贅沢なプレゼント
リズに手伝ってもらって、ドレスを身にまとっていく。
リズが一人で着て待っていたように、一応自分一人でも着られるようにはなっているけれど、背中のボタンなど、手伝ってもらった方がスムーズだ。
一度は着けたベールも、着替えるのに邪魔なので外してベッドに置いている。
あれは本来、最後だ。
リズが今、後ろに回って結んでくれている腰の後ろの白いリボンも、自分一人で結べない事もないが、やはり誰かにやってもらった方が綺麗だ。
私は、刺繍された布が重なって花びらのようになっている、指なし手袋の片方を受け取ってはめた所で、じっと彼女を見る。
「……リズ、なんか楽しそうだね」
脱がせる時も、手渡す時も、着せる時も、妙に楽しそうなリズ。
「プレゼントをラッピングする時みたいだなって思って」
「……『プレゼントはわたし』?」
そう言えば、まだやった事はない。
この世界にある文化なのか分からなかったからだ。
「なんですそれ?」
彼女の反応からして、やらなくて正解だったかもしれない。
「……マスターのこと、プレゼントに貰ってもいいんですか?」
「もう、渡したつもりだったよ」
ああ、いつからだったろう。
いつから私は、彼女の事を、こんなにも好きになったのだろう。
彼女がいない世界に何の価値もない――なんて、過激な思想は抱いていない。
義理の姉に、義理の(?)妹、かつての部下や上司である友人・知人もいる。
血こそ繋がっていないが、私をおばあちゃんと呼んでくれる可愛い孫もいる。
それらは、私にとって、とても大切な繋がり。
……でも、私の一番は。
私の、特別は。
私が、自分の全部をあげたいと思ったのは。
「ふふっ……それはそれは、贅沢なプレゼントですねえ」
リズが、口元に手を当てて笑う。
今は白く見えているマフラーが、ぴこぴこと揺れた。
……やっぱり、『プレゼントはわたし』を、一度は試してみても良かったかもしれない。
リズに手渡されたもう片方の手袋をはめる。
いつもより一回多く、二重の帯を結ぶと、一通り着終わった。
私は、剥き出しの肩をちらりと見て、いつも首に下げている三種の護符の重さがないために、やけに軽い首元を撫でた。
「リズと違って……ちょっと首が寂しいかな」
「あ、そうだ。忘れてました」
リズがくるりと踵を返して、クローゼットを開ける。
多種多様な服が、ハンガーに掛けられ、畳まれて重ねられ、クローゼット内の引き出しにしまわれ……と、『夫婦生活のスパイス』が詰まっている、スパイス棚のような様相を呈しているクローゼット。
その中に、大型の木製ロッカーがあり、『短剣をくわえた蛇』が刻印された大型の南京錠で封印されている。
リズが鍵を差し込んで、解錠した。
左半分に紋様と共に刻まれた単眼が、今は光を失っている黒い仮面に、金糸でルーン文字の縫い込まれた黒い肩布。
そして、中央に立てかけられたねじくれた木の杖に八本の鎖で縫い止められた、青い八面体の宝石がぼんやりと光を放つ。
"病毒の王"の一部は、今もここにある。
退役後、この衣装は封印された。
私が時々、無性に愛しのダークエルフさんのウェディングドレス姿を見たくなるように、リズもたまに、"病毒の王"の正装が見たいとリクエストしてくるので――……意外と頻繁に封印が解かれているのは、夫婦の秘密だ。
その中から肩布を選び出して、するりと取り出すリズ。
彼女は私に向き直ると、肩布を首に掛けてくれた。
そして指先で一撫ですると、黒く、重い印象の肩布は、金糸の部分はそのままに、黒い部分だけが明るい白に染まった。
この類の幻影魔法はそう長くはもたないので、長期的に変えたいなら染めた方がいいけれど、こういう時は便利だ。
「マスター、目、閉じて下さい」
「ん」
目を閉じると、リズの手で再びベールがかけられ、少し乱れた髪を、整えてくれるのが分かる。
前髪も絡まっていたのか、払われるのを暗闇の中で感じて――
不意に、私の唇に、リズの感触がした。
咄嗟に目を開けると、リズがそのまま抱きしめてくる。
――すぐに顔は離すが、私を抱きしめたままのリズ。
「り、リズ。キスは後じゃ」
「え? 結婚式じゃないんですから」
そうだった。
これは……夫婦のたわむれ。
特に記念日でもない。こういうイベントは、どうせなら結婚記念日にでもした方が、それらしかったろう。
リズが私を微笑んで見つめながら、身体を離す。
少し距離が開いて、ちょっと不安になって、でも彼女は、私のドレス姿をじっくり見るために離れただけだと気付いた。
「どこか……変?」
思わず沈黙に耐えきれずに聞いた所で、それが、かつてリズが控え室で私に聞いたのと同じだった事に気が付いた。
彼女も、こんな気持ちだったのだろうか。
胸元や袖口など、全体的にリズの物よりも凝ったデザインなあたり、エリシャさんの、百年越しの気合いを感じる。
靴がない事や、強い風が吹いたら飛びそうなベールなど、外で着る事を想定していないように思えた。
……これを着て、戦う可能性も。
しかし、薄紅色の色合いも、幾重にも布が重ねられた花のような袖口も、胸元のフリルも……私には、縁遠い要素の詰まった衣装だった。
じっと、リズの言葉を待つ。
「……私、マスターみたいに、上手には言えませんけど」
リズが、にこりと笑った。
その笑顔だけで、安心する。
「最高に可愛いですよ」
短い褒め言葉に、リズの気持ちの全てが詰まっていた。
「……ありがと」
思わず、口元が緩んで、にやけてしまう。
そう言えば、可愛いと言われた事はあまりない。
それこそリズにさえ、ほとんどないのだ。
間違いなくこれまでの人生で、可愛いよりも、非道とか外道とか血も涙もないとか頭おかしいと言われた回数の方が多い。
ちょっと生き方を反省しなくもないが、『それ』が必要とされた時代があった。
そして今はもう、そうではない。
着替え中は離れていたバーゲスト達が、私とリズの元に一匹ずつ寄ってきた。
いつもと違う恰好の主相手に、いつもと同じくするりと身体を寄せてきたので、引き寄せて抱きしめる。
そして、ベッドの下の濃い影に向かって、軽く手招きした。
「おいで」
ぞるり、と影の中から浮かび上がるように、這い上がるように、影がねじれて、黒い犬の形を取った。
少し薄くなった影から明るい所へまろび出た黒妖犬が、私の手招きに応じて近付いた所を引き寄せて、その首元の絡み合った毛に顔を埋めた。
私の、群れだ。
距離があまりに離れていると、同じ群れの一員ではあっても、それぞれに情報が蓄積され……別個体に近付いていく。
それは……常に変化する事で、何らかの要因で一度に滅びかねない単一の存在であり続ける事を避けるという観点から言えば、自然な流れなのかもしれない。
でも、私も黒妖犬達も、それは嫌だった。
防犯を兼ねて常に家のそこかしこに潜んでいる子達、リタル温泉で可愛がられている子達、『"第五軍"の本拠地』に、"第三軍"のハンドラーと共に、レベッカの所に――そしてもちろん、常に私のローブの陰にいる子達……。
その全てが、私の群れだ。手放す気も、手放される気もない。
わたしたちは、一つの群れとして変わり続ける事を選んだ。
なので、折に触れて、散らばっているバーゲスト達の元を訪れ、お互いに経験を伝え合い、群れの形を維持し続けている。
"第三軍"の魔獣師団では、群れの最上位である私の存在は最重要機密扱いされているらしいが、そのおかげで、特別な時しか使えない建物に泊まれるので、役得感はある。
旅の口実があるというのも、長い人生を生きる上ではいいものだ。
そこで、リラックスして耳を伏せていたバーゲスト達が、ぴんと耳を立てた。
そして、すっと、抱え込んで撫でていた私の腕からすり抜ける。
そちらを見ると、じっとこちらを見るリズと目が合った。
彼女に寄ってきた二匹のバーゲスト達の頭を、それぞれ両の手で撫でるリズ。
一瞬、緊張が走り、けれど彼女は、微笑んで手を差し出してくれた。
その手に、自分の手を重ねる。
指なし手袋なので、リズの手の優しい感触と、ぬくもりとが、ダイレクトに伝わってきた。
そのまま手を引かれて、ベッドの上に誘われる。
座り込んだリズと、向かい合う形で私も座り込んだ。
「……せっかくドレス着ましたし、指輪の交換でもします?」
「それはしなくていいんじゃない?」
私は両手で、彼女の左手を包み込んで、薬指の指輪に触れた。
指輪はもう、はまっている。
「……そうですね」
私は永遠の愛を誓って……リズも、同じ誓いをしてくれた。
二度目の結婚式は、したくない。
だからこれは、ただちょっとこうしてみたかったという願望を満たして、気持ちを確かめ合うためだけの茶番で……たわむれなのだ。
「――リズ。これからもずっと、よろしくね」
「はい、マスター」
お互いに膝が当たるほどに距離を詰めて、手を伸ばして、指を固く絡め合う。
そして腰を浮かせると、中間点で、唇と唇が触れ合った。
何回目かも分からないそれに、甘い満足感を覚える。
彼女と何回キスをしたのかなど、覚えていない。
いちいち数えていられない。
三回目ぐらいまでは、数えていたような気もするのだけど。
今日だけでも、何回目だったか。
ただそれでも、それが数限りなかったとしても、彼女との時間を愛おしむ、その全てが大切で……その全てを覚えていたいって、思うのだ。
満たされた気持ちで唇での結びつきを終えると、ほんの少しだけ寂しくなった。
心の中にある杯が、何度満たしても、何度でも空になるような気がする。
でも、目の前の、お揃いのウェディングドレスを着た女の子は、きっと何度でも愛情を注いでくれる。
「……愛してますよ、マスター」
「私もだよ、リズ」
ほら、こんな風に。
リズと私は、両手を繋いだまま見つめあって、微笑みあった。
……そこで何故か、大きく腰を浮かせ、ぐいーっと体重を掛けてくるリズ。
油断していた私は、ドレスのスカートが邪魔だったのもあり、為す術もなく押し倒された。
そこには丁度、枕があって、ぽふんと頭がベールと共に沈む。
立てた膝の間に膝を差し込むようにして、抑え込まれて。
リズが、にこーっと、満面の笑顔を浮かべた。