竜の翼の音
自室で書類仕事をしていると、ノックの音が聞こえた。
「入って、リズ」
許可を出すと同時に、リズが素早く入室する。
ちなみに聞く前にリズだと分かったのは、彼女と私しかこの屋敷にはいないというだけの話だ。
目を通していた書類を机に置いて、顔を上げた。
「マスター。――悪い知らせです」
「どんな」
色んなパターンが瞬時に頭を駆け巡った。
「ランク王国の現地活動班に犠牲者が出た模様。使者が来て、報告が入りました。詳細は不明ですが、取り急ぎ第一報を。館に来ておりますので、直接話を聞く事も出来ますし、私が聞いた後、まとめて文書化してお渡しする事も出来ます」
「直接聞く。案内して」
立ち上がった。
「はっ……こちらです」
リズが軽く頭を下げ、先導するのに付いていく。
「マスター。仮面は?」
「要らない」
「分かりました」
謁見室に入る。
赤絨毯が敷かれ、一段高い段と、そこに置かれた椅子があるだけの部屋だ。
「"病毒の王"様がお見えです」
「あ……"病毒の王"様……? ご無礼を。このような……見苦しい姿で……」
椅子の前の床にへたり込んでいるのは、焦げ茶のフードをかぶった男のダークエルフだった。全身のそこかしこに乾いた泥がこびりつき、ボロボロで、疲れ果てているように見える。
立ち上がろうとして、失敗するほどにふらついていた。
「そのままでいい。見苦しい事などあるものか。すまないが、休む前に話を聞かせてくれ」
手で制し、座り込んだままの彼の近くへと歩み寄る。
「"ドラゴンナイト"が出てきました……」
「……どうなった?」
――"ドラゴンナイト"。
三大国の一つ、ランク王国の誇る、最高戦力。
大空を自在に舞うドラゴンを駆る竜騎士達。
その数は、実に百騎を超える。
「こちらの飛行型不死生物十四、及び各二ずつの随伴死霊がやられました」
「……死んだ、のか?」
「はい」
彼は、力なく頷いた。
「全滅……です。私以外……」
目の前が、真っ暗になった。
失った……!
戦力を!
機会を!!
部下を!
仲間を……!!
怒りと、後悔が、内臓を滅茶苦茶に掻き乱していく。
吐きそうだ。あるいは、心中を全て吐き出してしまいそうだ。
手近な何かを殴りつけるか、誰かを怒鳴りつけたくなる衝動を、右の手のひらを強く口元に押し当てる事で全て身の内に抱え込む。
そのまま椅子に腰掛けた。
動作は自然と乱暴になり、がたん、と音を立てる。
「ろ、"病毒の王"様……」
「……残存の、戦力は。生き残りは、いるのか。擬態扇動班は?」
自然と、固い声と口調になる。
「は、はい。擬態扇動班は全員無事です。暗殺班は、さっき言った通り、移動用の飛行型不死生物が全滅、同時に死霊が二十八名やられ……他に、地上にいた者もダークエルフと獣人、あわせて二名がやられました。私一人を残して……ほぼ、全滅いたしました」
報告を終えると、うなだれる。長い耳も力なく下げられていた。
「そうか……」
椅子から立ち上がる。
「ありがとう」
「……は?」
「よく生き残ってくれた。よく、帰還してくれた。よく、報告してくれた」
歩み寄り、膝を突いて、彼の手を両の手で握り込んだ。
「本当にありがとう」
「そのような! そのようなお言葉ッ……!」
悲鳴のような声で、勢いよく首が振られた。
「自分は失ったのです! 部下を……仲間を、みすみすっ……!」
「私の命令だ。――部下を失ったのは、私のせいだ」
自分が、非道を行っているという理解はある。だが、それは敵国だ。敵の国の、自分達とは違う、自分達を殺す事を許容した国の住民相手に、だ。
これは、違う。
命令を下した時、知っていた。
全員が帰ってくる事はない。
犠牲のない作戦などない。
犠牲のない戦争など、ない。
安全を最優先させてなお、それでも。
そして死ぬのは、最前線の部下なのだ。
「責めてくれて構わない」
「誰が……誰がそのような……」
うつむいた顔がフードに隠れる。
フードでも隠せない涙が、頬を伝うのが見えた。
「誰がそのような……」
彼の肩に、そっと手を置く。
「後でまた、詳細をリズにも話して報告をまとめて欲しい。……だが、一日は休んでくれ」
「はい……」
彼が退室すると同時に、天を仰ぎ、両目を両の手のひらで覆った。
「人間共めっ……!」
怨嗟の声が漏れる。
ランク王国内に派遣した暗殺班の一つから、飛行系の不死生物を使っての、上空からの攻撃が上手く行っていると報告を受けたのは、つい三日前の事だ。
物流の中継になっている都市を攻撃したと聞いた。
大岩を落とし、倉庫の屋根を破壊してから、馬の死体を放り込んだとか。
現場からの発案であり、事後承諾に近い報告だった。
けれど、現地活動班にはそれだけの権限を与えている。
効果の大きそうな作戦を発案し、実行出来る部下を頼もしく思ったものだ。
それは、つい三日前の事だ。
効果は絶大だったのだろう。
敵に、切り札を投入する事を決意させるほどに。
「……リズ」
「はい、マスター」
「ランク王国での、攻撃の手を緩めるべきか否か。どう思う?」
「……マスターの好みの答えと、そうでない答えがあります」
「その順番で、両方頼む」
「下げれば、損耗はなくなります。"ドラゴンナイト"が出てきた以上、軽はずみな行動を行うべきではありません」
「うん」
頷いた。
「……もう片方、よろしく」
「攻撃を続けるべきです。もう、空を飛べない事を前提に作戦を以前の物に戻し、編成を組み直しましょう」
「……また、死ぬかもしれない」
「元より覚悟の上です」
「私の……覚悟じゃないんだ」
口の中に、苦い味が残っていて。
「覚悟、してる、つもりだったけど」
胸の奥が、ひどく痛んだ。
「慣れないんだ。慣れないんだよ」
これほどの被害を出したのは、初めてだ。
けれど、今までだって部下を何人か失った。
その度に、私はこの苦さと痛みを味わった。
「自分の命令が、味方を殺すのにだけは……」
「――だからこそ、です」
リズが、静かに、けれど力強く断言した。
「私達が、その覚悟はします。私達はリストレア魔王国の軍人。そして"第六軍"の長たる"病毒の王"の名の下に戦っています」
彼女の目には、何の迷いもなかった。
「お命じ下さい。あなたのために戦えと。あなたのために死んでこいと」
前線を知らぬ者の口から出たとすれば、あまりにも心ない言葉だった。
けれど、彼女は近衛師団の中でも、折り紙付きの叩き上げだ。
立場ある者も、そうでない者も、命令に従って暗殺し続けた、生え抜きの精鋭暗殺者。
"薄暗がりの刃"の名は、酒場の与太話が元と聞いてはいるが、同時に与太話の方が真実に近いという事も知っている。
「……私に、そう命令しろって?」
彼女の言葉は、きっと正しい。
「――私を信じてくれるもったいない奴らを死地に追い込めって? 炭鉱のカナリアをやれって、命じるのか?」
それでも、正しさとは、心が痛くない事を意味しない。
「……はい」
それを分かっているのだろう。リズも、表情を引き締めたまま、顔を伏せて一礼した。
「でも、そうしろとは言いません。戦力の温存が、正しいかもしれません」
正しい事が、誰の目にも分かればよかった。
「何が正しいかは、分かりません」
この胸の痛みが、正しさを教えてくれるのなら。
痛くないという事が正しさの証明ならよかった。
せめて、痛い事が正しいという事ならよかった。
「……理性と、感情……判断基準にどっちを使っても後悔するな……」
理性は、攻撃を続けろと言う。
感情は、今すぐ部下を安全地帯まで逃がせと言う。
決めなければ、ならない。
何が正しいかを、考えて、決めて。
そして命令するのが。
指揮官の――魔王軍最高幹部、"病毒の王"としての、私の仕事だ。
「まずは詳しい報告を聞いてからにしよう。なるべく多く情報が欲しい」
「はい」
「でもリズ、多分、私は必要なら……」
少し迷って、そのまま言葉を続けた。
「死んでこいって命令するよ」
そして顔を伏せる。
「でも、部下には一人も死んで欲しくないって……思うんだ」
「それは、マスターのいい所ですよ」
リズが微笑んだ。
「そういう方だからこそ、あなたの命令に従う者達がいるのです」
「……そうか」
「そうです」
「私も、少し休む」
椅子から立ち上がった。
胸の奥が、痛んで。
私を信じた人が、何十人か、いなくなったという事が、寂しくて。
私はリズの方を見た。
「……一緒に寝る?」
「隣で寝るだけなら」
「それでいい。お願い」
自室の豪華なベッドで、私は眠れないでいた。
清潔なシーツも、ふかふかの掛け布団も、光を遮る天蓋のカーテンも、普段なら安眠を約束してくれる要素なのに。
窓と天蓋の、二重のカーテンの隙間から部屋に忍び込む月明かりが、私の目を闇に慣れさせていく。
私の横で、目を閉じて静かに寝息を立てるリズの顔を眺めた。
声を掛ける。
「リズ。起きてる?」
「今目が覚めました」
ぱちりと目を開けるリズ。
必要とあれば、いつでも好きな時に眠れる訓練と、いつでも起きられる訓練を積んでいる――との事。
「……眠れないんだ」
「私に、何か出来る事はありますか?」
「抱きしめていい?」
「……いいですよ」
リズが布団を持ち上げて、スペースを作ってくれる。
距離をゼロにして、彼女の背に腕を回す。
彼女の肩に額を当てるように体を丸め、寄り添った。
もう一度、目を閉じる。
「マスター、冷たいですね」
「リズは、あったかいね……」
じんわりとしたぬくもりが、心と体のこわばりを取っていく。
それ以上口を動かすのをやめて、意識的に、ゆっくりと、そして深く規則正しい呼吸をする。
後は、ぬくやわこい感触に身を委ねていればよかった。
さっきまで眠れなかったのは、一体なんだったのかと思うぐらいに、私はするりと眠りの世界に落ちていった。
「マスター?」
リーズリット・フィニスが、自分に抱きついて一分もしない内に寝息を立て始めた主を、小声で呼ぶ。
「抱き枕になった甲斐は、あったみたいですね」
起こさないように気を付けて、少し布団を引き上げて……そこでふと思いついて、そっと黒髪を撫でた。
「……おやすみなさい」