騎士道精神の勝利
八戦目。
練兵場には、淀んだ空気が蔓延していた。
全員から、「どうせ次も外道な手段で勝つんだろうな……」というある種の信頼を感じる。
「"病毒の王"様……。いいですか……トラップと毒は禁止です。場外から場内への魔法使用も禁止です。脅迫も買収も当然禁止です……」
「ルールがどんどん変わりますね……」
「アナウンスの声が死んで来たぞ」
リズとレベッカが、犬耳さんに同情気味の視線を向ける。
「ああ、宣言しよう。トラップも毒も使用しない。場外から場内への魔法使用も行わない。脅迫や買収はしていないが、今回も行わない。――何をしないかではなく、何をするかで語ろうか」
一拍溜めて、注目を集めると、私は宣言した。
「この度の戦い、剣をもって勝利する」
私は木剣を一振りした。空気が切り裂かれる音と共に、場内がざわりとする。
「本当ですか? "病毒の王"様!」
犬耳さんの顔がぱあっと明るくなる。
「ああ、私は嘘は言わないとも」
今回、実は一番の貧乏くじを引いたかも知れない、大変精神に来る立ち位置になってしまった彼女を労るように微笑む。
「私は今日この日のために、血の滲むような努力をして来た……」
後ろに控える、リズ、レベッカ、サマルカンドを振り返り、ちらりと素の笑顔を見せる。
「最高幹部として恥ずかしい姿を見せる訳にはいかないからな」
そして、試合相手へと向きなおる。
「それでは、試合開始です!」
明るい空気が練兵場に満ち。
私は、笑顔のまま木剣を宙に放り上げた。
「へ?」
そしてローブの内側から、黄ばんだ背骨を取り出して、足下へ放った。
その骨に刻まれた呪印がまず赤く輝き、次に全体が青緑の光を放つ。
「召喚に応じろ、私の騎士」
「承った」
落ちてくる木剣を受け取ったのは、一体の骸骨だ。
鎖鎧に、リストレア魔王国の紋章「蛇の舌の生えた竜」が刺繍されたサーコートの残骸。
鎧に加えて手袋にブーツなので肌――骨――の露出は少ないが、呪印の刻まれた背骨だけが、完全に露出している。
不死生物特有の、青緑の炎が眼窩に燃える。
ハーケンが、厳かに宣言した。
「我が主に、勝利を」
「……召喚魔法……だと?」
ブリジットが、かすれ声で呟く声が耳に届いた。
「し、審判! 禁止されているはずだ! 一対一で戦うルールがある!」
今回の対戦相手、若手暗黒騎士その八が抗議する。
「実は、『場内の』『召喚具の使用』は抵触しないんだ」
「け、剣で勝つと……」
震え声。
「私が振るうと、一度でも言ったか?」
「"病毒の王"……様を……この外道様を、一瞬でも信じた私が馬鹿だったんですよね……」
犬耳さんの目と声が、前にもまして死んでいる。
人は、希望を抱き、そしてその希望が潰えた時に心が死ぬのだ。
けれど、友軍相手、それも今回のターゲットである暗黒騎士団ではない彼女に、そこまで多大な精神の負担を強いるのも忍びない。
なので、ちょっと優しい言葉をかける。
「そう悲観したものではない。うちのハーケンは、騎士道精神を体現した誇り高い死霊騎士だぞ」
言葉通り、ハーケンは堂々と話し始めた。
「我は召喚生物ゆえ、木剣を使うルールでは、まず貴殿の勝ち目はあるまい。そこで、だ。貴殿は、我に武器を手放させる事が出来れば勝ち、というのはどうであろう?」
「……俺もか」
「いいや、そちらの敗北条件はルール通りである。つまり、降伏の意志を込めて『降参』と言った場合、場外に出た場合、意識を失われた場合であるな」
「武器、とはこの木剣の事だな?」
「無論。……今回に限っては言葉遊びで戦うつもりはない。――独断をお許し願いたい、我が主」
「いいだろう、ハーケン。私はルールに従って正々堂々と戦っている。お前もまた、そうするがよい。――審判、私は勝敗を我が軍のハーケンに委ねる。この変更を、認められたい!」
「……このルールに限っては、私が解釈させていただきます。勝敗も同様。よろしいですね?」
私は頷いた。
「もちろんだ。――ハーケン。存分に戦え」
「かたじけない」
ハーケンが、私に軽く頭を下げた。
そして、暗黒騎士に向き直り、半身になって軽く剣を構える。
「来られるがよい」
「言われなくても!」
意気は十分。止まったままのハーケンに対し、相手の暗黒騎士は距離を詰め、木剣を振り下ろした。
その動きは、素人目から見ても、決して悪くない。
だが、ハーケンの動作はただ、美しかった。
木剣同士が打ち合った――と思った瞬間、相手の木剣がハーケンの木剣に絡め取られるように跳ね上げられ、そのまま宙を舞った。
しかし彼が敗北する条件は、降参と、気絶と、場外のみ。
瞬時に拳を固めて、ハーケンの剥き出しの弱点、背骨に向かって殴りかかったのは、敵ながらあっぱれと褒めるべきだろう。
ハーケンは、くるりと左の軸足で半回転し、相手の拳を捌いた。さらに足払いを掛けている。
相手はつんのめるように顔面を石畳にしたたかにぶつけた。
鼻血を出してなお、組み付こうとする敢闘精神は見事だ。
しかし、それを許すハーケンではなかった。
とん、と胸を蹴り、仰向けに倒れ、背を石床に叩き付けられた反動で起き上がろうとする相手を、強く踏みつけにする。
「がはっ……」
優しささえ感じさせる体勢を崩す蹴りから一転して、肺から空気を全て吐かせる鋭い一撃。
くるくると宙を舞っていた相手の木剣が、ハーケンの手元に吸い込まれるように収まる。
左に敵の剣を持ち、右の自らの剣を喉元へ突きつけた。
「さて。続けられると言うのならば、お相手するが……いかに?」
しばらく咳き込んでいた相手が、力なく笑った。
「これほど力の差を見せられ、なおかつ気遣われては……。完敗だ。『降参』する」
「それまで。勝者、"第六軍"のハーケン!」
「いずれまた、稽古をお願いしたい」
「主の許可が出れば、そうしよう。おそらく、喜んで認められるだろうがな」
勝者は敗者に手を貸し、そして固い握手。
建設的な今後の話。
ああ、全ての戦いがこう終わればいい。
ついでに、自分や自分の仲間が勝てばベストだ。
今日初めての、両者への惜しみない拍手と温かい声援が会場に満ちた。
「まあ……今回は正々堂々と戦ったよな。ハーケンが」
「ええ。……ところで、ハーケンが負けたら、どうするつもりだったんでしょう?」
レベッカとリズが話している方をちらりと見た。
「――リズ。私は、部下に全幅の信頼を置いているよ」
「誠に仕え甲斐のある主殿だ」
ハーケンが、顎骨を打ち鳴らしてからからと笑う。
「我が名はハーケン。"病毒の王"に血肉の全てを捧げた、一介の召喚生物である」
「いや、スケルトンだから血肉ないでしょ」
ぽん、と彼の胸を平手の甲で叩く。
「おっとこれは一本取られた」
そう言って肋骨を一本もぎ取って差し出すハーケン。
「「ははははは!」」
私とハーケンが息を合わせて笑うと、ここは笑って良いところだと分かったらしく、会場のそこかしこでほどほどの笑いが起きる。
おお、ウケている。
まあ、暗黒騎士団側の笑いは微妙に乾いた物と、思わず吹き出してしまったようなものが多かったが。
やはり笑いの道は厳しい。
「なあ、血の滲むような努力って、もしかしてこれだと思うか?」
「……あのですね……この掛け合い……訓練の合間にマスターがハーケンと練習してるの見たんですよ……。ただの息抜きだと思ってたんですけど、まさかこんな時のためとは……」
「おい、試合後のネタまで仕込んでるのか?」
「ほぼ間違いなくそうでしょうね。……最高幹部として、最高に恥ずかしい姿のような気もするのですが」
「体を張って笑いを取りに行かれる姿の一体どこに、恥ずかしさがありましょうか。努力と準備を怠らぬお姿は、いっそ神々しくあらせられます」
サマルカンドの評価は、相変わらず過大だ。
けれど、彼の言う事は正しい。
努力と準備を怠ってはいけない。
そして、笑いとは体を張って取りに行くものだ。