黒いもふもふの海の中で
仕事が、とても忙しくなった。
定期報告のチェックをするいつもの仕事以外は、プライベートの時間も削って、新しく入ったお仕事に励む。
少しばかり『ブラック』な労働環境だ。
一匹のバーゲストの後ろに座り、首筋の黒く艶やかな体毛に指を差し込み、もつれたそれを指でくし梳かす。
ふんわりした首元の毛にそっと頬を埋めると、さわさわした毛先がくすぐったくて、自然と笑みが浮かんだ。
もう本当にブラック。
一応はバーゲストの事を警戒し、監視しているリズが口を開いた。
「マスター。経過は、どうですか?」
「順調極まる!」
「……あ、はい。何よりです」
誠心誠意心を込めて、国家のために忠勤している私の顔に影が落ち、レベッカの声が降ってきた。
「……報告は聞いているが……今、何をしているのか、聞いてもいいか?」
――バーゲストの腹毛を枕に芝生に寝転んで、わさわさと塊になった黒犬さん達を、手のひらに触れた端から撫でるというお仕事を中断し、身体を起こして座り直した。
黒い毛玉の海がうごめき、固まって寝転んでいたバーゲスト達がばらけて、私を中心に集まり直す。
「お仕事中! あっ、こら、お話中は舐めるんじゃない」
その内の一頭が、べろんと頬を舐める。
確かに舐められたはずなのに、すーっと唾液は消えて、不思議な清涼感だけが後に残る。
とても楽しいが、お話中に邪魔をするのはよくないので、ぎゅーっと首筋を強く抱きしめて拘束する私。
どうも気に入られたらしく、大人しく受け入れるバーゲスト。頭を私の肩に載せて、体重をゆるく預ける。
「……これが、黒妖犬だと?」
「私にとってはね」
耳をよけて、頭を撫でる。
一通り撫でて解放すると、名残惜しそうに入れ替わった。
次の子の前に手のひらを上に向けて差し出すと、お手をしてきたので、両手で包み込んで肉球を揉み倒した。
「これが、黒妖犬を懐かせる手法だというのか?」
「正直言って、一から使える『手法』かは知らない。でも私は、そうじゃなかったとしても、こうするよ」
そうしている間にも両側からすり寄ってくる二匹のバーゲストの首筋を、両腕でかき抱いた。
「全く、大変なお仕事だね」
「なるほど。随分と楽しそうなお仕事だことで……」
そしてくるりと踵を返そうとするレベッカ。
「――レベッカ。おいで」
「……は?」
「『この子達』はこの館の守護者にして、私の手足たる魔獣だ」
「あ、ああ……」
キリッとした"病毒の王"の口調になった私の言葉に、レベッカが気圧されたように頷く。
「この子達と君は、明確な友好関係を築くべきだと、私は確信している」
「マスター、相変わらず適当な理屈付けの時だけは、お口の回りが絶好調ですね」
私の真面目な口調に惑わされる事なく、若干冷ややかな視線を向けるリズ。
「そんなに褒められると照れるって」
「褒めてませんよ?」
「言葉は受け取る側によって意味を変えるものだよ」
「さすがに元の意味を変えすぎだと思うんですよ」
正論なので、聞かなかった事にした。
反論する代わりに、手招きする。
「リズもおいで」
「……分かりました。さ、レベッカ」
リズがレベッカを促す。
「え? え?」
困惑するレベッカに、リズが微妙に死んだ目で現実を告げる。
「死霊軍でのお仕事が、一体どういうものだったのか分かりませんが……ここではこれも、立派なお仕事なんですよ……」
「えっ、うわっ、ちょっ! ――なあ! これ本当に大丈夫なんだろうな!?」
私より体が小さいので、バーゲスト達にすり寄られ、のしかかられると、すぐに埋もれて見えなくなるレベッカ。
彼女の慌て声をよそに私は、服が黒一色なので、バーゲストの体毛と同化しやすいのも一因か、と冷静に分析する。
黒いもふもふの塊がうごめく様が何かに似ていると思ったら、ニホンミツバチが天敵のスズメバチ類に対して行う『布団蒸し戦法』だった。
「安心しなさい。命を懸けて保証してやろう。ただお前達、手加減しろよ。ていうか、何匹かこっちおいで」
新顔が嬉しいのか、割と人気なレベッカ。
ちょっぴりジェラシーを覚えるほどだったが、手を広げて呼ぶと、半分以上がこっちに来た。
嬉しくなって、構い倒す。
リズも、大分この子達のあしらい方が上手くなった。
かつて黒妖犬の群れ――獲物を見定める上手さから、『見たら死ぬ』と言われるほど恐れられる――とやり合った事があるというから、触れる手がぎこちなかったのも今は昔。
芝生に膝を崩して座り、二匹の顎裏を指で掻いている様は尊い。
「な、舐めるな。あ、噛むなよ? 絶対噛むなよ!?」
レベッカも、いずれ慣れてくれるだろう。
今は、大きな口に呑み込まれそうになりながら、小さな手を舌で舐められたりしているが。
命に懸けて保証したし、安全だと信じてはいるが、どうも味見に見えて、不安になる光景ではある。
リズに二匹、レベッカに三匹。そして私に六匹がすり寄って、思い思いに構ったり構われたりしている。
後二十匹か、それ以上増えるとなると、これは忙しくなるかもしれない。
フードを軽く噛まれて引っ張られたので、その子の首元にもたれかかるように倒れ込む。
わらわらと寄ってくる他の子達を先着順で捕まえ、抱きしめ、黒いもふもふの海に埋もれるように寝転がった。
「……やっぱりマスターへの懐き方はおかしいですよね」
「やっぱりこれ、お前の目から見てもおかしいんだよな。私だけがおかしいんじゃないよな」
私は、"病毒の王"。
国家に忠誠を尽くす、魔王軍最高幹部。
今日も、国家のために身を粉にして働いたという自負がある。
――可愛い女の子二人と一緒に、十匹以上の大型犬とたわむれる、とても幸せなお仕事だった。




