降伏の言葉
一戦目。
「それでは、合同訓練を開始します!」
試合開始が宣言されると同時に、暗黒騎士が剣を構え、突進し。
私は、剣が届くより早く高らかに宣言した。
「まいった!」
「……は?」
暗黒騎士の動きが止まり、審判役の犬耳さんが、躊躇いがちに宣言する。
「ええと、では、一戦目は暗黒騎士団の勝ちという事で……」
そして私は当然の権利として物言いをつける。
「待て。そんなルールはないぞ」
「え? ……『まいった』と言ったら負けですよね?」
「いいや? "病毒の王"の名において事前に提出し、暗黒騎士団長の許可を頂き、お互いに誓約魔法にて誓いを交わしたルールの文章を隅々まで確認して貰って結構だ。もう一度言おうか」
私は、にいっと歯を剥き出しにして笑った。
「――そんなルールはない」
「……あ」
ルールを読んでいった犬耳さんの顔が青ざめていく。
「……『まいったと言った相手を攻撃してはいけない』。そして、『降伏の意志を込めて降参と言った場合』、その者を敗北とする……。確かに……まいったと言っても……攻撃されないだけで……え? でも、これ……」
拡声魔法で、うろたえっぷりが全周囲に発信されている。
ざわざわと、どよめきが会場を包む。
「おい、ルールの書き方にトラップとかありなのか?」
「間違いなく暗黒騎士団的にはなしですが、"病毒の王"的にはありですね……」
「ありなのか?」
「あのマスターのやる事ですから。擬態扇動班と詳細を詰めたそうですよ……」
レベッカの呆れ声と、リズの諦め声が、身体強化のおかげでよく聞こえる。
しかし、何もルール上問題ない。
そして、ルールを作ったのは私と、"第六軍"が誇る擬態扇動班だ。
「何か問題が? 重ねて言おう。このルールは、"病毒の王"の名において事前に提出し、暗黒騎士団長の許可を頂いたルールだ。お互いに、『一言一句誠実に』守る事を誓っている」
「で、でも……こんなの……勝負に……というか訓練に……」
泣きそうな犬耳さんに笑って見せる。
「なるぞ。私は攻撃し放題だからな。いずれ気絶するか、降参したくなるだろう」
私は笑って歩み寄る。
ひきつった顔で後ずさる若手暗黒騎士。
そこに、ブリジットの鋭い声が飛んだ。
「――『まいった』と言えッ!」
「は?」
「早く!」
私は、剣を振り上げた。
「……ま、『まいった』!」
「おっと」
振り下ろした剣を、わざとらしく寸止めしてみせる。
「さすがは暗黒騎士団長。下っ端よりは頭が回る」
「これで条件は同じだ。浅知恵だったな。この馬鹿げたルールを撤回するがいい」
余裕を幾分取り戻した若手騎士の言葉を、嘲笑った。
「――同じ?」
ルールとは、平等なものだ。
だが、これは私が定めたルール。
「面白い冗談だ。私は今日の日のために、あらゆる備えをしてきた」
私は、このルールの上で十戦全部を完勝するために、今日までを戦ってきた。
今日はその全てが、試される日。
「その私と? このひよっこが? ――同じ?」
周囲がしん……と静まりかえる。
「まあいい。さて、勝ち手段はあるのかな?」
「き、騎士の誇りはないのか!」
「全くもって持ち合わせてございません」
「粘れ。向こうにも勝ち手段はないはずだ」
「暗黒騎士団長殿は、この状況を作った私が、何の勝ち手段も持たずここに立っていると?」
ブリジットに、わざとらしく笑ってみせる。
「ブリングジット・フィニス殿。私が名乗っている名前を、当然ご存知だな?」
「"病毒の王"……だろう?」
「ああ。その通り。さて、一つ聞きたいが、今日の食事に、いつも以上に気を配られたかな?」
「何を……?」
「銀のスプーンは? 魔力感知術式は? 解毒術式は? 毒味は? ――もちろん、戦いの日の食事には警戒を怠っておられないだろうな?」
もちろん、警戒している訳がない。
ここは、敵地ではないのだ。暗黒騎士団にとっては王都よりも本拠地に近い、リストレア魔王国で最も戦力の集中する重要拠点、リタルサイド城塞。
戦いと言っても、友軍との合同訓練だ。
ブリジットが、愕然とした顔になる。
「まさか……食事に毒を!?」
「私は"病毒の王"。病と毒を司る王の名を冠した、最低最悪の魔法使い。そんな相手に、事前の警戒を怠った自分達の未熟さを呪うがいい」
「くっ……」
「……とは言え、友軍に危険な毒を盛るほど外道でもない」
「そ、そうか……疑ってすまなかったな……」
「謝る必要はない。――いつもよりほんの少しトイレに行きたくなる薬を盛らせて頂いた」
「……は?」
「さて、そこで漏らしてもなお、騎士の誇りを保てると思うなら、長期戦としゃれ込もうか」
暗黒騎士とは、間違いなく精鋭だ。
暗黒『騎士団』とは言うが、騎士ではなく兵士も多いのだから。
しかし、私は尿意に勝てる英雄を知らない。
一応"浄化"があれば後始末は出来る。
が、魔法に出来るのは後始末だけであって……尿意をこらえ、漏らさない事は、未だ魔法をもってしても届かない未踏の領域なのだ。
彼はある程度魔法を使えるし、習得している魔法の中には、解毒の魔法も入っている。
しかしリズが、日常生活用魔法に毛の生えた程度の解毒術式では無効化されない事を保証してくれたので、大船に乗ったつもりでいられる。
時間は私の味方だ。
若手騎士が、もじもじとし始める。
時間の計算もばっちりだ。
「ト、トイレに……」
「あ、ごめんね。『試合開始後のトイレ休憩は、これを認めない。』ってルールにあるから。降参してからゆっくり行って来てね」
「――! 審判、今『降参』と言ったぞ! 先に言った。確かに言った! こいつの負けだ!!」
ぱあっと明るい顔をした彼に、無情な現実を告げる。
「残念。『降伏の意志を込めて』言った場合なんだ。騎士が剣じゃなく言葉遊びで戦おうって? 全く騎士道精神とはなんだったのやら」
絶望に叩き落とされた顔を見ながら、私は言葉を続けた。
「なお、私は大人用のおむつ装備してきてるから、長期戦になっても戦えるよ。新型の術式で水分吸収率が従来品より大幅に改良されて、限りなく百パーセントに近付いた、野戦病院はもちろん民間でも大人気の品です」
「……"病毒の王"殿には、女のプライドはないのか?」
呆れを含んだブリジットの声。
「もちろんあるとも。けれど、勝つためになら、プライドさえ犠牲にする――それが"病毒の王"の戦い方だと、ご理解頂けたかな?」
「言ってる事は格好いいんですけどねえ……」
「おむつ装備して決闘とか初耳だ」
「我らが主殿は全くもって、己の恥と勝利とを天秤に掛けた時の躊躇いのなさが素晴らしい」
「自らの犠牲を厭わぬ眩しいお姿です」
リズ、レベッカ、ハーケン、サマルカンドがそれぞれ感想を口にする。
褒められているかは、微妙なところだ。
「……『降参』と言え」
ブリジットが、若手騎士に声かける。
「し、しかし」
「言え。向こうの覚悟が上だ。それとも、勝ち手段があるのか?」
「……ありません」
「ならば、無用な恥を掻く事はない。後の者を信じろ」
「はっ……。――降参する……」
力なく降参を口にした。
「……勝者、"病毒の王"……様」
審判の犬耳さんが決着を宣言する。
敬称が遅れて聞こえたな。付けるか迷ったか。
拍手はなく、喝采はなく。
しかし、私が道理を覆してもぎ取った一勝だ。
犬耳さんが私に力のない視線を向けて、口を開いた。
「……"第六軍"にルール変更の申し入れを……「まいった」は「降参」と同じ意味の言葉という事で……」
「了承しよう。それでは、改訂版の用意を」
頷く。
「はい……口頭でもよろしいですか?」
「いや、こちらに準備した誓約書があるから」
「へ?」
「誓約魔法は効果を及ぼさないが、文書化して明文化した誓約書だ。審判の権限においてこのルールを適用して構わない事を、皆の前で宣言する」
手を振ると、サマルカンドが優雅な動作で一枚の紙を取り出し、彼女の元まで歩いて手渡す。
「……いくつあるんです? 追加の誓約書」
私は微笑んだ。
「私の勝ち手段の数だけね」