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病毒の王  作者: 水木あおい
EX
574/574

二人きりの秘密


 一体、どうして私はこんな体勢になっているのか。

 ベッドに押し倒された状態で、笑顔のリズを見上げる。


「……リズ?」



「マスター。その恰好、本当に似合ってますよ」



「え、そうかな?」

 彼女に褒められると、純粋に嬉しい。


「はい。最高のプレゼントですね」

「やっ、ちょっ!? リズ!」


 リズがドレスの胸元に指を掛けて、ごく自然な動作で一番上のボタンを外したので、私は慌ててそれを押しとどめた。


「なんですか?」


 恐ろしい事に、心底不思議そうにしているリズ。

 私の方が、おかしいのだろうか。

 おかしいのは、私の方なのだろうか……?


 ……そもそも、どうしてこのドレス、背中にボタンがあるのに、前からも開くのだろうか。


「プレゼントって話はどこへ」

「プレゼントのラッピングは、ほどくのが楽しいんですよねえ」


 などと言って、肩布を二本の指で挟んで、弄ぶリズ。

 にこにことしているが、目が本気だ。


 "最適化(オプティミゼーション)"はしていないし、暴走もしていない。


 していないが、完全に本気だ。


 リズが、私の両手で止められている右手をそのままに、左手でするりと肩布を首の後ろから引きぬいた。


「首が無防備極まりありませんね」


 そう言って、豊かな胸を押し当てるようにくっつきながら、私の首筋に軽くキスをするリズ。

 なんというマッチポンプ。


 跡が残らないぐらいに軽く、何度も唇で触れられて、その、甘く、くすぐったい感触に身をよじる。


「な、なんでこんな急に」


 リズが、ついばむようなキスを止める。

 そして、心底不思議そうな声再び。



「……え、マスターがいつも私にしていらっしゃるような事をしているだけ、ですけど?」



 なんという自業自得。


 そう言えば、リズがウェディングドレスをわざわざ着てくれるのが嬉しくて……いつも、テンションが上がる。

 別にメイド服でもテンションは上がるし、生まれたままのリズも大好きだけど。


「じゃあそういうわけで、今から夜の部です」

「や、まだ日も高……」


 あ。

 中身は確認していないけど。

 ……あの、食卓の上に用意されていた、銀の覆いがされた夕食らしき物は。


 この後、食事の準備をせず『夜の部』を行うためだった……?


 彼女の予定の厳密さと、緻密さに慄然とする。


 ふと気付くと、さっきまで空気を読んで控えていたバーゲスト達が、ベッドの下の影に、音もなくそっと潜り込んでいた。


 ――そういう空気だ、という事。


 リズが私の肩に左手を置いて、身体を寄せると、耳元に唇を押し当てるようにして、ささやいた。



「……私にされるのはいや? デイジー」



 ここぞという時にだけ敬語をやめて、名前を呼ぶのは、卑怯だと思う。

 何度呼ばれても、何度こんな風に過ごしても、どうしても彼女のささやき声に私の耳は弱くて、固まる。


 その隙を逃すリズではなかった。



「それとも、こっちの方がいいですか? ――"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様?」



 私は、熱くなった顔を両手で覆って、かすれ声を絞り出した。


「どっちも……すき……」


 彼女が、名前をくれた。


 色んな呼び方で、『私』を呼んでくれる。

 リズが、私の事を呼んでくれるから。


 私は、この世界で生きていたいって思えた。


 顔から手を外してリズの顔を見た途端、目尻に涙が滲み、視界がぼやけて、ぎゅっと目を閉じた。

 私は、のしかかるようにして押さえ込んでいる彼女の事を、私に出来る精一杯の気持ちを込めて、ぎゅっと抱きしめた。



「大好きだよ、リズっ……!!」



 リズが、ベールと髪の間に手を差し込んで、私の髪を撫でてくれた。

 その優しい感触に、彼女の顔を見たくなって、目を開ける。

 一瞬、目を強く閉じていた時に見える真っ白な空白が広がり、それからじんわりと戻る視界に映るのは――満足げなリズの、とろけるような笑顔。



「私だって、あなたのことが大好きですよ。……マスター」



 私と彼女は、ただの主と従者だった。

 最初は、それで良かったのに。


 メイド服を着たダークエルフさんと一緒にお仕事をして、身の回りの世話をしてもらって――それだけで、良かったのに。


 いつからか、それだけでは足りなくなった。


 仕事の上では必要のない会話が、したくなった。

 名前を縮めて、呼ばせて欲しくなった。


 私の全てをあげるから。

 あなたの全てが欲しい。


 いつからか、お互いにそう思うようにまで、なった。


 リズの、熱を湛えた金色の瞳をじっと見つめている内に、自然と距離が縮まっていって……――



 玄関のベルが鳴った。



 さっと緊張が走り、目と目で会話する。

 すぐに黒妖犬(バーゲスト)達からも、訪問者の情報が伝わってきた。


「レイチェルだ……」



 可愛い孫が、訪ねてきていた。



 確かにまたゆっくり話そうねって言ったけど。

 言ったけど。


 リズが素早く身体を起こし、私の後ろに回り、腰のリボンをほどいた。

 私も手早く手袋を脱ぐ。

 リズが背中のボタンをほんの数秒で全て外し、私は帯を緩めると、ドレスを下に引きずり降ろすように脱いで下着姿になった。

 ドレスとセットになっているガーターベルトとかは……分かるまい。

 最後に、リズが私の頭からベールを取り上げた。



 鍵が開けられる。



 ――それが、いつもの流れだ。返事がない時は入っていいし、外出しているようだったら、家の中で待っていてと。

 一応、見られてまずい物は隠しているし、レイチェルは常識人だ。非常識な時間に訪問したりはしない。

 今だってそうだ。


 でも、今は。


「お前達」


 それだけで、バーゲスト達が漆黒の矢のようにベッドの下から飛び出した。

 一匹がドアノブに飛びつき、残りは身体で押し開けるようにして寝室のドアから出て行く。

 さらに残った一匹が、ドアがばたんと閉まらないように前足で押さえた。


「お? お前達がお出迎えー? うりゃ! ここがいいの? よーし」


 楽しそうなレイチェルの声が聞こえてきた。

 よし、パーフェクト。


 でも、こんな時だけど、私の『孫』だなあ。


 私と彼女の間に、血縁はない――あるはずもない――けど。

 氏より育ち、というこの世界にあるのかも分からないことわざが頭をよぎる。


 なにしろ、歩き始めるより前に、うちの黒犬さん達を遊び相手にしていたのだ。


 黒妖犬(バーゲスト)達が――今のこの国で(ドラゴン)に次ぐ存在感を持つ魔獣が稼いだ時間で、急いで若草色のローブと深緑のローブを重ね着する。

 靴を履いて、護符(アミュレット)は……いい。室内だから外していた。それで行こう。


 最後に、リズを見て、頷く。


「よろしく」

「はい」



 そして一秒を争うのだけど、まだベッドの上にいるリズの頬にキスをした。



「ま、ますたー?」

「また夜にね。絶対ね」


 そして返事を待たずに、踵を返す。


 ドアを開けて部屋を出ると、バーゲストを一匹伴って、なるべく落ち着いて見えるようにゆっくりと、茶色いベストを着て銀髪を小振りのポニーテールにしたダークエルフ――レイチェルの前に姿を現す。

 リビングでバーゲストを撫でていた彼女は、私の気配に顔を上げた。


「あ、デイジーおばあちゃん? 出かけてるのかと」

「ちょっと部屋にいてね」


 嘘はつかない。なるべくなら、その方がいい。

 私が陛下に信用されたのも、多分、私が一言も嘘は言わなかったからだ。


 割と適当な事は言ったけど。


「――今日は? 何か、聞きたい事でも?」

「それはたくさんあるけど。……おいおいね」


 聞きたい事は、いくらでもあるはずだ。

 なにしろ、私はかつて"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"を名乗った、六人目の魔王軍最高幹部。


 それを追って軍内外の史料を丁寧に集め、成り行きもあったにせよ、魔王陛下や最高幹部にインタビューまでしたのだから。

 しかし彼女は、バーゲストを撫でながらにこっと笑った。



「ただ、休暇が終わる前にもうちょっと一緒に過ごしたくて」



 可愛い事を言ってくれる。


 ただ、ちょっとタイミングが悪かった。


「レイチェル、いらっしゃい」


 そこにリズがやってくる。

 いつものメイド服を一分の隙もなく着こなしているし、マフラーの色もお馴染みの深い赤だ。


「もうちょっと一緒に過ごしたいって、来てくれたんだって」

「それは嬉しいですね」


 リズが自然と私の隣に並ぶ。


「例の物は」

「クローゼット」


 お互いにほとんど唇を動かさず、声が届かないように軽く魔法まで使って、最低限の会話で状況を把握する。

 魔法を使う際の魔力反応を極限まで抑えて、気付かれないまでにするのも、仮にも近衛師団にスカウトされる腕の見せ所だ。


「お茶でも淹れましょうか」


「あ……これは?」

 レイチェルが、テーブルに置かれている、銀の覆いがされた皿を指差す。


「今日は、部屋の整理をしていたんですよ。だから夕食も軽く済ませられるようにと」


 息をするような自然さでもっともらしいカバーストーリーを語るリズ。

 しかし、『新しい服が増えたので』『部屋の整理をする』事になるので、解釈によるが、嘘は言っていない。


「あ……ごめんなさい」

「いいえ。来てくれて嬉しいですよ」


 リズの言葉に、嘘はない。それは私達の本心だ。

 ただ、できることなら明日の同じ時間に来て欲しかった。それだけだ。


「お茶を淹れてきますね」

「あ、私がする! いつもやってもらってばかりじゃ、悪いから」


 そう言ってレイチェルが立ち上がる。


「悪いという事はありませんが。ではお願いしますね。茶葉の位置などは変わっていませんから」

「はーい」


 勝手知ったる、という自然さで、台所に消えて行くレイチェル。

 バーゲスト達が、尻尾を揺らしながらその後を追った。


 二人してその様子を見送る。

 一匹、私のそばに残ったバーゲストの頭に手を置いて、軽く撫でた。

 赤ん坊の頃から知っている子が大人になったのだなと思うと、ちょっと感慨深いものがある。


 しかし、昼間――そろそろ夕方だけど――は、いつ来客があるか分からない。


 やっぱり夜だな。



 そう思った瞬間、リズがちょっとだけ背伸びして、私の頬にキスをした。



「り、リズ?」


 くすりと微笑むリズ。


「また、夜に。絶対ですよ?」

「……もちろん」


 また、夜に。

 二人きりで、ゆっくりと。


 こればっかりは、可愛い孫にも秘密だ。



・「自作小説をなるべく低予算で古書(魔導書)っぽく、ハードカバー&革装丁……風の布装丁で自主製本するエッセイ 【病毒の王】/製作記(写真あり)」



「病毒の王」EX1~LAST EXまでを収録した本を製作したエッセイです。



https://ncode.syosetu.com/n1649hm/



挿絵(By みてみん)


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― 新着の感想 ―
【良い点】 話数が多くて読むか迷ったんですけど、話が面白くてスムーズに読めました。 もうこんなに読んだの!と思うほど完結までスムーズに読めました! 【一言】 とても面白い作品! 妹(家族等)の視点も見…
完結おめでとうございます! マスター達4姉妹や元第6軍のみんながこれからも幸せに過ごしてくれたら良いなぁ…… 病と毒もいらない世界に祝福があらんことを!
[良い点] レイチェルキャンセルにより、作品のレーティングはR15で維持された。 ある意味グッジョブ。ある意味、超暴投。 まあ、これも「良い」思い出になることだろう。 「じれじれ」が有ってこそ、作者…
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