっ!?」

 顔は上げず本当に何気なく世間話でもするように紫蕗は口を開いた。

 まさか紫蕗から相談とは、藪から棒が出されすぎて素っ頓狂な声が出た。ドーナツを買ってこいとか、その程度ならすぐにでも可能だが……。

「俺と城に行ってほしい」

「はっ!?」

 思わぬ内容に声が裏返った。あの危険な違界に、しかも違界の中でも最も危険な場所に、再び行けと言うのか。

 だが、何も考えが無くただ適当に指名したとは思えない。あの紫蕗のことだ、何か考えがあるのだろう。恐る恐る尋ねてみる。

「……何で、俺?」

「俺は違界が青界に侵攻することを防ぎたいわけじゃない。目的はリヴルだ。急がなければまた足取りが掴めなくなる」

「…………」

「だが急ぐとなると、俺の体の回復が間に合わない。そこでお前に、補助をしてほしい」

「え…………何で、俺……?」

 それしか言えない壊れた玩具のようになってしまった気分だが、それこそ違界の人間に頼んだ方が良いのではと思う。こんなに戦い慣れていない人間を連れて行く必要はない。

 それに対して紫蕗の答えはシンプルなものだった。

「消去法だが。椎と灰音は動かしにくい。色羽は行かせない。ラディと言ったか、あいつのことはよく知らない。コミュニティの人間のこともだ。――となると、武器を扱えるのはお前だけだろう?」

 それを聞いて、ああ成程、とは言えない。

「扱えるってほどでは……」

「違界で戦っていただろ。あの程度動ければそれでいい。あとは俺が遣る」

 確かによく知らない者を連れて行くのは危険かもしれないが、ルナもそこまで長い月日を共に過ごしたわけではない。紫蕗は積極的に交流を求めて世界を歩いているわけではないので、他に知り合いもいないのだろうが。雪哉(ゆきや)達に頼むわけにもいかない。黒葉(くろは)も違界人ではあるが、紫蕗が違界に行っている間、色羽を一人にはさせないだろう。再びいつ城が襲ってくるかわからない状況なのだから。黒葉は色羽の傍にいてもらうだろう。

「どうしても危なかったら、転送で戻ってくればいいよな? それなら……」

 紫蕗には何度も助けてもらった恩がある。困っている今こそ、力になりたい気持ちはある。戦々兢々渋々ではあるが、退路があるならと承諾しそうになり、次の言葉で口を噤んだ。

「城の中では転送は行えない。結界が張られてるからな」

「あ……あー……」

 そう言えばそんなことも聞いていたかもしれない。

 頭を抱える。死と隣り合わせの中に自ら飛び込むというのは、生半可な覚悟では首を縦に振れない。

「無償とは言わない。何でも言え」

「えー……」

 突然そんなことを言われても、何も思いつかない。ベッドの陰から宰緒が面白そうに「大金って言ってみれば」などと茶化す。他人事だと思って楽しんでいる。少しくらい心配しろ。

 たっぷりと時間を掛けてルナは悩んだ。行くか行かないか悩むが、結局流されてしまうのだろう。

「じゃあ……もう誰も死なないように……」

 切実に祈るように、絞り出した。紫蕗は少し驚いたように紫と紅の目を丸くした。

 もう誰かが死ぬのは見たくない。どんなことが起きても、死なないでほしい。それだけ願うことが、違界生まれの紫蕗には思い浮かばなかったのかもしれない。違界の、紫蕗の技術で作ることができる物を願われると思ったのだろう。紫蕗はいつも、技師としての技術を買われてきた。ルナの願いはとても稀有で奇異なことだった。それでも何でも言えと言った手前、その願いは聞き入れる。

「……手の届く範囲なら、力を尽くす」

「うん……ありがと」

 不安げな緑の双眸を細め、ルナはほっと胸を撫で下ろした。庇って死んだ母や玉城(たまき)(みのる)のことが脳裏を過ぎり、力の籠もらない寂しい微笑みになってしまった。

 手の届く範囲というのは何処までなのだろう。紫蕗の手は、何も知らなかった頃のルナの切り落とされた手を治してくれた手だ。何処にいても助けてくれそうな気がした。そんなこと、ただの押し付けなのに。

「けど青羽が行くって言ったら、椎の奴も行くって言うんじゃ?」

 尤もな宰緒の言葉に苦笑する。そうなれば芋蔓式に灰音も来る。城を壊したいラディも来るのではないだろうか。

 意味が理解できたとばかりに、紫蕗も小さく息を吐いた。何かを作れと言われるよりも、余程難しい要求じゃないか。だが呑んだ以上、約束は守る。

「そろそろ椎に義足を返してきてもいいかな?」

 組立てと踵の修理が終わった二本の脚を抱える。生身の人間の脚の重さはわからないが、義足は結構重い。

「一人で接続できるなら好きにしろ」

「前に紫蕗の作業見てたから。できるよ」

 手元に集中する紫蕗を一瞥し、天利にドアを開けてもらいながら椎のいる部屋の場所を教えてもらい、ルナは病室を出る。ついてこいとは言わないが、城に行く話は椎達にもするつもりだ。ラディまではともかくモモまで行きたいと言い出すことがあれば、さすがに幼い彼女を連れて行くのは躊躇われるので、青界に留まってもらうようラディに説得してもらう。

 廊下を歩いていると、ポケットの中で端末が震えた。何とか片手で義足を二本抱え、携帯端末の画面を見る。――黒葉だ。イタリアでもニュースになったのだろう。後で掛け直して説明することにする。アンジェとヴィオも聞き耳を立てているかもしれない。イタリアでの一件を思い出して。

 端末をポケットに戻しながら何とか足でドアを開け椎のいる病室に入ると、彼女は退屈そうにベッドに転がっていた。部屋には銃を手入れする灰音と、ラディとモモもいる。

 椎は部屋に入ってきたのがルナだと気付くと嬉しそうに飛び起き――ようとして、両脚が無く体勢を崩してベッドの上ですっ転んだ。床に落ちなくて良かった。



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