突破出来ない罠など存在しない(ただし身内が仕掛けた罠に限る)
一人の時間が、欲しい。
休日。休暇。息抜き。オフ。
なんでもいいのだが、私にはそんなものがない。
日々の潤いはある。
リズという、可愛くて仕事の出来る部下がいるだけで嬉しい。
自分専属のメイドさんがいてくれる、という時点で、一人の時間が欲しいと思うのは贅沢なのかもしれない。
全く自分の時間がない、という訳ではない。
一人部屋だし、リズも何かと忙しいから、四六時中一緒にいる訳でもない。
けれど、私に許された行動範囲は、とても狭い。
私に与えられた郊外の館の外に出る事は、許されていない。
館の中でさえ、広い館に二人しかいないので部屋は余っているのだが、全てに立ち入る許可は出ていない。
自室。
食堂。
浴場。
廊下。
図書室。
庭の一部。
それで、終わり。
それだけが、私の世界だ。
ここは、見方を変えれば豪華な牢獄。
"病毒の王"という、『便利な道具』をしまい込むための道具箱。
それでも、全て私が望んだものだ。
一部の自由を制限されていても、私は間違いなく魔王軍最高幹部であり、"病毒の王"であり、この館の主人だ。
陛下の。リズの。私の自由を縛る言葉が、同時に私の身の安全を案じているゆえの物だという事ぐらいは分かる。
ちなみに空き部屋が立ち入り禁止なのは、罠が仕掛けられているためだ。
さて、私の手元には、一枚の館内地図がある。
正確に言えば、トラップ地図だ。
発動条件と、どんな罠が仕込まれているかが記載された館内トラップの仕様書。
絶対に館の外には持ち出さないで下さいね、とリズに厳命されている。
トラップは、おおまかに分けて二つ。
一つは、侵入者を感知する『セキュリティトラップ』。
地球において、古くは鳴子や鈴。
新しいものでは赤外線センサーや重量センサーだ。
この世界でハイテクなのは、魔力反応を感知するタイプの術式だろうか。
もう一つは、侵入者を排除する『致死性トラップ』。
こちらこそがリズの――アサシンの技量がふんだんに盛り込まれた傑作の数々。
スパイクが仕込まれた落とし穴。
糸が切れたら毒矢を撃ち出す仕掛け。
即死魔法を初めとする攻撃魔法の込められた魔法陣。
などなど、侵入者を完全排除する致死性の罠だ。
基本的にほぼ全方位をカバー。
が、いくつか、穴がある。
最も大きい穴は、私が、リズにとって護衛対象である"病毒の王"本人であるという事だ。
一部の罠は、魔力反応を感知して発動する。
正確に言うと『登録されていない魔力反応』を感知して発動する。
つまり、登録されている護衛対象である私には、罠が反応しない安全地帯が存在する。
それに対して、純粋に物理的な罠……つまり、踏んだら床が抜ける落とし穴のようなものは、何もかも区別しない。
それに引っかからないために、特に危ないものは直接教えられているし、そもそもトラップゾーンには入らないように、と念を押された上で、最高機密だというこの地図も手渡されている。
そして、それらを総合して考えて行くと、十重に二十重に張り巡らされた、重層的なトラップ警戒網だが、穴はある。
なお、その穴を抜けるためには匍匐前進が必要だ。
なので匍匐前進で芝生の上をゆっくりと進んでいく。
これ以上頭を上げると、矢が飛んでくるのだ。
「ついといで」
ある程度進んだ所で、後ろにいる一匹のバーゲストに声を掛ける。
同じく伏せて進んでいる――はずだ。後ろは見えないから、推測だが。
出るのは裏の勝手口。
鍵はないし、胸の辺りまでしかない鉄柵が、どちらからも開けられるかんぬきを外せば開くようになっているだけだ。
私道から繋がっている事もあり、一見手薄。
しかし、罠がある。
ただ、この辺りは致死性トラップは少なめ。
うっかり一般市民が入ってくる事も、ないとは言えないからだ。
「行って」
私の言葉に従って、バーゲストがするりと勝手口に忍び寄り、鼻面でそっと押し開いた。
この鉄柵は、生命反応に反応して警報を発する。
手袋や鎧越しでも有効らしい。
しかしバーゲストは、アンデッドに近い魔力生命体。
探知範囲外だ。
私一人では突破は不可能なトラップの数々。
けれど、バーゲストという協力者がいれば、突破は現実となる。
無事にトラップゾーンを抜けた。
「よーし、よくやった!」
鉄柵を離れた所で、わしわしとバーゲストの頭と顎を撫でさする。
嬉しそうに目を細めるバーゲスト。
一通り撫でて、お互いに満足した所で立ち上がる。
「"浄化"」
草を手で払い、殺菌能力を持つ日常生活用魔法で多少残った泥染みを落とす。
いつもは装備していない、種族をダークエルフへ見せるだけの、レアと言うよりマニアックな外出用護符の動作をチェック。
「おいで」
そしてバーゲストを連れて、街へ向かった。
夕暮れ時、半日ほど街を歩いて一人の時間を満喫した私は、館の正門に備えられたベルを、紐を引っ張って勢いよく鳴らした。
「リーズー、あーけーて」
「はいはい……今開けますから、少々お待ち下さいませ……」
鉄製の扉を開けて出てきたメイド服姿のリズは、ひどく疲れたような表情を浮かべていた。
「……あの、マスター。今日こそは教えて下さいますか? ……どうやったらあのトラップゾーンを、普通の人間のマスターが、警告すら反応させずに突破出来るんです?」
「努力のたまものだよ」
「セキュリティが不安なんです」
「その気持ちは分からないでもないけど」
「ちなみに敷地出た時点で気付いてますからね?」
「え?」
「……気付いてないとでも?」
「たまには一人の休日が欲しくて」
「……私が、何かご不満ですか」
あ。
「こほん」
一つ咳払いをして、精一杯真面目な顔になった。
「リズ。ごめん。――そうじゃない」
力強く断言する。
「私はリズの事大好き! ずっと一緒にいてもいいぐらいには大切に思ってる!! でも、たまには一人で息抜きしたいと思う時もあるの!」
「何を言ってやがりますかこのマスターは!」
顔を赤くして怒られた。
「え? だって……」
「私が言ったのは、護衛体制と待遇の話です! 間違っても私個人をどう思うかなどと、聞いてはおりません!」
「ええー……これでも真剣に気持ち伝えたのに……」
「はいはい。……お一人の気分が味わいたいなら、離れた所からお守りしますから……」
「それはちょっと違う」
「でも、今日だって気付いてないだけでお側にいたんですよ?」
「それも凄い技術だけど……」
「突発的な外出に対応出来るほどの暗殺計画は確認しておりませんが……今のマスターには、外出さえリスクが高い行動である、という事をご理解下さい」
「これからはちょっと控えるよ」
「是非そうして下さい……」
「今度は一緒に行く?」
「そっちの方がマシかもしれませんね……。マスターを敷地内で見失ってから、私が護衛につくまでの十秒程度は、とても危険ですからね……」
じゅうびょう。
私が満喫していた一人の時間は、実は十秒しかなかったという現実。
「大体私は気を張って見張ってるのに……一人で市場とか雑貨屋とか本屋とか喫茶店とか随分と楽しそうでしたねマスター」
若干恨みがましい視線を感じるのは……気のせいじゃなさそう。
「一人もいいけど、リズと一緒だったらもっと楽しかったと思うな」
リズが、ほんの少し口元を緩める。
「そう言って頂けて光栄です。……それで、どうやってあのトラップゾーンを突破したんですか?」
「ここじゃなんだし、夕食時にでも話そうか」
「分かりました」
「今日の晩ご飯なあに?」
「マスターの好きな、シチューですよ」
「ほんと? 楽しみだね」
日本では夏だが、この国は日が落ちた後だと、シチューが嬉しいぐらいの涼しさになる。
夕食時。
「は? 匍匐前進?」
「うん、そう」
「それにバーゲストを使って? あー……接触した生体へ反応するトラップを誤魔化すために……と」
「うん」
リズ特製のクリームシチューをスプーンで口に運んでいると、しばらくなんとも言えない表情で黙っていたリズが、とても力のない笑みを浮かべた。
「マスター、本当に人間ですよね……?」
「私は間違いなく普通の人間だよ」
力強く断言した。
そこは自信を持って言える。
「普通は、匍匐前進してまで抜け出したりしないんですよ……」
とても、正論だった。