ハーケンとのお話
「ハーケン」
小声で、廊下の角からちょいちょいとハーケンを手招きした。
「む。どうなされた」
着任してから、同じ護衛班という事で、サマルカンドと二人でいる頻度の高いハーケン。
今は、一人だ。
「ちょっといい?」
「我が主の命令が最優先される。と言っても、今はただの巡回だがな」
正確に言うと、サマルカンドが王城への連絡へ出向いて、一人になった隙を狙っている。
「人に聞かれたくない話かとお察しする」
「うん、まあ」
「では、我に与えていただいた私室でよろしいか?」
「それでいいよ」
ハーケンの私室は、一階にある。
以前はトラップが仕込まれ、立ち入り禁止だった部屋の一つだ。
館内の罠は、以前と比べて大分整理・縮小された。
一つは、レベッカとハーケンという新戦力の加入により、罠に頼る必要性が減った事。
もう一つは、サマルカンドと元ドラゴンナイト隊長の襲撃で、リズクラスの精鋭暗殺者特製の罠ですら、英雄クラスを止めるには力不足だとはっきりしてしまったという事だ。
なので、館内は安全性の向上も兼ねて、徹底的に侵入感知に特化したセキュリティトラップオンリーになった、と聞いている。
ちなみに、庭にはうっかり数に任せて攻められた時の備えとして、デストラップが満載なので、今後も絶対に不用意に茂みや外壁のそばには近付かないように、と言われている。
「……なんというか……質素な部屋だね」
ハーケンの部屋は、ほとんど物がなかった。
壁に予備らしい長剣と短剣が一つずつ掛けられ、隅に手入れ用らしい油の缶と、畳まれたぼろ布が積まれているぐらいだ。
ベッドすらなく、小さな丸テーブルと、椅子が二つあるだけだ。
元々使用人の部屋と聞いているし、あまり豪華な部屋ではない。
「召喚生物ゆえな。武具の類を置けば、それで終いである」
「部屋に不満はない?」
「言った通り、我は召喚生物で、不死生物である。人を招く事が出来て、普段の武具の手入れに支障がなければ問題はない。ゆえに不満などはないとも」
「ならいいんだけど」
「しかし、茶なども常備しておらぬでな。何も出せぬ不調法さを詫びさせていただこう」
「あ、ううん。気にしないで。私が押しかけたんだから」
慌てて首を振って、手で示された椅子に腰掛ける。
ハーケンも椅子に腰掛け、テーブルに肘を突いて、革手袋に包まれた手を組んだ。
「それで、主殿? どのようなお話か」
「新しい職場には、慣れたかなって」
「……それだけであるか?」
首を傾げて見せるハーケン。
不死生物の類は、結構ジェスチャーで意思表示をしてくれる。
それは特に、不死生物でない相手と働いた経験の長いひとに顕著だ。
表情の読めない相手とのコミュニケーションに気を遣える人材という事であり、率直に言って、とてもありがたい。
「そうだけど」
「いや、我が主殿はマメであるな。てっきり、政敵の暗殺でも命じられるのかと思っておった」
「何そのイメージ。というか、そういうの頼まないから」
「そうであった。リズ殿は我の何倍も優秀な暗殺者であったな」
大袈裟に頷いて見せるハーケン。
「待って、ハーケン。まず誤解を解いておきたいんだけど、私、特に政敵とかいないし、リズに暗殺を命じた事とかないからね?」
「おや、そうであったのか。……暗殺班を部下に抱えていたはずであるが?」
「あれは、正規の作戦行動だよ。それも、敵軍相手のね。――私は、友軍に対して暗殺という手段を用いた事は、一度もない」
確かに、リズが『元』友軍を暗殺した事は何度かある。
だが、それにしても陛下の命令だ。
「……非礼をお詫びしよう。噂など、当てにならぬものであるな」
「気にしないで。……でも参考までに、その噂聞いていい?」
「何、血も涙もない非道の悪鬼というだけである」
「ああ、うん……まあそういうイメージで売ってるんだけど……」
「悩みがあればお聞きしよう。何、口は堅い方である」
「それを聞きに来たのは私のはずだったんだけど……」
「ふむ。と言われてもな。職場に慣れたかとの事であったが、この職場はよい職場であるぞ? リズ殿もレベッカ殿も、共に優秀な暗殺者であり魔法使いだ。サマルカンド殿も実直な人柄でありながら、中々に話好きなお人であるしな」
「え、サマルカンドと世間話するぐらい仲良くなったの?」
意外だ。
この二人、何話してるんだろう。
「うむ。いかに素晴らしい主かを、万の言葉を使って力説して下さったぞ」
「……うん、なんかその……ごめん」
思わず目をそらす。
「主殿が謝られる事ではない。部下に慕われる上官というのは良い上官だ」
「そう言ってくれると助かるよ……。でもたまには、サマルカンドと他の話もしてあげて」
「しておらぬとは言わぬが、やはり主殿の話をする時が良い顔をされているのでな。つい楽しくなって聞き入ってしまうのだ」
「はあ……」
二人が楽しいなら、いいんだけど。
もう少し聞いてみたい気もするが、話題を変える事にした。
「ところで、ハーケンは、以前はどこの部署に? 資料がないんだけど」
「リタルサイド城塞にて、国境防衛の任に就いておった。いわゆる後詰めよな」
リタルサイド城塞。
私は素通りした事しかないが、一応行った事もある国境の砦であり、王都をも上回る防衛戦力が常駐する、リストレア魔王国の最大の防衛拠点だ。
「六度の出撃を経験した。それなりの戦働きをしたと言っても、大ぼら吹きと呼ばれる事はあるまいて」
「なんで、今回うちに来てくれたの?」
「我が主のおかげで、国境が安定したものでな。死霊軍総帥のエルドリッチ殿より直々にお話を頂いた。気に入らなければ帰ってくるが良いと言ってもらった事もあり、お受けしたのだ」
「気に入った?」
「素直にお答えするとしよう。とても、気に入った」
力強く頷くハーケン。
「六度の国境防衛を果たした事が我が誇り。だがこれよりは、七度目の国境防衛戦を、幻とするために戦わせていただこう」
ハーケンが、革手袋のはまった手で、胸元の布地に刺繍されたリストレア魔王国の紋章を力強く叩く。
「……とはいえ、しばらく戦闘はないのであろう?」
「うん、まあ。護衛班って事になるから、予定されてる戦闘はないね。いつでも突発的なものだから」
「それは国境防衛も同じであるよ。歩哨も経験しておるし、待つ事には慣れておる」
「一応サマルカンドの部下という事になってるし、序列五位だけど、その辺どうかな」
「厚情に感謝を。サマルカンド殿も、上官にするに問題なき器量のお方よ。同僚としても無論言う事はない」
「まだそんなに長くないけど、待遇に不満は?」
「特には思いつかぬな。だがせっかく気を遣ってくれているのだから、何かあれば陳情に伺おう」
「分かった。そうして」
頷いた。
不満は怖いが、もっと怖いのは不満が爆発する事だ。
「前は、どんな風に働いてたの?」
今後の労働環境を整備していく参考になればと、軽く話を振ってみる。
「ふむ。有り体に言えば、死霊軍付きの備品であった」
「……なんだって?」