After EX. その後の二人
思い返せば、中々、波乱に満ちた年末年始だったような気がする。
私は、朝食を終えて、食後のお茶を飲んで一息つきながら、前の席に座っているリズに向けて笑いかけた。
「レイチェルが、あそこまで調べてるとは思わなかったねえ」
「ええ。……インタビューの人選に、思う所がありますが」
レベッカ、ハーケン、サマルカンド。
"第六軍"の第三位から第五位の序列持ち。
「あれ仕組んだの、レベッカだよね……?」
「まあ、そうでしょうね」
リズが頷く。
まず魔王陛下へ突撃取材を掛けるのが凄いが、その後に当時の"第六軍"メンバーとしてハーケンを紹介し、さらに今は"第五軍"の最高幹部を務めているサマルカンドまで紹介したのはレベッカだと言う。
レベッカ達とは、リタル温泉の冬季休暇中に『"第五軍"の本部』にて、またゆっくりと話をする予定だけど。
レイチェルから軽く聞いた所では、どうも『※この"病毒の王"は事実とは異なる所があります』みたいな注釈が付いていそうな内容だったらしい。
それはまあ、残されている『公式の』戦争記録から外れないように語れば、そうなるだろうけど。
ドッペルゲンガーの関わった作戦の多くが機密指定された事もあり、書類だけで全貌は分からないだろう。
私の事を――"病毒の王"の事を、プロパガンダのために作られたお飾りなのではないかと考えたレイチェルの仮説は、実の所、割と的を射ている。
特に初期は、囮としてあえて脆弱な警備体制の下に置かれていたりして、実在はしていても、レイチェルの仮説にかなり近い。
"病毒の王"の役割は、その時々において、微妙に移り変わってきた。
レイチェルのような新しい世代にとっては、"病毒の王"は、単なる歴史上の人物だっただろう。
当時を知る者にとっては、もう少し身近かもしれないが、それも過去の話。
ふと思い返す事などはあるかもしれないが、とうに引退した身だ。
私にとって"病毒の王"とは、親しい人が呼んでくれる名前の一つだ。
それに伴う記憶は……忘れていられるなら忘れていたいほどの、陰惨なもの。
けれどそれらは、今はもういない戦友達の記憶と分かちがたく結びついていて、忘れられるはずもない。
いずれ、語れる範囲で、可愛い孫に語る事もあるだろう。
――私達が、どんな思いで、あの戦争を戦ったのかを。
「どうしたんです。珍しく真剣な顔して」
「レイチェルに、どこまで話そうかってね。……ところで、珍しくってなに?」
リズが軽く笑う。
「珍しいじゃないですか?」
「……そうかもだけど」
反論出来そうになかったので、くい、とお茶を飲んで誤魔化す。
空になったカップを置くと、リズが立ち上がって、それを台所へ下げた。
戻ってきたリズに声をかける。
「今日は、午後にエリシャさんの所へ行けばいいんだよね?」
「ええ。注文している物があるので、お願いします」
「任せて」
リズがリタル温泉の繁忙期に入る前に注文していたらしいが、注文の内容は聞いてない。
なんでも、秘密にしたいものらしい。
リズが私に秘密を作るのは、珍しい。
でも、私も、新しい服を見せた時のリズの反応が見たいので、注文内容を秘密にしておく事はあるから、今回もそういう事なのだろう。
何故か、私一人で取りに行ってくれと言うが、リズの言う事なので。
「じゃあ、それまで、予定ないね」
「いいえ」
リズが、真剣な顔で首を横に振った。
「――なにか、予定が?」
私もつられて、多分リズが珍しいと言うところの『真剣な顔』になる。
リズが私に歩み寄って、隣の椅子に腰掛けた。
「……リズ?」
そして彼女は何も言わずに、そっと私の頬に手を当てて引き寄せると、唇に唇を重ねてきた。
全くそういう雰囲気ではなかったのでうろたえながら、入れられた舌に舌を絡め返して、目を閉じる。
彼女の不意打ちにも慣れた物だ。
リズが私と共に退役してから長いが、相変わらずリズは私に不意打ち出来るだけのスキルを持ち続けている。
私も、今も近衛師団筆頭暗殺者のシノさんに「ほとぼりも冷めてきたと思いますし、あえて今、近衛師団に入団して、妹みたいに可愛がっていらっしゃる魔王陛下にお仕えしてみるのはどうでしょうか」と、暗殺者として近衛師団に勧誘されるぐらいには、技術を維持しているのに……だ。
表情を一切変えずに、一瞬ぐらつくぐらい面白おかしい勧誘をしてくるのは卑怯だと思う。
手を変え品を変え、バリエーション豊かな勧誘を楽しむ、一風変わった挨拶の域に達しているとは言え、頷いたら、そのままシノさんを『先輩』と呼ぶ立場になる事だろう。
『暗殺』は、現在の近衛師団の職務に含まれていないと信じたい。
しかし、どんな仕事内容だろうと、迷ってしまう提案である事は確かだった。
レベッカが私の上官であった事はない。
私は退役し、市井の一市民となった。――今は国王となったレベッカにも、私に『命令』する権限はない。
それが、直属の部下に。
それはもう、政務の合間に、我らが親愛なる魔王陛下を抱きしめてもよろしいという事ではないだろうか。
レベッカが納得しているかはさておき。
どれぐらいやったら、彼女が上官権限――いや、国王権限を行使するか、限界を探ってみたい気持ちが、ないと言えば嘘になる。
ちなみにその前は「表の身分は近衛騎士にしますので、義理のお姉様と同じ鎧を着てみるというのはどうでしょうか。お揃いですよ」だった。
近衛騎士の軍装も暗黒騎士と同じ、漆黒の甲冑なのだ。
公的には以前ほど偉くないブリジットも今は漆黒の甲冑を着ていて、『お揃い』という言葉にやっぱりちょっとだけぐらつく。
リタル温泉の仕事着が、リズとお揃いのメイド服でなければ危なかった。
リズが、そっと肩を押して引き剥がすように、キスを終える。
目を開けると、彼女は至近距離で、にこりと微笑んだ。
「……ハーブの味と香りがしますね」
「飲んでたのが、ブレンドハーブティーだからね。……リズもおんなじだよ」
彼女は笑いながら身を寄せてきた。
そしてじっ、と熱っぽい目で見つめてくる。
私は、親しくなれば言葉が必要なくなるとは思わない。
感謝も、好きという気持ちも、私はことあるごとに言いたいし……時々は、耳元にささやかれたり、したい。
でも、言葉が要らない時もある。
動作や視線で、完全に意志を伝えられる瞬間が。
だから、指の一本一本を絡めるようにして、リズと両手を繋いだ。
ほんの少しだけ引き寄せて、背中を伸ばすように距離を縮めたリズに、今度は私からくちづけた。
ずっと、こうしていたいと思うほどだった。
慣れ親しんだ、けれど一度として同じ物はない感触が、唇と、舌に伝わってきて、目を閉じたくらやみの中でゆっくりとそれを味わった。
やっぱりリズから終了の合図が出され、お互いに一息つく。
ベッドの上ではあるまいし、息を切らすほどの激しさではなくても、呼吸よりも優先したい事が多すぎる。
やりすぎると、上位死霊の力を使って、生体機能をカットしそうだ。
「……味、なくなりましたね」
「うん。香りはまだするけど」
それも、もう微かだ。
テーブルのあたりにふんわりと漂っているだけにさえ思える。
口内はもう、味わい尽くしたから。
「……ところで、なんで急にこんな?」
嬉しいけれど随分と唐突だった。
リズが、口元を緩めるように微笑んで、その疑問に答える。
「せっかく、ゆっくり出来る時間があるので……マスターとイチャイチャする予定を入れました」
なんて素敵な予定だ。
繋いでいた指をほどいて、代わりに腰を引き寄せて、抱きしめた。
そして、笹の葉のような長い耳に口を寄せて、ささやく。
「……ベッド、行く?」
リズが、私の腰に手を回して抱きしめ返す。
そしてほんの少し身をよじって、私の短い耳に口を寄せて、ささやいた。
「それは、予定外です」
なんて厳密な予定だ。