足下の睡魔
未だざわめきの収まらぬ会場。
話題はおおむね『"病毒の王"の外道な勝ち方について』。
そもそもが、訓練の申し合わせなどというものは、口頭が基本だ。
ルールを文書化し、誓約魔法を交わすという事自体が普通ではない。
そして、そこまでしたからには、"病毒の王"は正々堂々と暗黒騎士団を打ち破るつもりなのだろうというのが、訓練が始まる前の噂。
ただし、"病毒の王"陣営を除く。
念には念を入れた機密保持のために、リズでさえ全貌は把握していない。
私が精神魔法を使われる危険は、『序列第二位と第三位の昼夜を問わない護衛』により回避済み。
しかしそれでも、私が正々堂々と戦えば負けるというのを、私に近しい人ほどよく知っている。
私は剣の腕を買われて最高幹部に任じられたのではない。
その上でなお、私の陣営に、私の勝利を信じていない者が、いるはずがない。
ゆえに、"第六軍"に属する者ならば、私は『全力を尽くす』つもりなのだと理解しているはずだ。
「それでは、合同訓練二戦目を開始します! ……正々堂々とした戦いを期待します!」
審判の犬耳さんが、主に私に向けて後半を言っているのは分かる。
「暗黒騎士の誇りに懸けて……!」
「ああ。最高幹部の名において、もちろんだとも」
にこやかな私に「てめーが言うな」的な視線がぐさぐさと刺さるが、そういった視線を気にしないメンタルが"第六軍"の長には要求され、私はその要求水準を完全に満たした軍団長だ。
「いざ……!」
若手騎士その二が剣を構え、ゆっくりと距離を詰め。
動きが止まり、その場にふらりと倒れ込んだ。
「……は?」
犬耳さんが、思わず呆けたような声を上げる。
それは、私を含めたごく一部の人間を除いた全員の正直な感想だったろう。
「ふん。抵抗も出来ないとは、不甲斐ない」
私は冷たく吐き捨てた。
「『意識を失った』な。私の勝ちだ」
「え、あの……これ?」
「"睡眠"トラップ……!」
苦々しげにブリジットが、今し方暗黒騎士を一人、手も触れずして昏倒させた『手品』の正体を言い当てる。
「え? トラップ? あの、"病毒の王"……様?」
また敬称を付けるのに躊躇ったなあ。
「おや、不幸な事だ。誰かがこの練兵場でトラップ設置の訓練を行ったのかな?」
「っ……明らかに反則だ!」
「明らかに? ――反則?」
暗黒騎士団から聞こえる野次を私は笑って受け流した。
「では、ルールの違反項目を読み上げてもらおうか」
「…………」
犬耳さんが、ルールを丁寧に読み込んでいく。
礼儀として待つが、もちろん、『トラップの使用を禁止する』などという文言があるはずもない。
「大体、この練兵場は暗黒騎士団が指定したものだが?」
「う……」
「私は暗黒騎士団の方を信じているがね。これは『不幸な事故』であり、『練兵場の整備不足であった』と」
堂々と言い放って見せる。
「だが、その上で言わせていただくならば、地形を利用するのは初歩の初歩であり、戦場の選択は非常に重要だ」
「…………」
誰からも、何の一言もない。
私の言った事は正論だからだ。
ただ、それは普通、木剣を使用した訓練の場には全くもって要求されないスキルだというだけで。
「チェックを怠った自らを呪うのだな」
「うう……姉様ごめんなさい……」
「お前が仕掛けたのか」
「リズ殿の罠であれば、まず若輩者には見破れまい」
「さすがリズ様。まさしく芸術。我らが主君への見事なサポートでございます」
リズがブリジットに謝っているのが聞こえる。
なお、罠の作成はリズ、術式自体はサマルカンドだ。
ちなみに、今回の罠はあくまでも抵抗すれば効果がないので、私の基準ではとても正々堂々だ。
抵抗出来ないのが悪い。
リズの罠が見破られるはずもないし、サマルカンドの本気の睡眠魔法に抵抗しきれるはずもないと信じていたので、もし見破られたり、抵抗しきったりすれば、第二戦は潔く負けを認めるつもりだった。
「"病毒の王"様? それについて責めないと誓いますから、正直にお答え下さい。練兵場に仕込まれた罠はこれで全部ですか?」
「正直に答えると、まだ沢山仕込まれてるよ。どこを通ってもいいよう、四十個仕込んだからね。もちろん一戦目には封印してたよ」
「……次の試合までに、全部解除をお願いします。『不幸な事故』が起こってはたまりませんので」
「分かった。リズ、よろしく」
「ええ。強制起動させます」
「はい」
彼女のそばに行き、練兵場を空ける。
なお、倒れた若手騎士さんは、お仲間に引きずられて回収された。
リズが、腕を交差させる。
そして、クロスした腕を十字を切るように振った。
「"幻想短剣生成"」
宙を飛ぶ無数の半透明の短剣。攻撃力は低いが消費魔力は少なく、数を作れば攻撃範囲も広い。牽制や攪乱に使われる攻撃魔法だが、罠解除にも最適だ。
三十九本の短剣が石床に突き立ち、通常起動ではなく、破壊をもって強制起動された罠が、微かな白い光を放った。
そして、半透明の短剣もほろほろと白く淡い光の粒子になって崩れていくのは、美しく幻想的な光景だった。
「あの数を一瞬で……?」
「罠の場所を全部覚えてるのか」
「そもそも命中精度が桁違いだな……」
「メイドの格好してるが……なんだあの凄腕」
「魔力反応が希薄すぎる。実戦であれを撃たれたら避けられるか……?」
「ふふん」
会場内で、今し方のリズの魔法に関して意見が交わされるのを聞いて、満足げに胸を張る。
「なんでマスターが誇らしげなんです?」
「うちの副官さんが褒められてるからね。誇りに思うよ」
「出来れば、もうちょっと違う形で誇りに思われたかったですかね……」
と言いつつも、赤いマフラーがぴこぴこしてちょっと嬉しそうなリズ。
「――最後にもう一度確認しますけど、練兵場に仕込んだトラップはこれで全部ですね?」
不信感でいっぱいの目を向けてくれる犬耳さん。
「もちろん。リズ、全部解除したね?」
「はい。我らが長の――"病毒の王"の名に懸けて」
「ならば確約しよう。練兵場に仕込んだトラップはこれで全部だ」
事後処理に少々手間取ったが、これで二勝。
後、八戦。