一生に一度しか着ない(?)服
いつもは、私の帰宅を、リズが迎えてくれる。
同じ群れの黒妖犬同士はお互いの位置をなんとなく把握出来るので、余程近場へ出かけたのでなければ、帰宅を察せられるのだ。
しかし、玄関を開けてくれる事も、出迎えてくれる事もなく、ローブの内ポケットから自分の鍵を出して開ける。
バーゲストが一匹、とたとたと出迎えてくれたので、片手を伸ばして撫でた。
連れていた一匹と、出迎えてくれた一匹の計二匹を連れてリビングに行くと、銀の覆いがかぶせられた皿が。
夕食は準備済み……なのだろうか?
台所へ行っても、火の気はもちろん、人の気配がない。
「……リズ?」
名前を呼んでみるが、返事はなかった。
一瞬、背筋がぞわりとする。
思わず、彼女の名前を叫びかけたが、恐怖と理性が同時に身体を縛って、声にはならなかった。
不安で、早鐘のような鼓動を打つ心臓に、強く握りしめた拳を当てて、落ち着けと言い聞かせる。
――今の黒妖犬達の警戒網を抜ける『敵』が、いるものか。
という事は、多分、寝室にいるのだろう。
それか、もっと遅くなると思って、ちょっと出かけているのか。
はたして、寝室へ行くと鍵が掛かっていた。
鍵が掛かっているのを確かめてドアノブに触れたガチャ、という音の後、中から声が聞こえる。
「マスター、お帰りなさい」
そしてすぐに鍵が外され、扉が開いた。
「……リズ!」
彼女の顔を見た瞬間、ぱあっと表情が明るくなるのが分かる。
「もう、どうしたんですか?」
「いや、リズこそどうしたの?」
思わず真顔になる。
「……不安な事でも、あったんですか?」
リズが微笑んで、私の頬に手を伸ばして軽く撫でた。
その手を捕まえる。
白い指なし手袋のはめられた手。
「……リズが、いなかったから」
「支度がありまして。……どうですか?」
リズが、するりと私の手から自分の手を抜いて、両手で、純白のスカートを軽くつまんで持ち上げた。
「何がどうなってるか理解が追いついてないけど、うちの花嫁さんが一番可愛い」
百合の花があしらわれた、指なし手袋。
普段は彼女のダークエルフらしい健康的な褐色肌は、顔と手ぐらいしか見えていないが、今は肩を出している。
彼女の身体のラインに添うようにすっきりとしたドレスの色は、ほんの少し青味がかって、白よりもなお白い純白。
ホワイトブリムの代わりに頭にはまっているカチューシャは、薄いベールを留めている。
いつもは真紅のマフラーは、今日はドレスと同じ純白だ。
つまりそれは、今も私がリクエストして彼女に着てもらう事もある、ウェディングドレスだった。
もう結婚して長いし、昔を懐かしんでばかりと思われたくないから、あまり頻繁にお願いしないようにはしている。
でも……エリシャさんが気合いを入れに入れまくったドレスは芸術品で、それを着た彼女は、控えめに言って可愛すぎるのだ。
私がウェディングドレスを着たリズが大好きなのも、無理はないと思う。
まだお互いに初々しかった頃の気持ちを思い出すというのもある。
後、なんかちょっと背徳的。
「私から、マスターへのプレゼントです」
「こんな素敵なプレゼント貰っちゃっていいの? 純白のラッピングが可愛――」
リズが首を横に振った。
「いえ、そっちが」
「あ、こっち……」
彼女は、私が持ったままだった包みを指差す。
「え、でも、リズのドレス姿見た後だと、霞んじゃうよね」
「大丈夫ですよ」
やけに自信たっぷりだ。
促されるままに、梱包をほどいていく。
そして、出てきた服を一つ一つベッドの上に並べて見ると、脳細胞があるのかもよく分からない脳が、ゆっくりと事態を理解し始めた。
「……あの、リズ」
「なんですか? マスター」
「これ、一生に一度しか着ないやつじゃないの?」
「マスター、着た事ありませんよね。後、今でも私に着せてますよね」
「うん。いや、そうなんだけど」
いつかのお花見を思い出すような、薄紅がかった白いドレス。
指なし手袋には、刺繍された布が幾重にも重ねられ、ローブの裾を思わせる。
フードめいたベールには、おもりらしい細いチェーンがぐるりと一周して、黒いリボンが、一輪の布製の花で留められていた。
デザインこそ大きく違うが、どことなく"病毒の王"の正装を思わせる事もあり、デザイナーが同じエリシャさんである事もあり、なんとなく、リズとお揃い感がある『それ』は。
どこからどう見ても、ウェディングドレスだった。
「……マスター。私にした質問覚えてますか? ――『ウェディングドレスを着たいタイプか、着せたいタイプか』っていうやつ」
「うん、覚えてるよ。私は着せたいタイプ」
懐かしい質問だった。
「……あの時は、よく分かってなくて。あの結婚式は、もちろん結婚式だったんですけど、全部がそうじゃなくて」
「……うん」
私とリズの結婚式は、結婚式に見せかけた、不穏分子狩り出し作戦だった。
結婚式部分も、真実ではあったにせよ。
最初から最後までお祝いイベントだったとは、とても言えない。
……あの日が、戦後、最もたくさんのひとが死んだ日だ。
あの戦争を経て、それでもまだ同胞に刃を向けた者達を、私は――そしてこの国は、敵と定めた。
それは、もう遠い日の出来事。
正しかったのかどうかは、分からない。
今のリストレアを見れば、間違いではなかったように思う。
……でも、その理屈は、勝者の理屈だ。
結果が正しければ全ての手段が正当化されるとは、そうした私でさえ――あるいはだからこそ――思っていない。
リズが、話を続ける。
「……何度か、二人共ウェディングドレスっていう式も、見たじゃないですか」
「うん」
専門の結婚式場ではないので件数こそ多くはないが、私が支配人を務めるリタル温泉でも、ウェディングプランを受け付けている。
リタル山脈のふもとも温泉地という事もあり、そちらで行われる結婚式を目にする機会も多い。
ちなみにドレスのレンタルは今では一般的だが、これは私の協力の下、エリシャブランドが行ったキャンペーンによるもの。
エリシャさんも私も、「できればオーダーしてほしい」というのが本音ではあるけれど、懐事情は人それぞれ。
それぞれの条件の中で、それでもドレスを着たいという気持ちを、大切にしてほしい。
そんな中で、女の子同士で、二人共ウェディングドレスを着た結婚式を見る機会もあった。
「……羨ましいなって」
「羨ましい?」
リズが、ちょっと頬を赤らめる。
「……あの時は、マスターが、たくさん私のドレス姿を褒めてくれて、その、私のこと、いっぱい愛してくれて、すごく大好評で……」
「うん……」
思わず、私もちょっと赤くなる。
メイド好きで、ウェディングドレス好きというのをはっきり言われると、だいぶアレだった。
結婚式の思い出は、沢山の人に祝福された昼の部と、二人きりの夜の部がある。
「だから、その……ですね」
リズが、ベッドに置かれたアイテムの中から、一輪の花があしらわれたベールを取り上げる。
そして、ふんわりと私の頭にかぶせた。
「私は、二人一緒にドレスを着たいタイプだったみたい……です」
「わ……私、似合うかな?」
リズがそこまで言ってくれるのだ。悪い気はしない――いいや、嬉しい。
私は、ドレスを着る側になると思った事は、なかった気がする。
そんな私も、着せたい女の子を見つけて……百年ぐらい前に、式をあげて。
この子との、永遠を誓った。
その後も、夫婦生活のスパイスに使ったりした事もあったけれど。
「エリシャさんのお見立てです。私も意見しましたし、絶対に似合いますよ」
そこで彼女は、ふと思いついたように眉を上げて、悪戯っぽく笑った。
「……悪く言う奴がいたら、毒虫の餌にしてやります」
今まで聞いた中で、一番甘い『毒虫』の使い方だった。




