騎士の背骨
「ああ、骨だ」
私の問いに、頷いて肯定するレベッカ。
「ダークエルフの背骨で……召喚具でもある。ルーン文字が刻まれているだろう?」
レベッカが細い指で指し示した先には、確かに背骨の流れに沿って、一つの骨に一文字ずつルーン文字が刻まれている。
「召喚具?」
「実は、私も詳しい事は知らないんだ。エルドリッチ様が、『もしかしたら面白い事になるかもしれないから持っていけ』と」
それが、『もしかしたら』の正体か。
ていうか、そういう人なのかエルドリッチさん。
死霊軍総帥、"上位死霊"エルドリッチ。
実は、ちゃんと話した事がない人だ。
忙しいのだろう。死霊軍のお仕事は多岐に渡るし、量も多い。
死霊軍は数だけなら魔王軍最大。これは、悪魔以外の全てが、死んだら不死生物になるという事情に由来する。
不死生物になる確率は百パーセントではないし、不死生物にも擬似的な寿命と呼ぶべき存在限界はある。『戦死』もある。
だから、際限なく増えるという事はない。
それでも、暗黒騎士団と獣人軍、果ては一般市民まで蘇り、リストレア魔王国は『野良アンデッド』を認めていないため、全てが死霊軍へ組み込まれる。
そして不死生物は、適切に魔力さえ供給されていればかなり長い『寿命』を持つ。
ゆえに、"第四軍"たる死霊軍の存在感は大きい。
彼が、魔王陛下の決定を支持しなかったら、私が最高幹部になる事はなかったかもしれない。
私が要求した戦力に、死霊がいた事もあり、死霊軍とは軍事的な繋がりも持つ。
「なんでも、死霊軍の古参兵が封じられているとか……」
今回、とても『使えそう』な人材を派遣してくれたのも、私と陛下への応援とみていいだろう。
となれば、この召喚具に封じられているというひとも、期待出来る。
「どうすれば?」
「手に持って呼びかければいいはずだ。名を名乗り、『召喚に応じろ』と」
「……ふむ」
そっと、背骨の形をした召喚具を手に取る。
「――私は"病毒の王"。召喚に応じろ」
何も、起こらなかった。
「もう一度言う。私は、"病毒の王"だ。魔王軍最高幹部を務めている。死霊軍最高幹部から、この召喚具を託された。召喚に応じてくれ」
少し丁寧に、状況を説明してみる。
しかし、何も起こらなかった。
おずおずと、レベッカが言いにくそうに補足する。
「……主と認めないと召喚に応じないとか」
「ほう。つまり私の事を主と認めていないと?」
「そういう事になるな」
頷くレベッカ。
私は、背骨を握り、一段と顔を近付けた。
「よし、最後にもう一度だけ聞くぞ? ――素直に召喚に応じろ。応じないなら、それ相応の態度がある」
だが、何も起こらなかった。
「……反応なしと見てもいいかな?」
「そのようだな」
レベッカが頷く。
私はリズに向き直った。
「リズ」
「はい?」
「これ、今日のスープの出汁にして」
召喚具改め骨を、リズに差し出した。
「え、これそういう事していいやつですか?」
「待て! ちょっと待て! 仮にもレアな召喚アイテムだぞ!?」
「使えないなら骨として対応させてもらう」
必死なレベッカに、冷たく言い放つ。
「……い、いや、それもどうかと。大体、そんなスープ誰が飲むんだ?」
「もちろん仮にもレアで最高級な素材を使ったスープだから、着任したての可愛い部下に出すのが礼儀だよね」
私は、にっこりと微笑んだ。
「念のために聞くが、その部下とは私の事か?」
「レベッカも分かってきたね。そういう事だよ」
レベッカが、私の手から骨をひったくった。
そして顔を寄せて懇願する。
「……頼む! 頼むから。とりあえず召喚に応じるだけでもいいから。こいつ頭おかしいから本当にやる。脅しじゃないんだ、絶対やる!」
「絶大な信頼ですね」
「まだ会って間もないのにねえ。信頼されて嬉しいよ」
「マイナスの方向だと思いますけど……」
「それもまた信頼だよ」
「くっ……くくくくくッ」
不意に、おかしくて仕方ないというような笑い声が聞こえた。
レベッカの持っていた骨が振動し、宙に飛び上がる。
宙に浮いた背骨を中心に、不死生物特有の青緑色をした炎が巻き上がる。
「我が名はハーケン、召喚に応じ参上した!」
炎が収まった時、そこにいたのは、骸骨だった。
黄ばんだ人の骨が、背骨が剥き出しになったボロボロの鎖鎧をまとい、腰には長剣と短剣を吊り下げている。
鎖鎧の上から、やはりボロボロの、リストレア魔王国の紋章が縫い込まれたサーコートの残骸を身につけていた。
スケルトンだ。
動く、人の骨。――人ではなくダークエルフの骨だと言っていたから、元はダークエルフだったのだろう。
とはいえ、人間とダークエルフに、骨格の差はない。
耳の長さなど、骨になってしまえば、分からないのだから。
「中々、面白い主殿ではないか」
ハーケンと名乗った骸骨が、からからと、顎骨を打ち鳴らして笑った。
「召喚に応じてくれてありがとう、ハーケン。で、すぐに応じなかったから私の中で減点されてて、悪いけど今もまだ庭の畑の肥料に撒かれるか、番犬のおやつになる可能性もあるんだけど、それを踏まえて言い訳タイムね」
「いや何、単に主君となるかもしれぬ方の器を見定めたかっただけの事。気に入らなかったというならば、スープの出汁も畑の肥料も番犬のおやつも望むところ」
「へえ? 騎士の誇りとかは?」
「そんなもの、それこそ犬に喰わせるがよい。今の私は一介の不死生物にして召喚生物に過ぎぬ。生も死もあやふやな身なれば、精々面白おかしく今生を生きるのみと決めておるのでな」
「よし、採用!」
私は、ぱん、と両手を打ち合わせた。
「我が新しき主君は、中々に話が分かりそうであるな」
「いいんですか、マスター?」
リズが不安そうにハーケンを見やる。
「大丈夫大丈夫」
「根拠は?」
「私の勘!」
「……レベッカ、信じていいと思います?」
「私に聞くな。私はまだ付き合いが短いんだ」
「仮にも死霊軍最高幹部が、そんな危ないひと送り込んでくる訳ないでしょ?」
「それはそうなんですが」
「目の前の魔王軍最高幹部という例があるからな」
中々辛辣なレベッカ。
この短い間に随分と打ち解けてくれたようだ。
「私は、君達と仲良くなりたいんだけど、手始めに何をしようね?」
「ふむ。私に性的感情はないのであるが、まずそこの幼女死霊術師を裸にするところから始められてはいかがかな?」
「それでぬるぬるの液体漬けにするわけだね?」
「正に一を聞いて十を知る。それでこそ我が主よ」
「一緒にやる?」
「性別もまた曖昧な身なれど、一応は主観として男であるのでな、主君のあられもない姿を拝見するのはやめておこう」
「分かった。サマルカンドっていう悪魔がいるから、一緒に警戒に当たってくれるかな? 仲良くしてね」
「心得た。同僚と周辺を警戒しつつ、親睦を深めておくとしようよ」
「……なあ、リズ。頭のおかしいやつらが意気投合したように見えるのだが?」
「私もそう見えますね」
「じゃあレベッカ、私達も親睦を深めようか」
「すまん、急用が出来た」
「ダメだよ、レベッカ」
レベッカの肩をがしりと掴む。
「私は君に対して親睦を深めようという申し出をした。――だが、『急用』の内容によっては、考慮する事を約束しよう。軍務に関する事ならもちろん、プライベートな事情でも相談に乗ろう。私はこう見えても、部下に優しい上司だからね」
「そうか。優しい上司を持てて幸せだ。では――」
ほっとしたような笑顔になるレベッカ。
「もちろん、親睦を深めるのは大事だから、延期されるだけだが」
レベッカの笑顔が、固まった。
「さて、急用の詳しい内容を聞こうか?」
レベッカの耳が、少し下がる。
うつむいて目をそらし、乾いた声で呟く。
「……今なくなった」
「さーて、リズ。同性のよしみで手伝って。大丈夫大丈夫、優しくしたげるから」
「な、何をだ?」
「分かってるくせにー♪」
レベッカの顔が引きつった。
幼女の絶望的な顔って可愛いなあ。