信頼に足るもの
「あ、レベッカ。散歩でも行かない?」
気分転換に自室を出たところで、たまたまレベッカがいたので声をかけた。
「なんだ。リズに外出許可は取ってあるんだろうな」
「いや、散歩って言っても庭先をぶらぶらとね」
「まあ、構わないが」
「ありがと。じゃあ行こうか」
庭に出ると、バーゲストが足下に寄ってきたので、軽く首筋を撫でた後、引き連れてゆっくりと歩く。
「黒妖犬……話には聞いていたが、本当に安全なんだろうな?」
「安全だよ。大体、今はこの子一匹だけだし」
黒妖犬を使役するに当たって、安全限界は十匹とされる。
しかし、接触相手から吸収した魔力を糧に数を増やすという性質上、構い倒している内にいつの間にか増えて、一番多い時で四十八匹いた。
それが、今手元にいるのはたったの一匹。
けれど、この子が王城へ助けを呼びに走ってくれたからこそ、私は今生きているのだ。
二人共無言で歩いていたが、レベッカが口を開いた。
「……本当にただの散歩だな」
確かにただ庭を歩いているだけだ。
隣のレベッカの、割と下の方にある頭に載っている、きらきらと日の光を浴びて輝くティアラの精緻な細工とか、ピンと伸びたエルフ耳とか、小さくて愛らしい顎のラインなどを鑑賞しながら、だが。
「歩くだけで、楽しいのか?」
ちらりとこちらを見やる深紅の瞳を、見つめ返す。
バーゲストに加えて、彼女もまた楽しい要因の一つなのだけど、それはそれとして、私は普通に答えた。
「ちょっと体を動かすだけでも、結構気分が変わるものだよ。おうちの中で陰惨な計画立ててばっかだと、それこそ非道の悪鬼って呼ばれかねないし」
「それはもう呼ばれていると思うし、それが仕事なのでは?」
「まあね」
頷いた。
自分が非道の悪鬼と呼ばれ、恐れられたり頼りにされたり罵られたりする未来は、この世界に来る前の私は、一ミリも思い描いたことがなかった。
「それにね。レベッカはここでずっと過ごしてると思うけど、私はまだこの国に来て、一年ちょっとだから」
季節がどんな風に移り変わるか。
二年目の今年だからこそ、去年と同じ空気感に触れる事を、嬉しく思う。
すっかりと秋だ。少し庭をぶらつくには、よい季節。
この国の秋は、短いから。
それを愛おしむのには、ほんのわずかな時間しかない。
「……そうだったな」
レベッカのまとう空気が、少し真剣な物に変わった。
私が感じた印象そのままに、彼女は真面目な口調で口を開く。
「聞いても、いいか?」
「散歩中の雑談の範囲ならね。私、今お仕事モードじゃないから、大抵の事は笑って流せるよ」
「……私は、お前をどのように信じればいい?」
「信じてないの?」
軽く首を傾げる。
「誤解するな。私はお前の部下だ。"第六軍"の序列第三位を頂いた。立場を忘れる事はないし、仕事はする。これは、そのための信頼関係を築くための質問と思って欲しい」
「分かった」
頷いた。
「……でも、難しいね。階級や立場じゃ、駄目?」
「それをかさに着て遊ばれた身としては、な」
「それはごめんね。つい魔が差して」
「つい……?」
「レベッカが可愛いのが悪いんだよ。全く。これだから美少女は」
「待て。なんで私が悪い流れになっている」
「それはもう。可愛さはそれだけで罪だから」
「危険思想すぎる」
「あはは」
笑った。
そして笑みを口元に留め、ゆっくりと唇を引き結ぶ。
「私はこんなだけどね。それでも――こんな私を、信じてくれる人がいるんだよ」
何も、持っていなかった私を、友人と呼んでくれて。
妄言に近い、真っ黒に歪んだ戦争計画を語る私を、最高幹部にまで取り立ててくれて。
護衛として、副官として、メイドとして、陰日向なく働いてくれて。
暗殺に来たその足で、忠誠を誓い、自らの命を盾としてくれて。
そういった人達がいるから、私は今この立場にいる。
「私は、その信頼を裏切るつもりはない」
一周して、玄関まで戻ってきていた。
「こんな感じで、どうかな?」
「……悪くは、ない」
「――ここから、お仕事モードで、"病毒の王"として言おうか」
玄関入り口の石段を登り、登り切ったところで振り返る。
ばさり、とローブの裾がはためいた。
「私を見ていろ」
力強く宣言する。
「私は"病毒の王"。"第六軍"、魔王軍最高幹部。この名前は、伊達や酔狂で名乗れるほど軽い名前でも、立場でもないぞ」
この名は忌名。
恐れられ、忌避されるための名前だ。
この国の闇全てを束ねた存在として、あらねばならない。
「マスター。可愛い子にはかっこつけますよね」
そこに、リズが現れて、玄関の扉を細く開けた隙間から、湿度高めの視線と言葉を向けてくれた。
「しー、リズ、しーっ!」
人差し指を唇に当てて、黙ってなさいというジェスチャーをする。
リズがため息をつきながら、扉を押し開けて固定した。
そして、私の右斜め後ろに立つ。
なんとなく、しっくり来るものを感じる立ち位置だ。
「……なあ、リズ。私は本当にこいつを信じていいのか?」
「当たり前じゃないですか」
弾かれたようにリズを見上げたレベッカに、リズが微笑んだ。
「この方は"病毒の王"。我らが魔王軍最高幹部。信頼に足るお方ですよ」
「……そうか」
レベッカが、納得したという風に一つ頷いた。
「でもセクハラされたら言って下さいね。なるべく拒否して下さいね。あんまりな物は、実力で抵抗して下さいね」
「今、信頼に足ると言ったというのは私の記憶違いか?」
リズと私をジト目でやぶ睨むレベッカ。
「レベッカには教えておきましょう。魔王軍最高幹部の選定基準は貢献度と指導力であり、『性格』や『素行』ではないのです」
「軍を辞めるのを検討するお言葉を頂いて感謝するよ」
「大丈夫大丈夫。私はこう見えても常識的な上司だよ」
「歩く非常識が何を」
リズの辛辣な言葉にめげない。
「きちんとお給料は出すし、リスクとリターンを考えて、あんまり危険な任務はさせないよ。命令は明確に誤解させないように説明して、命令書と報告書をちゃんと作成するよ」
実は、私が陛下に重用されているのは、書類周りが完璧、という一見地味な要素も大きい。
もちろん、リズという優秀な副官さんの助けあっての事だ。
「……まあ、その辺は結構大事なんですが」
「それより大事な点があるような気がする」
「今の生活はお仕事がプライベートに食い込んでるからね。つまり、プライベートにもお仕事に食い込む権利があるって寸法だよ」
「いや、その理屈はおかしい」
「私は今からお仕事するけど。レベッカ。また遊んでね」
手をひらひらと振って、部屋へ戻る事にした。
「……私は、『はい』と言うべきなのか?」
「一応。……まあ、慣れますよ」
「慣れたくない」
「慣れますよ……」
リズの声が、妙に遠い所を眺めるような雰囲気に満ち溢れていたので、私は振り向かない事にした。