新しい時代
廊下で、骸骨の騎士と二人きりになる。
「中々面白い『仮説』であったぞ。それでは我らは、いもしないプロパガンダ殿にお仕えしていた事になってしまうがな」
彼は、からからと顎骨を打ち鳴らして笑った。
気まずい。
それを察したのか、すぐに笑うのをやめて、真面目な顔――多分――になる。
不死生物の表情は、分かりにくい。特に骸骨の物は。
でも、雰囲気は伝わってきた。
「話は、道々でよいだろうか。ゆっくりとお送りするぐらいは出来よう」
「はい、お願いします。お名前と簡単な軍歴。それに、戦争終結時の所属部隊は?」
「名はハーケン。今は、近衛騎士の身だ。生前……建国時は、後の暗黒騎士団に相当する部隊に。死して後、死霊軍付きとなった。"第六軍"の護衛班を経て、終戦時は"病毒の王"様の下で、序列第五位を頂くと共に、"病毒の騎士団"と呼ばれた騎士団を預かっていた」
「……あの? 伝説の?」
"病毒の騎士団"。
最終決戦時に先陣を切った部隊として、有名すぎるほど有名な騎士団だ。
時の魔王が、生存者捜索時に生存者が見つかった報告を受け、「生きている者がおったのか」と驚きの声を上げたと言われるほどだ。
"イトリア平原の戦い"時点で、約四百名。
その全員が、『安全限界』を超えた英雄クラスの死霊騎士で構成された騎士団であった……と噂されている。
実際は"病毒の騎士団"の名で登録された部隊は存在しない。
"第六軍"、"病毒の王"直属の部隊が、そのあまりの威容に、他軍からそのような名で呼ばれた……というのが真相らしい。
「何。生き残りが少なかったというだけの事である」
彼は、嘘を言っているようには、見えなかった。
「その……噂は……事実なのですか?」
「我々には色々と噂があるものでな」
彼は、かこん、と首を捻って見せる。
「全員が『安全限界』を超えていたというのは?」
「事実であるとも言えるし、そうでないとも言える。最終決戦に臨んだのは、皆、英雄と呼ばれるに相応しい猛者揃いであったが、誰一人として"なれはて"になっておらぬゆえ、安全限界を超えてはいない。……推奨される許容量を超えていた、という点では、事実であるな」
それは、肌身に感じている。
ほのかに輝く、不死生物特有の青緑のオーラに触れれば、焼き尽くされてしまいそうだ。
今も気を遣って、少し離れて歩いてくれていた。
「最前線を切り開いたというのは?」
「事実である」
「包囲されてなお後退せず、敵陣をぶち抜いたというのは?」
「事実である」
「一万を超える敵兵を討ち取ったというのは?」
「乱戦ゆえ、いちいち数を数えておった訳ではないので、分からぬ。少し盛られた数字のようにも思えるが、まあそんなものかもしれぬ」
「出撃前に"病毒の王"直々のお言葉を頂いたというのは?」
「事実である」
「――死ねと命じられたというのは、本当ですか?」
彼の青緑に燃える鬼火の瞳が、揺らいだ。
"病毒の王"の噂には、脚色も多いし、バリエーションが無数にある。
しかし多くに共通する要素があり、その中の一つが、"病毒の騎士団"だ。
部隊の存在自体は確実。しかし、どんな存在だったか、どれほどの強さだったのかは、はっきりしない所も多い。
出撃前に死ねという言葉と共に送り出された――という噂が、多くのバリエーションで共通する。
「ふむ。……誤解されぬように、と前置きして答えよう。事実である」
「どう誤解ではないと?」
「そもそもが、一番槍は騎士の誉れ。誰かが先陣を切らねばならぬ。そしてそれが、我らであったというだけの話だ」
彼は、あくまでも軽く言った。
「では、なぜ死ねと命じられたのですか?」
「『安全限界』を超えてはいなかったとは言え、『大食らい』となった我らがもし全員無傷で生き残れば、この国はおかしくなっていただろう。ゆえに、最前線を切り開き、英雄的に死ねと命じられた」
「…………」
理屈は、分かる。
けれど、それが指揮官の言葉だろうか。
「……しかし、元より誰も生きて帰りたいなどと、思ってはいなかったのだ」
「は?」
この人は、何を言っているのだ?
「……我らは、あの方の騎士であった。地獄を創りに行くというあの方の言葉に頷き、最前線へ赴いた。そこでたっぷりと喰らった。……何人殺したかなど、覚えておらぬ。首都も砦も都市も……ちっぽけな村々さえも……『人間』が守ろうとした全てを……いつか、我らが肉も血も持っていた時に、守りたいと思ったもの、全てを……」
ギリ……と、歯と歯が砕けそうなほどに噛み締められた音が、廊下に響いた。
「我らは、あのイトリアを終着点と定めた。……我らは、騎士の誇りを捨てた外道よ。――なればこそ、敵を道連れに死ぬのもよかろうと、覚悟を決めた。どのみち数では、圧倒的に負けておった事だしな」
私は、何も言えず黙り込んだ。
あの戦争は――戦力を勘定していけばいくほど、どうして勝てたのかという絶望的な戦力差を抱えた戦いだった。
しかし、理屈を超えた勝利も、目の前の生き証人を見ていれば、当たり前にさえ思えてくる。
こんなひと達が、何百人もいたのならば。
思わず足を止めてしまった私に合わせて、彼も足を止めた。
歩き出すようにも、何か言うようにも促されず、しばしの沈黙が訪れる。
「……だがな。"病毒の王"様のお言葉を聞いて、気が変わった」
私は、はっと顔を上げた。
「――見てみたくなったのだ。我らが死んでも守りたいと……死してなお守りたいと願った未来というやつの、本当の姿をな」
まっすぐにこちらを見つめる、鬼火の瞳と目が合う。
炎が僅かに大きくなり、その瞳の輝きが増した。
「我を含めて、十三人が生き残った。まさに僥倖というやつだ。皆、三割から四割は骨が減っておったのでな。骸骨の身にして、減量に成功したと笑い合ったのは、いい思い出よ」
笑いのツボがおかしい。
「……では、恨んではいないのですか?」
「死者の言葉を生者が語るのは無粋。なれど、あえて言おう。――皆、笑って切り込んだものだ」
「笑っ……て?」
私が想像する戦場に、笑顔はなかった。
私は、自分の頭の中の想像でさえ、笑って戦争も、殺し合いも、出来ない。
「誰も彼も、皆楽しそうに顎骨を打ち鳴らして、殺し殺されて死んでいった。もうあのような光景を見たくはない。だが、こうも思うのだ。笑って死ねる理由を持てた事を、誇りに思う、とな」
「…………」
「……軍人の理屈だ。記者殿は、頷かずともよい。それも、この平和な時代にあってはな」
黙り込んだ私に、優しく諭すような言葉がかけられる。
「すみません……」
「謝られる必要はないぞ。ただ、我らはそのような理屈を共有した。ゆえに、最早何も恨まぬ。それだけである」
彼は歩き出し、私は後を追った。
聞きたい事はいくらでもあったのに、彼が語った軍人の理屈を前に、これ以上何が言えるだろう。
私は頷けない。頷いては、いけない。
でも。
私が――不死生物だったなら?
いつか記憶の一部を保持したまま不死生物になる可能性はある。
私達は皆、そう教えられる。
そうなった時、どう思うかを、どうするかを、問われる。
正解はない。
ただ、それを考える事に意味はある。
そういう問いだ。
私が軍人で――守りたい物があって。
殺して、殺されて――その先に、それでも守りたい物が、あったとしたら。
「自分がお送り出来るのは、ここまでだ」
彼が立ち止まり、少し距離を開けて後を追っていた私も立ち止まる。
気が付くと、王城の、一般開放されている所まで来ていた。
「ありがとうございました。……私、は……」
「ゆっくりと言葉にされるがよい。賓客を急かしはせぬ」
上手く言葉をまとめられずに口ごもる私に、彼は優しく言葉をかけてくれた。
「私は――」
ゆっくりと言葉をとりまとめて、改めて自分の中の望みを、はっきりとさせる。
「"病毒の王"が、どういう存在であったのか、知りたいのです」
その存在さえ疑った。
その功績の是非を問うた。
でも、もしかしたら、私はそれ以前の段階にいる。
私は、知らなければならない。
"病毒の王"とは、どのような存在だったのだろう?
「……ふむ。一言で言える存在でないのは確かであるが」
彼は困ったように首を傾げ、顎骨を革手袋をはめた手で撫でた。
その反応も当然だろう。陛下がおっしゃったように『漠然とした問い』だ。
「これだけは教えて下さい」
調べていく内に、分からない事ばかりが増えた。
信じられないような記録が、数多く残されている。
「"病毒の王"について語られる話の、どこまでが真実で、どこまでが虚偽だったのですか?」
「……何も、虚偽などない」
かつん、と顎骨が打ち合わされた。
「陛下がおっしゃったように、公式の記録、全てが真実だ。あの方の功績とされている全てが、真実だ」
「……それ、は……」
「語り得ぬ事もある」
どことなく、骸骨の顔が寂しそうに見えた。
「我らは、地獄を見たのだ。そしてあの方は、灯火のようであった」
私達は、種族によってまちまちではあるが、おおむね長い寿命を持つ。
その未来を使い潰すような犠牲の上に、国境線は維持された。
「あの方の名誉のために付け加えるのならば……あの方は、間違いなくあの地獄において、良識を保ち続けた一人であったよ」
「……良、識?」
「あの方は、自らの行いが非道であると分かっておられた。それに心を痛めておられた」
ぞくりとする。
"病毒の王"が非道だというのは、分かり切った事だ。
けれど。
良識?
私は、自分の事を良識がある方だと思っている。
――"病毒の王"が、良識を保ち続けたと言うならば。
「……それでもなお、自らの名前において、命令を下し続けて下さった。一度も……そう、ただの一度として、我らは『はしごを外された』と感じた事はない。それが、我らが最後まであの方の命令に従った理由である」
その私も、たとえば。
あの"病毒の王"と、同じ立場になれば。
あの"戦争の英雄"と、同じ境遇になれば。
あの"非道の悪鬼"と、同じ道を選ぶのだろうか?
「……どうして、それほどの非道な命令を下せたとお考えですか?」
私は、ほとんど記者の習慣で、それらしい質問を口にしていた。
彼は、淡々と答える。
「『敵』も同じ命令を下した。我ら『魔族』を、老若男女の区別なく、人間でないものを全て等しく、殺せ……とな。あの方は、平和の価値を知っておられた。ゆえに――それを脅かす者共を、許せなかったのであろう」
「……そんな、の」
「そんな理屈が必要とされた時代があった」
優しく、言い聞かせるように彼は言った。
「――そしてもう、あの方の時代ではない。それだけの事である」
「誰の時代なのですか」
不死生物の表情は、分かりにくい。特に骸骨の物は。
でも、今、瞳の青緑の鬼火が細められ……口が薄く開けられ……彼は笑っているのだと、はっきりと分かった。
「君達の時代でなくて、なんだと言うのか?」