正論の通用しない相手
それから数日、私は皆を眺めていた。
いや、変な意味ではなく。
リズとレベッカをしみじみと眺める時間がつい多くなった事について否定はしないが。
リズとサマルカンドだけで、班とは名ばかりだった護衛班に死霊騎士たるハーケンが加入。
レベッカが、死霊軍時代と変わらず地下の実験室で術式を改良しつつ、彼女指揮下の不死生物により屋敷の防衛戦力を充実。
新しい体制が、上手く回っているかをチェックしていたのだ。
ハーケンとは、いずれちゃんと話をしたいが、ひとまずサマルカンドと割と仲良さそうにしているので安心した。
レベッカも、地下にいる事が多いが、とりあえず元気そうにしている。
私を見る度に、警戒心を見せるのはやめてほしいが。
――しかし、一つ思うところがある。
夜。私は、自室にリズを呼んだ。
「リズ、頼みがあるんだけど」
「なんですかマスター。ろくでもない頼みならダメですよ」
「罵るのはせめて内容を聞いてからにしてくれない?」
「はい。で、どんなろくでもない頼みなんですか?」
「今回はろくでもない頼みじゃないから」
「そうでしたか。つい」
彼女の対応にも思うところはあるが、今までの言動を思い返すと、理由もなく、とも言えない。
なので『つい』の後に何が続くのかは、深く追及しない事にして、私は口を開いた。
「実はね……」
「我が主。レベッカ様とハーケン殿をお連れしました」
私は、自室の机に座って、サマルカンドが連れてきた二人を出迎えた。
「サマルカンド、ありがとう。ハーケンと共に控えていろ」
「はっ……」
サマルカンドとハーケンが、一歩引いて、命令通り控える。
「さて、レベッカ。まずは来てくれてありがとう」
「呼ばれたからな。……なんだ? いやに上機嫌だな」
「リズに頼んでたものが出来てね」
「ほう? "病毒の王"として仕事をしていたのか。どれ、どのようなものだ?」
「これ!」
私は、机の上に畳んで置いていたそれを両手に持って見せた。
「……なんだこれ」
「見て分からない? 全部リズの魔力布で出来た服だよ。器用だよねえ」
「今の服と同じデザイン……か?」
「そう。レベッカの服ボロボロだなって。何か事情があるのかもしれないけど、やっぱり可愛い女の子は綺麗にしてないと。さ、『お着替え』しようね」
「誰が可愛い女の子だ。……はあ」
レベッカがわざとらしくため息をつく。
「拒否する。話はそれだけか? なら、私は実験室に行く。まともな用件が出来るまで、呼び出すな」
「サマルカンド」
「はっ」
「完全武装。封印解放」
「……はっ」
一瞬目を瞬かせたサマルカンドが、しかし命令に即座に従う。
短い山羊の角はねじくれて伸び。
黒い体毛は、先端が異界と繋がったかのように白く淡く揺らぎ。
横三日月の目は、深紅の輝きに染まる。
「え、おい。ちょっと待て」
「ハーケンもだ。まだ抜くな。しかし、必要とあらば、剣を抜いてもらう。……二人共、友軍に刃を向けさせる事、すまなく思う」
「……いえ。我が命は、とうの昔に貴方の物」
サマルカンドが、黒い大鎌を握り込む。魔力で形作られた武装だ。
「……ふむ。主君の命令とあれば、致し方あるまいな」
ハーケンが、剣の柄に手を掛けた。
「レベッカ・スタグネット。君には"病毒の王"陣営の序列第三位としての地位を与えている。だが、私は序列第一位だ。抗命権は存在しない。……だが、君は、君自身の誇りに懸けて、私の命令を拒否する事が出来る。――ただし、命も懸けてもらおうか」
「マスター? サマルカンドの封印解放の気配を感じて来たら……何をやってるんですか?」
緊迫した空気を、普通にドアを開けて入ってきたリズの呆れ声が粉砕した。
「リズ。だってレベッカが、せっかくリズに作ってもらった服を着るのは嫌だって言うから」
「……あのですね、あんまり馬鹿な事やめてくれます?」
「リズ……」
レベッカが、私をゆるく叱責するリズを見てほっと息をつく。
なので私は、続けて命令を下した。
「リーズリット・フィニス。命令だ。レベッカ・スタグネットを拘束しろ」
「……マスター? 本気ですか? というか正気ですか?」
「本気だよ。とうに正気なんざ持ってない気はするけどね」
この立場を選んだ時から。
"病毒の王"を名乗った時から。
「命令だ、リズ。従えないというなら、私を国家反逆罪で好きにしろ。君にはその権限がある」
「……ごめんなさいレベッカ」
リズがスカートを跳ね上げ、二本の大型ナイフを抜いて両手に構えた。
ふわりと広がったスカートが戻る前に、しゅるりと赤いマフラーが蛇のように両腕に巻きつく。
「リ、リズ?」
「多分それ着たら満足しますから……」
「ばっ、馬鹿! お前まで何を!」
レベッカが叫んだ。
「確かに現在の所属こそ"第六軍"、"病毒の王"陣営だし、協力するように要請されたが、私は"第四軍"、死霊軍の死霊術師であり、着せ替え人形などでは断じてない!」
「本当にその通りです。でも、こう見えてもうちのマスターは最高幹部なので、あんまり仕事さぼられると困るんです。もちろん本当に拘束してレベッカが仕事出来ないのも困りますし。でもマスターがこの程度で満足するなら……後は分かりますね?」
「分かってたまるか」
レベッカが吐き捨てた。
「でも、この人本当にやりますよ? サマルカンドも、"血の契約"済ませてますよ? どんな馬鹿らしい命令でも、忠実に実行しますよ?」
「は? 待て。上位悪魔と? "血の契約"? ――人間が?」
「……はい」
リズが、神妙な顔で頷く。
「茶番ですが……ハーケンも、命令に逆らうつもりは、ないようですしね」
リズが、ちらりとハーケンを見る。
そして、すまなさそうな顔でレベッカに視線を戻した。
「私も……その、非常に申し訳ないのですが、国家を最優先とさせていだきますので……」
私も、少し困った顔を作って、レベッカに声をかけた。
「だから……ね? レベッカ」
「ちょっと待て。なんで私がワガママを言っているみたいになっているのだ!?」
レベッカが、自らの胸に手を当てて、叫ぶ。
「どう考えても、正論は私の方だろう!」
「うん、正論だねレベッカ」
うんうんと頷いた。
立派な額に入れて飾りたいぐらい正論だ。
「だけどね、正論が通用しない相手もいるんだよ」
にっこりと笑った。
レベッカがうなだれて、力なく呻いた。
「ちくしょう……」