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病毒の王  作者: 水木あおい
2章
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カゴネ湖のレストラン


 カゴネ湖。


 湧き水に加えて、リタル山脈の雪解け水も流れ込むため、常に豊富な水量を湛える山上湖だ。


 青々とした針葉樹林に囲まれているが、森林限界の少し手前なので、下界より一段と気温が低く、日本の気候からすればもう冬も同然。


 それでも私のローブは防寒効果もあるし、澄んだ空気を一杯に吸い込んで歩くのは心地よい。


 目立ちたくもなかったので、素直に運賃を払って定期的にカゴネ湖とふもとを往復している乗合馬車を利用して湖まで来た。


 散歩も兼ねて湖畔を歩いてやってきたのは、一軒のレストラン。


 泊まっているホテルと同じく、白い漆喰に焦げ茶の太い梁、それに愛らしく鮮やかな赤に塗られた屋根が素敵な建物だ。


 しかも湖畔のギリッギリ、というか湖の上に石積みで組まれた土台に建っていて、魔法を使ったのではないかと思わせるほど贅沢な大きさの板ガラスが、レイクビューを楽しんでほしいという意志を全力で主張していた。



 リタルサイド城塞が建設されて以来、未だリストレア魔王国は国土への本格侵攻を許していない。



 それゆえの、平穏だ。


「それでは我が主。ここで失礼致します」

「うむ。三人で楽しまれよ」


 サマルカンドとハーケンが一礼する。


「ああ。――でも、二人共いいの?」


「我は食事が不要ゆえにな」

「ハーケン殿を一人にするのもなんですからな。不死生物(アンデッド)悪魔(デーモン)はあまりこういった店を利用しませぬし……」


「分かった。だが、不死生物(アンデッド)がどうとか、悪魔(デーモン)がどうとか、そういう事は気にするな。お前達は私の部下だ。なんらかの理由で明確に拒否している店以外を利用するのに、何の躊躇いを覚える必要もない」


「はっ……」

「全く。仕え甲斐のあるお優しい主だ」


 サマルカンドが恭しく頭を垂れ、ハーケンが冗談めかしてからからと顎骨を打ち鳴らした。


「じゃあ、また後でね」


「はい」

「うむ」


 二人を見送ると、レベッカに聞いた。


「レベッカのオススメの店ってここ?」


「ああ。ここに来たのは初めてだが、馴染みのシェフがやっていると、こちらの知り合いに確認してある。味も昔通り……いや、腕を上げて、それ以上だと保証してくれた」


「それは期待出来そうで何より」


 内装も非日常を楽しむに十分な豪華さと、リラックス出来るアットホームさを、高いレベルで両立させていて、接客も丁寧。


 高級レストランである事は間違いないのだが、一部の金持ちしか利用出来ないほどの高級店ではない、とはレベッカ談。


 注文はレベッカにおまかせ。

 というか、もっと言うと懐具合だけ伝えてシェフにお任せ。


 最高幹部らしく、金に糸目を付けないパターンも考えたのだが、あえて普通にと頼んでみた。


「楽しみだね」




 メインの食事を終え、後はデザートを待つばかりとなった私は、真面目な顔で口を開いた。


「レベッカ。シェフを呼んでくれるか?」

「……何か?」


「伝えたい事がある」


「マスター。……これ、お忍びですからね」

「分かっている。リズ、心配するな」


「分かりました……頼みます。レベッカ」

 リズがレベッカに頷いてみせ、レベッカが脇を通った店員さんに話を通す。



「――お懐かしゅうございます、レベッカ様」


 やってきたシェフは、髪も口ひげも色褪せて白くなった、歳のいったダークエルフだった。

 白いコックスーツとコック帽が褐色の肌によく似合っている。


「ああ。元気にやっているか?」

「はい。魔王軍の方々にも贔屓にして頂いております」


「そうか。何よりだ」

「それで……ただ昔話をされるために呼ばれたのではないようですが……?」


「ああ。……その、今の上司が……伝えたい事がある、と」

「今の? 風の噂で転属されたと……まさか」


 レベッカが、そっと指を五本開いた手のひらに、人差し指で一本足す。

 六本の指で、暗に示したのは、軍団のナンバリング。


 彼女の今の所属は、"第六軍"。

 悪逆非道の戦争の英雄、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"率いる悪鬼の群れと名高い。


「……その、マスター。私の、昔なじみだ。何か気に障った事があったとしても……その責めは私に負わせてくれないか」


「何を仰いますレベッカ様。お客様の気に障った事があったとすれば、それはこの料理長の私めの責任。……お伺い致しましょう」


 緊張した空気が店内に満ち、それに気付いた他の客の目が、私達のテーブルに向けられる。


「気に障った? とんでもない」

 首を横に振る。



「すっごく美味しかったです!」



「……は?」

 シェフが目を瞬かせた。


「メインのマス料理は脂の乗りに合わせたバターソースの使い方が完璧だったし、添えられてたテナガエビも殻ごと食べられるパキパキ感が最高! サラダも季節の野菜が沢山使われてて飽きさせないし、パンも冷めても美味しいしっとりもちふわで、全部楽しめました。リタルサイドにいる間に、絶対また来ます!!」


「それはそれは……そこまでお褒め頂くとは光栄の至り。どうぞデザートもお楽しみ下さい」

 シェフが顔をほころばせ、完璧な動作で頭を下げる。


「お好みなどはございますか?」

「チョコ系ありますか?」


「はい、ございます。ただ失礼ながらチョコ系となると少々お値段が張りますが……予算は普通でとお伺いしております」

「それは、忘れて下さって結構です。財布を空にしても、シェフの最高の腕を楽しむ所存です」


「承知致しました……」


 シェフが優雅に一礼し、厨房へと消える。



 周りの好奇の目は、すっかりと消えていた。

 代わりに、店内の良い雰囲気を壊さない程度の、質のいい賑やかさが戻ってくる。



「すみません。さっきの方が注文されてたマスとテナガエビって、まだあります?」


「私もマスとテナガエビのやつで」


「テナガエビだけ追加って、出来ますか?」


「さっきパンは要らないと言いましたけど、やっぱり頂きたいのですが……」


「チョコ系のデザート下さい。私も、財布を空にしても、シェフの最高の腕を楽しむ所存です」



 どうも、聞いていた人の胃袋に火を点けたみたい。

 もう私達のテーブルに目を向けず、メニューや目の前の皿に集中している。


 レベッカが、それでも小声でささやいた。


「冷や冷やしたぞ……」


「私が、一般の方に何かするって?」

「あ、いや……その……」


「いいよ。そういうイメージで売ってるからね。でも、覚えてて」


 私はメニューに目を通して、次回の来店に思いを馳せる作業を中断して、周りを見渡した。



「これが、私が守りたいものだよ」



 少しいいレストランで、心地よい空間を共有し、命を繋ぐだけではない食事を楽しむ。

 そんな、慈しむべき時間。


 今は、戦争中だ。

 けれど、それはそういった営みが許されない事を意味しない。


 戦うべきは、軍人だけでいいのだ。


 ……少なくとも、リストレア魔王国においては。


「……お前は、それでいいのか。お前が、攻撃しろと命じたのは……」


 口元に人差し指を当てるジェスチャーで、レベッカの話を遮った。


「分かってるよ。……でもね。これをみんな壊せって、そう命令する人達に勝たせる気は、ないんだ」


 私が下したのは、こんな幸せを全て壊せという命令だ。


 いや、この世界の人間国家の農民となれば、国によって程度の差はあれど、扱いも最底辺。

 魔法のある世界ゆえに、魔力も持たず、教育の機会も与えられない農民がそこから這い上がる可能性など、限りなくゼロに等しい。


 つまり、こんな幸せよりも、もっとささやかな幸せで生きていかなければいけない人達の人生を終わらせる命令だ。


「だから、私はここにいる。この立場で、この名前を名乗ってる」


 リストレア魔王国、魔王軍最高幹部、"第六軍"軍団長、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"。


 私が人類の怨敵と呼ばれ、非道の悪鬼と呼ばれるならば、それは人類が間違えたからだ。

 私は、一度当たり前の幸せを奪われた。


 そして私は、もう一度手に入れたそれを手放す気はないし、私の属する国の幸せを奪わせる気も、さらさらない。


 私が名乗るのは、そのための名前なのだ。



「……私も、同じ気持ちだ」

「はい。マスター、どうかこれからもお側に置いて下さいますよう」



 レベッカとリズに笑いかけた。


「もちろん。私こそよろしくね」


 銀のお盆を手に持ったシェフに、目線をやる。


「デザートが来たよ」


 白い粉砂糖が振られた、キューブ型のチョコケーキと、小さいカップに入ったブラックのコーヒーは、共に最高で。


 ほんの少し、ほろ苦い味がした。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 宣伝部長マスター。美味しかったの感想で売上アップ。 [気になる点] チョコケーキもだけどコーヒーも原価高そう。 [一言] やっぱリズに味見されてるんだろうな
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