誇りのない戦場
四戦目。
……の前に、リズに小声でささやく。
「リズ。例の物を」
手を握って、密着しているのは、声を聞き取られないように、かつ手渡される物が周囲に見えないようにという配慮だ。
それはそれとして、殺伐とした訓練をやり抜くエネルギーを貰う。
「マスター。今さらですけど、これ使うんですか?」
リズがぽふ、と左手に『例の物』を握り込ませる。
「使うよ? そのために用意したんだから」
何を当たり前の事を、という風に首を傾げてみせる。
「……マスター。私が言うのもなんですが、ルールっていうのは、それに書いてなければ何してもいいって意味じゃないと思うんですよ」
「――リズ? それは残念ながら間違いだ。ルールとは、書かれている以上の拘束力を持たない。それは、危険思想だよ」
書かれていない行間を読み解く、『法解釈』がまかり通る世界。
それがどれだけ正しかったとして、そんな世界は間違いだ。
それすらも明文化して、ルールを良くしていく努力を怠ってはいけない。
誤解なく、過不足なく。
いつか、そのルールに従うだけで皆が平和に生きられるような、そんなルールを作るために、私達はルールを整備していかなくてはいけない。
今回私は、全力で反面教師になるつもりだ。
「マスターが危険思想がどうとか言うんですか?」
「リズ。一つ教えておこう。私は行動が危ないだけで、思想は健全なんだ」
リズが首を傾げた。
「……思想が健全なまま危ない行動が出来るっていうのは、とびきりの危険人物って事じゃないですかね?」
「リズはアサシンの割に思想がまともだね」
「暗殺者が暴走するとか一番あってはいけない事ですからね」
リズの言う事は正しい。
しかしそんな事言ったら、リズのような暗殺者はもちろん、軍隊そのものがとびきりの危険人物でないと務まらない。
良い悪いは別にして、そうだとは思ってるけど。
最後に、リズの手をぐっと握って、元気を貰う。
「じゃ、行ってくるよ!」
「はい、頑張って下さいね。……頑張るところ、なんか違う気もしますけど」
声援とは、なんか違う気もする。
練兵場にて四人目の暗黒騎士という名前の子羊と、距離を取って向かい合うと、犬耳さんが私に向けてだけ厳重注意をする。
「……"病毒の王"様。トラップは本当に使用禁止ですからね? 誓約魔法は追加ルールには適用されませんが……審判役である私が判断させていただきますからね?」
「もちろんだとも」
大きく頷く。
「それでは……」
お互いに、木剣を構えた。
「試合開始です!」
言葉と同時に、私はすたすたと無造作に距離を詰めていく。
向こうは一瞬怯えたように後ずさったが、足下を慎重に確かめ、動かずに私を迎撃する構えだ。
私は、残り五歩ほどになったところで、木剣を捨てた。
反射的に剣を振り上げて襲い掛かろうとする若手騎士その四。
その顔面めがけて、左手から右手に持ち替えた『例の物』を投げつけた。
それを反射的に木剣で切り払い――拡散した緑色の煙をもろに吸い込んだ暗黒騎士が咳き込む。
「っ!? ごほっ……ぐ、あ……」
そのまま、苦鳴を上げてその場に崩れ落ちた。
彼が動かなくなるのを待って、冷たく吐き捨てる。
「全く、揃いも揃って。訓練が足りないな。毒耐性も持っていないのか」
私も持ってない事は棚に上げる。
さすがリズ特製。
レベッカもだが、『友軍に使っていいギリッギリ』のラインを攻めるのが、物凄く上手い。
「……と、トラップは禁止だって言ったじゃないですか……」
「トラップじゃないよ。昏睡系の毒が仕込まれた手投げ式の煙玉です」
例の物。
リズ特製、昏睡系の煙玉。
つまり、近衛師団にまで登り詰めた、精鋭暗殺者特製。
もちろん手投げ弾であって、トラップとかではない。
身体強化してさえ、遠距離のコントロールに不安が残るので、ある程度の近距離、つまり本人も毒を吸い込む可能性がある間合いでの使用が推奨される、諸刃の剣でもある。
ちなみに私の毒耐性は多分ゼロ。しかし致死毒ではないなら、いつもの護符には毒に関する耐性効果もあるので安心。
「念のため聞きますけど、ルール違反だという認識はないんですね?」
私は自分の胸に手を当てて、神妙な顔と声で告げた。
「私は自分を支えてくれる下の者の意見に耳を傾けるタイプの魔王軍最高幹部だよ。だからどうか、間違っているなら正してほしい。私に教えてくれないか。私はいつルール違反をしてしまったのだろうか? ルールへ抵触した箇所を読み上げて指摘してくれたら幸いだ」
視線をさ迷わせて、言葉を探していたらしい犬耳さんが、遠い目をして呟いた。
「"病毒の王"様って、本当に、本当に……本っっっ当にプライドとかないんですね……」
呟き、とはいっても、拡声魔法があるのであまりの事に静まりかえった練兵場に響き渡る。
「それが取り柄だからね」
私は笑って肯定して見せた。
ブリジットにも宣言したとおり、私は勝利のためならばプライドを捨てる覚悟がある。
言い換えれば、それが私のプライドだ。
後、六戦。
英雄願望を持った若い奴らに現実を教え込むのに、後、たった六回の機会しかない。
しかし、十分だ。
後六回、完全にルールに従って勝ってみせればいい。