失われたもの
ハーケンに以前の職場での扱いを聞いていたら、飛び出したのは『死霊軍付きの備品』という衝撃的なパワーワード。
「……今、備品って言った?」
「うむ」
「なんでまた」
「召喚具に封じられた召喚生物であったからな。主を待ちつつ、国境防衛戦の際にはエルドリッチ殿を臨時の主として召喚に応じる契約であった」
「基本的な事で悪いんだけど、召喚生物って、アンデッド……不死生物とは違うの?」
「基本は変わらぬと言ってもよい。自然発生ではなく、死体と魂の残滓を媒介に召喚される不死生物もおるゆえな。だが、魔力切れを起こせば不死生物にとっては死……存在の消滅であるが、召喚生物は召喚具に戻るだけである」
「便利だね」
「その代わり、召喚生物は、条件を満たせば従属せねばならぬ。召喚具を壊されても死ぬ。中々に不便な立場よ」
「答えたくなかったらいいんだけど、なんでそんな立場に?」
「我は元は、暗黒騎士ゆえにな。死後も戦う事を望んだまでの話」
「暗黒騎士団の人だったんだ。じゃあもしかして、ブリジット――じゃなかった。ブリングジット・フィニスの下で働いてたりした?」
「いいや。かの御仁の下で働いた事はない」
ハーケンが、かちり、と歯と歯を噛み合わせて音を鳴らした。
「我が死んだのは、建国まもない頃であるがゆえに」
「え!?」
今は、建国歴四百二十年。
「って事は、四百歳以上?」
「生きておれば、な」
ハーケンが頷く。
「大先輩だったんだね……」
「そうなるか。だが、今の我は一介の召喚生物であり、汝が従僕である。そのように扱って頂いて結構だ」
「そう。分かったよ」
頷いた。
年上の部下とて、軍隊という組織は階級に従って扱えばいい、という事だ。
原則ではあるが、本人がそう言ってくれると、ありがたい。
「……聞いても、いいかな。死後も戦う事を選んだ理由と、その方法」
「方法は教えられぬ。生前に外科手術で背骨に契約の術式を刻んだだけであるが、今は廃れた呪法だ」
ハーケンが、露出した背骨をとん、と革手袋の指先でつつき、撫でる。
「これが我よ。ここを覆うように服や鎧をまとう事が出来ぬというのが、この身の制約だ。おかげで、並の骸骨よりは恵まれておるがな」
「なんで弱点さらしてるんだろうって思ってたけど」
「弱点には変わらぬが、むしろ弱点をさらした方が、相手が狙ってくれるものでな。実は存外戦いやすい」
達人のセリフだ。
「この身になった理由は……そうさな。誰にも話した事はなかったが……主殿になら、話してもよかろう」
ハーケンの瞳に相当する、眼窩に燃える青緑の鬼火が揺れた。
「惚れた女性がいた」
「詳しく」
「中々の食いつきであるな。……だが、短い話になる」
そう言ってハーケンは話し始めた。
「我は暗黒騎士であり、彼女は市井の一市民。建国し、戦力を束ねたところで、所詮は寄り合い所帯。数も今より遙かに乏しい。指揮系統も魔王陛下を頂点とするだけの烏合の衆。……ゆえに我らは敗北を重ね、次々と領土を失った。そういった地域の一つが、我と彼女の故郷であったというだけの話」
それが、四百年以上前にあった、この国の始まり。
この国の歴史は、苦難と敗北の歴史だ。
「守りたかったのだ。そして弱い自分では、いたくなかった」
「守れた……の?」
「おそらくは逃げ延びたろうが……分からぬ」
「分からぬって……」
「我は戦場で果てたのでな。……そして、記憶を随分と冥府へと置いてきた」
不死生物は、生前の存在とは明確に区別される。
違うのだ。
『生前』と同じ名前を名乗るアンデッドは多い。
生前の記憶を保つ者も、だ。
それでも、多くの記憶が失われ、そしてもはや生者の魔力を吸い取らねば、存在すら出来ない。
それが、不死生物だ。
「残ったものは剣の技であり、自らがこの国の守り手であるという認識だけと言っても過言ではなかろう」
ハーケンの声が、ふっと寂しげな色を帯びた。
「その女性の顔も、名前も……もう、はっきりとは覚えておらぬのだ。忘れまいと、思った事は覚えておるのにな」
「ハーケン……」
私が、ハーケンに感じた物が何か分かった。
共感。きっと、大切な物を記憶ごと失ったという共通点を、無意識に感じ取っていたのだ。
「そんな顔をするでない、我が主」
「だって」
私は、どんな顔をしていたのだろう。
少なくとも、彼にそう言わせるような表情だったのだ。
でも、分かるから。
大切なものが、自分の中から失われた事が。
失ってはいけないものが、損なわれ、失われてしまった事だけは、分かるから。
その時の気持ちが、分かるから。
「過ぎた事よ。この身が果てた時、暗黒騎士団のハーケンは死んだのだ」
現代日本の社会人としての私は、もう『死んだ』。
だけどそれでも。
「だがそれでも、我は戦おう。騎士の誇りはもうなくとも、守りたいものは、まだあるゆえに」
そう言うハーケンは、彼の言葉とは裏腹に、騎士に見えた。
言葉では何と言おうと、誇りをこの死霊騎士は捨てていない。
騎士が守るべきものとは、騎士道物語で語られるような薄っぺらい騎士道精神ではないのだ。
「そして、我は、主殿の事を頼もしく思っておる。……勝たねばならぬ。どんな手段を使っても」
「ああ」
私は、"病毒の王"として頷いた。
「ハーケン。――思ってたのとは違った内容になったけど……話せて良かった」
「我もである」
ハーケンが、深く頷いた。
ハーケンの部屋を出たところで、丁度リズと出会った。
「おや。珍しい組み合わせですね」
「あ、リズ」
「何。楽しい一時を過ごさせて頂いただけの事である」
リズが、じっとりとした視線を向ける。
「……ハーケンと二人きりで何してたんですか?」
「リズにそういう目で見られる事は何もしてないから」
振り向くと、ハーケンに目線をやった。
「お話してただけだよ。新しい部下とね」
「うむ。新しい上司とな」
からからと、ハーケンが顎骨を打ち鳴らして笑った。




