忘れえぬ記憶
間もなく城塞都市リタルサイド。
王都よりなお大規模な、リストレア魔王国最大の街に思いを馳せながら、私は口を開いた。
「ところでリズ。報告書に、重要な情報が抜けてたんだけどね」
私は、リズの報告書とレベッカに選んでもらった本で、事前にリタルサイドの知識を入れていた。
「申し訳ありません。不備がありましたか?」
リズが頭を下げる。
「気候、地理的要因、歴史、駐留戦力など、一通り網羅したつもりでしたが」
「そこは完璧だったよ。ありがとね」
「では、どこが?」
「リタルサイドの名物が抜けてる」
「謝ったのを返して下さい」
「それ、必要か?」
リズとレベッカが、ほぼ同時に口を開いた。
「何を言うのリズ、レベッカ。確かに私は公務で行くわけだけど、プライベートな時間にちょっと名物を楽しんで英気を養おうというのが、そんなに悪い事かな?」
「悪い事ではありませんが、報告書の抜けとは思いません」
「全くだ」
「まあそれはそうだけど」
「本当に観光気分ですね……」
「完全に物見遊山だよな」
「仕事は真面目にするから。で、名物って何かある?」
「名物……レベッカ、知ってますか? あそこ、城塞都市ですよね」
「城塞都市と言っても、国境側にしか壁はないからな。名物らしい名物はよく分からんが……監視塔が一つ、一般に開放され、景色を楽しめる展望台になっていると聞いた事はある」
「それはいいね」
「でも、マスターは城塞に行くので……多分、高い所からの景色は好きなだけ見れますよね」
「ああ、そうだったな」
「食べ物とかは?」
「食べ物か……。大体どれも美味しいぞ。知り合いの店もある」
「いいね。みんなで行こう。リタルサイドらしい食べ物ってある?」
「カゴネ湖の魚料理あたりがいいんじゃないか。リタル山脈の雪解け水が流れ込んでいる湖だ。景色もいいし、さっき言った知り合いが湖畔に店を出している」
「レベッカ、よく知ってますね」
「これでも長く生きているからな。リタルサイドにもいた事があるし」
「死霊軍として?」
「ああ。駐留軍としてな。合計で……八十……九十……まあ、百年に少し足らないぐらいだったと思う。最後にいたのは多分十年ほど前だな。その時は、二、三十年はいたはずだ」
「……長くない? 後、なんでそんなあやふやなの」
「長いのは、相応の時間生きて……存在しているというだけだ。自分で言うのもなんだが、私は優秀だから便利使いされる事も多かった。リタルサイドは重要拠点だから、駐留軍としてではなく、短期から中期滞在で派遣された任務も数多くある。逆にリタルサイド駐留の際も、他から呼ばれたり、な。記憶が多少あやふやなのも仕方ないだろう」
レベッカが、どことなく厭世的な笑みを浮かべた。
「それに、不死生物は、過去は過去として割り切って忘れていくのが普通だ。……特に、長い時を過ごすようになるとな」
私は、レベッカの目をじっと見ると、口を開いた。
「私の事も、忘れちゃう?」
「……安心しろ」
レベッカが、皮肉気に笑った。
「私が今まで生きてきた中で、お前が一番珍妙だよ。忘れられるものか」
「照れるよレベッカ」
「褒めてないぞ?」
微笑んだ。
「誰かに覚えていてもらえるのって、嬉しいよ」
「……そうか」
レベッカが、苦笑気味ではあったが、確かに微笑みを浮かべる。
「……マスターは、私達の事、忘れちゃいますか?」
リズが、不安そうに耳を少し下げて、首を傾げた。
「私人間だから、みんなの事忘れる前に死ぬと思うんだよ」
「……そういえば人間だったな、普通の」
「レベッカ。それ、どういう意味かな」
「言葉通りの意味だ。気にするな」
「割と気になるけど……まあいいか」
頷いた。
そしてきっぱりと断言する。
「私は、忘れないよ」
この世界に来る時、大事な記憶をたくさん失った私だけど。
この世界でまた、失いたくない記憶が出来た。
「……そうですか」
リズが嬉しそうに微笑み、長い耳が少し上がる。
花の咲いたような笑顔、という言葉はきっと、今の彼女の愛らしさを表現するためにある言葉だ。
「ていうか、こんな可愛いダークエルフのメイドさんとエルフ耳の幼女を忘れる方が、人間としてどうかしてる」
「……マスターが人間としてどうかしてます」
また耳の下がったリズ。
「全くだな。まともな人間のする発言じゃない」
小さくため息をつくレベッカ。
「光栄だね」
私はにやりと笑った。
「私は"病毒の王"。この名前は、人間としてどうかしていなくては、名乗れる名前ではないぞ」
「それはそうなんですけどね……ちょっと違う意味でどうかしてる気がするんですよね……」
リズの言葉は、聞き流す事にした。




