"第五軍"への取材
"第五軍"は、解体された"第六軍"を除けば、戦後、最も縮小された軍だ。
悪魔軍と呼ばれる事もあるように、悪魔によって構成された、魔王軍の誇る戦闘魔法使い集団。
単純に、デーモンの数が減ったというのが大きい。
多くのデーモンが、戦死した。
そして、不死生物と悪魔の軍への所属義務は、戦後まもなく消滅している。
一説によると、戦後に初めて生まれたデーモンは、温泉旅館に勤めたと言う。
民間の事なので、噂話のレベルなのだが、確かなのは、今では多くのデーモンが一度も魔王軍へ所属せず、生まれ持った破壊の魔法を振るう事もなく、平和に暮らしているという事だ。
"第五軍"は、平時は"第四軍"の不死生物の供給役になっている。
そして、新しいデーモンが生まれたのが確認された時に保護するのが、最も重要な仕事となる。
それも稀に戦闘を伴うとは言え、軍隊らしい仕事は、危険な魔獣が生活圏を脅かした際の討伐任務ぐらい。
一般の住民が関わる仕事がないために、存在感の薄い、小規模な部署だ。
それでも、多数の上位悪魔が所属しているため、有事となれば、往年の存在感を示すだろう。
そんな有事がないのが一番ではある。
――私は、"第五軍"の拠点へと来ていた。
戦時は王都の防衛を担い、一時は"第四軍"の宿舎になっていた事もあるらしい、王都郊外にある屋敷。
『四本角の山羊の頭』が意匠化された、"第五軍"紋章が刺繍された紋章旗を煉瓦の壁に下げている。
紹介状を見せると、応接間に通された。
応対してくれた人をはじめ、数人見かけたメイドが、全員デーモンだったのは、さすが"第五軍"と言った所だろうか。
悪魔が人型を取る事も、昔より多くなったと聞く。
ドッペルゲンガーほどではないにせよ、ある程度変身能力を持つが、多くは山羊や羊に似た、角と耳を持つ。
直立した黒山羊のような巨体のデーモンが、私を出迎える。
静かに佇んでいても分かる、馬鹿げた魔力反応。――掛け値無しの上位悪魔だ。
「歓迎しよう、レイチェル・リットナー殿……」
"第五軍"、序列第一位、魔王軍最高幹部、サマルカンド。
最早、彼以上の上位悪魔は生まれないだろうとさえ言われる。
今の時代に、戦場で経験を積む事など、出来るものでもない。――それも、数百年の長きに渡ってなど。
黒い体毛に覆われた上半身の筋肉は盛り上がり、山羊の脚もたくましく絨毯を踏みしめ、それでいて動きは軽やかだ。
あのリベリットシープを、腕一本で倒せるという噂を聞いた時はさすがに笑ってしまったものだが、出来るかも。
ソファーへと促され、彼が座るのを待って、私も座る。
彼が座ると、ギシリ……とソファーのスプリングが大きく軋んだ。
案内してくれたデーモンのメイドさんが、お茶を置いて行ってくれる。
しかし、なぜポットごと?
「陛下よりの連絡を受けた時は驚いた。しかし、懐かしい気分になったものだ。今の世に、"病毒の王"の名を聞き、『短剣をくわえた蛇』の紋章を見る事になろうとは……」
黄色い、横三日月の山羊の目が細められる。
九十年前に、解体された軍。そして歴史から消えた英雄だ。
「本日は取材をお受けいただいて、ありがとうございます、サマルカンド様。メモを取らせていただきます」
今日は後にまとめるのではなく、お話中にメモを取る許可を頂いた。
陛下直筆の手紙で日時と場所が指定されたのだが、そうした方がいいだろうと書かれていたのだ。
「"病毒の王"様の真実を知りたいと言うのだから、私の方から頼みたいぐらいだ。概要は陛下よりお聞きしている。あの方の偉業はよく知っているようだ」
「……はい」
『偉大な』業績かは、私にはまだ分からない。
けれど、常人でなかったのは確かだ。
部下や、運に恵まれたのかもしれない。
けれど、それを生かせるような『何か』があったのだ。
「なればこそ、私は真実を語ろう。――私は、あの尊きお方の最も忠実な部下の一人であったと自負している。ゆえに、私の視点で見た"病毒の王"がどのような存在であったのかを、語りたいと思う」
「! お願いします」
願ってもない切り口だ。
元"第六軍"、序列第四位。一時は第三位だった事もあったらしいが、降格されている。
しかし、現魔王であるレベッカ・スタグネットの加入によるものなので、無理もない。
彼は、ゆっくりと話し始めた。
「……当時のリストレア魔王軍は、今から思うと、随分と緩んでいたな。"第六次リタルサイド防衛戦"から五十年あまり……末端に、正しく命令が行き渡らない事もある有様だった」
「……そのような、混乱が?」
「ああ。各軍の幹部が、私兵のように部下を扱う事もあった。……生臭い言い方をすれば、権力闘争もあった。魔王陛下に取って代わろうという身のほど知らずの愚か者は少ないにせよ、より良い位置を占めようという浅ましき欲望が渦巻いておった……」
ちょっぴり、修飾語が長い。
「平和の中では、時に膿が溜まる。魔王軍は今よりも巨大な組織だった。そしてその巨大さゆえに、腐敗している所もあった。……そんな中現れたのが"病毒の王"、そして設立されたのが"第六軍"である」
けれど、軍記録を読むだけでは分からない視点、それも今では魔王軍最高幹部にまで登り詰めた人の視点から語られる当時の歴史は興味深く、そんな事は気にならないほどだった。
「最も清廉にして潔白。慎重にして果断。部下に対する慈悲深き心と、敵に対する苛烈さを併せ持ち、自らと違う種族を受け入れる底知れぬ度量。それら、我ら全てが主と戴くに足る相応しき器量を全て兼ね備えた理想の主が、"病毒の王"という存在だった」
かなり、修飾語が長い。
削ろうかと思いつつ、それも失礼かと速記していく。
しかし、聞いていると混乱する修飾語の数々だった。
敵に対する苛烈さ、というのは分かる。
慎重にして果断、あたりも、まあ。
実際に、今では当たり前とは言え、当時では珍しかった多種族混成軍を率い、黒妖犬をも従えて戦い抜いたのだから、自らと違う種族を受け入れる度量も、あったのだろう。
しかし。
清廉?
――慈悲深き心?
メモを取るのを待ってくれる心遣いを感じつつ、彼は昔を懐かしむように目を細め、一つ頷いた。
「自分が"病毒の王"様と初めてお会いした時、私は愚かにも直属の上官よりの命令であるというだけで、国家への反逆そのものである、魔王軍最高幹部の暗殺を承諾した、狂人も同然だった」
「え、待って。今『暗殺』って言った?」
「うむ」
さーっ……と血の気が引く。
気を付けていたのに、つい素が出てしまった。
「……あ。す、すみません。失礼な物言いを……」
震え、早口で謝罪する私を、彼は鷹揚に手を振って落ち着かせた。
「あまり緊張しなくてよい。……我らが主も、常々こう言っておられたものだ。『敬語は最低限でいい』と。私などは『修飾語を排して喋れ』と言われた事も何度かある」
親近感が湧いてしまう。
――あの、"病毒の王"に、親近感を覚える日が来るとは。
「立場もあり取材でもあるのだから、記者殿は敬語の方が話しやすかろう。しかしあまり気負わずともよい」
「ありがとうございます。そうさせていただきます……」
言葉通り、少し肩の力を抜く。
これで「敬語はやめて友人に対するように喋ってくれ」と言われたら、好感度が水平線の彼方へ飛んで行ってしまう所だった。
しかし、立場を汲んだ上で、そんな風に言ってくれると楽になる。
「それで、暗殺……とは?」
「軍記録にもあるはずだが、私は"病毒の王"暗殺を非公式に命じられた」
「……そういうの、よくあったんですか?」
「国内だけでも、十数件はあったようだ」
戦中怖い。
フリーダムすぎる。
「後の事であるが、"病毒の王"様は、『お前が一番、暗殺を成功させられそうだった』と褒めて下さったものだ……」
"病毒の王"怖い。
フリーダムすぎる。
それ、褒める所じゃない。
あなたも、なんでちょっと嬉しそうなんですか?
「しかしほんの僅かな会話で、私はあのお方の偉大さに心酔し……土壇場で暗殺を取りやめた」
どんな会話をすれば、そんな事に。
「私は自らの意志で"血の契約"を願った。――あのお方は、私を殺そうとする護衛を制止し、我が忠誠をお受け取り下さった。その瞬間から、私は、あのお方の最も忠実な部下である」
何を言っているのか、ちょっと分からない。
なんで、自分を暗殺に来た暗殺者に忠誠を誓われてるの?
というか、今さらだけど――本当に今さらだけど――この人も怖い。
その状況下で、自分の意志で"血の契約"?
自分の事を狂人も同然とか言っていたが、確かに正気の沙汰とは思えなかった。