祖母のお仕事
『短剣をくわえた蛇』の紋章が封蝋に押された、紹介状。
「……ねえ、おばあちゃん。あの紹介状は、どういう物だったの?」
「聞いてない? 退役軍人の特権だよ」
「特権っていう名目の、迷惑な元軍人への対策だって、陛下は言ってた」
「……あ、そこまで聞いたの。でも、これでも軍に知り合いは多いからね。普通の紹介状ぐらいには使えたと思うんだけど、どうだった?」
「……そんなんじゃなかった」
『普通』?
「魔王陛下に申請当日に謁見出来るって、どういう事?」
「……当日だったんだ?」
「だった?」
「いや、こっちの話。一般人でも申請して許可が下りれば謁見自体は普通に出来るし、当日だったのは……まあ、たまたまタイミングが合ったんじゃないかな?」
それは、陛下も言っていたけれど。
そもそも、名前を出しただけで魔王陛下への謁見が叶うほどの人脈は、普通とは呼べない。
「魔王陛下と、どういう関係なの?」
「同じ職場だった事があってね」
軽く言うデイジーおばあちゃん。
「上官と部下だよ。でもそれだけじゃなくてね。あの外見で、頼りがいがあるでしょ? 妹みたいで可愛くてね」
昔を思い出したのか、目を細めて、口元を緩めるデイジーおばあちゃん。
私は、それ以上本人に聞くのをやめた。
「――ねえ、リズおばあちゃん! さっきまでの話、本当?」
「本当ですよー」
台所から答えるリズおばあちゃん。
「なんでそこでリズに聞くの?」
「だってデイジーおばあちゃんだし……」
「本当だよ。『お前みたいな馬鹿を、一人になんて出来るものか』って言ってくれた事もあった」
薄い胸を張るデイジーおばあちゃん。
「……それ、意味違わない?」
思わず呆れ声になった。
愛されてはいたようだけど。
「――うん、そうだね」
彼女は、ふっと真面目な顔になって、頷く。
そして、にこっとした。
「親しみが込められてたね」
それも、嘘ではないんだろうけど。
一体、どんな軍人だったんだか。
「……デイジーおばあちゃんは、どんなお仕事してるの?」
「色々だよ」
誤魔化された――と思った。
「その時々だけど、劇団の裏方をする事もあるし、牧場で雑用とか『牧羊犬代わり』とか、メープルシロップ作りの『お手伝い』とか、不死生物の『供給役』とか、軍時代の知り合いに頼まれて、『簡単な』書類仕事とか『お掃除』とか……」
本当に色々だった。
「でも、普段はリタル温泉で、リズと一緒に住み込みで働いてるよ」
そう言えば、リズおばあちゃんはいつもメイド服だ。
メイドさんがプライベートでもメイド服なのは、今では珍しくないが、昔は珍しかったと言う。
その流れが変わったのは戦後からで、『短剣に恋をした蛇』のヒロインであるリゼが、劇の分かりやすさを重視してか、アサシンとして振る舞う時や、デートシーン以外、ずっとメイド服だった事に由来するとの噂だ。
とあるお偉いさんが、ごく自然にメイドさんを付き人のように連れていたので、馴染んだという説もある。
真相は今となってはもう分からないが、今では本当に珍しくない。
どちらも割と広まっている噂だけあって、ありそうな話だし、矛盾もしない。
休日でも仕事着を着るメイドさんの実態の調査というネタを振られ、聞き込みをしてみると、服としての着心地がいいというのが主な理由だった。
エリシャブランドは各種制服のオーダーも受けている事で有名だったが、驚くべき事に、メイド服に関しては七割以上のシェアを握っていた。
魔力布も、そうでない服も、オーナーのエリシャ氏が掲げる、女の子の可愛さを引き立てるためにという信念をもって仕立てられている。見た目に留まらず、着心地も抜群だ。
少々割高ではあるが、着心地を知れば納得だろう。
支給される仕事着がエリシャブランドで、他の服より着心地がよく、仕事時間にずっと着ていると、他の服を着る気になれなくて……というのが真相のようだ。
エリシャ氏はインタビューは手広く受けているが、写真掲載だけは頑なに断っている。
現場に出る時に、立場が邪魔にならないように、そうしているのだと言う。
インタビューした先輩達は知っているようだが、私はまだ見た事がない。
謎だった、デイジーおばあちゃんのお仕事が分かって、ちょっとすっきりした。
リズおばあちゃんが、お盆にココアの入ったカップを載せて戻ってきた。
それぞれの前にカップを置いて、席につく。
「というか、リタル温泉で働いてるのは、言ってなかったっけ?」
「私も言ったような気がしてましたけど。両親から聞いてません?」
……昔に聞いて、忘れていただけだったのかもしれない。
とりあえずココアを一口飲む。
少し冷えていたのか、ココアの温かさと、甘さが身に染みる。
――これも、戦後に定番になった嗜好品の一つ。
「……あ、でも、リタル温泉って、十月頃に閉まるんじゃなかった?」
その年の降雪量などにもよるが、遅くとも十一月には、閉鎖されるはずだ。
リストレア・タイムズの人気コーナー、『いつかは行きたい観光地レポート』で、企画当初から最高評価である、観光地評価Sを取り続けているトップクラスの老舗温泉だ。それぐらいは知っている。
「今年は、来年の戦後百周年に向けた設備の見直しもあって、冬季点検を本格的にする事になってね。なるべく家族持ちは早く帰してあげたかったから、私も残る事になって」
……なんか、視点が経営側のような?
こう見えて、結構偉い方なのかもしれない。
「だから下山が遅くなって。実は一回王都に戻ってはいたんだけど、他に寄る用事もあって、家に戻ってきたの今日の夕方でね。レイチェルが掃除してくれて本当に助かったよ。綺麗にしてくれてありがとね」
私は、首を横に振った。
「ううん……タダじゃないんだし」
「それでもだよ。昔は帰ってから掃除が大仕事で」
こんな風に、他愛のない会話をしていると、この人が、軍時代に培った『人脈』を持っているようにはとても見えない。
「あの、紹介状だけど……」
「うん」
「……どうして、私に託してくれたの?」
「可愛い孫が、うっかり危ない事件に首を突っ込んでトラブルになった時に、純然たる武力での解決オプションがあった方がいいかなって……」
愛が重い。
どうしてそんな危険思想に至ったのか。
というか、お母さんが言ってたの、本気だったのだろうか。
話半分に聞いてはいけなかった、とでも……言うのだろうか?
「それに、結局の所、ちょっと口利きするだけだからね……。みんな、公私混同はあんまりしないタイプだよ」
「……まあ、インタビューさせて貰った『だけ』だけど」
あのそうそうたる顔ぶれに気軽にインタビューは、普通は出来ない。
申請待ちになるし、申請が通ったかも怪しい。
あんなに踏み込んだ話も、出来たかどうか。
今も鞄に入った、『短剣をくわえた蛇』の紋章が封蝋に押された紹介状に、重みを感じる。
「どんなインタビューしたのか、聞いてもいい? ……あ、社外秘かな? 記事になるまでダメ?」
「……ううん。多分、記事にならないから」
そういう意味では、私は記者失格だ。
インタビューや資料集めの全てが報われるとは、限らない。時には、記事にしない勇気がいる。それは記者の常識で、鉄則だ。
でも、あれだけの、そうそうたる顔ぶれに取材をして、この体たらく。
調べれば、誰もが知っているような軌跡を、辿っただけ。
「……"病毒の王"の事を、調べてたの」
デイジーおばあちゃんとリズおばあちゃんは、揃って顔を見合わせた。