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病毒の王  作者: 水木あおい
EX
557/574

おとぎ話の英雄


 荒唐無稽な、おとぎ話。


 一つでさえ歴史に残るほどの戦果を数多く打ち立てた、伝説の大魔法使い。


 病と毒の王の名を冠した、非道の悪鬼にして、戦争の英雄。


 そんなものが、本当にいたのだろうか?

 そんな都合のよいものが、本当に?


 その荒唐無稽さを『説明』するために私が立てた仮説。



「だから、あれは。"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"とは虚像で、"第六軍"とは、そのありもしない存在を隠れ蓑に、非道な作戦を行うための部署だったのではありませんか……!?」



 陛下が目を見開く。

 そして、ぱち、ぱち……と何度か目を瞬かせて……。


「……ああ、そうだったら……良かったな……」


 ふっと、微笑んだ。


「あの人が、いなかったら。私達の元に来る事もなかったら。きっとあんな名前を名乗らなくてもよくて、ただの一市民として、誰も殺さないで、人生をまっとうできたろうに……」


 ぽつぽつと、痛みを込めて語られる言葉の一つを、私はほとんど反射的に、オウム返しにしていた。


「……一市民?」



「以前の軍歴がなくて当然だ。あの方は終戦三年前に軍人となった。正式な階級はたった一つ。"第六軍"、序列第一位、魔王軍最高幹部のみ」



「そんな」

「だから、記録は正確だ。……軍人など、まして英雄など、向いていなかったな。そんな方が重用されるとは、世も末だ。……末、だった」


 今は、世も末とは言い難い。

 国内の情勢は安定し、人口は増え、死者は大幅に減った。――もちろん、当時の軍人の死亡者数を勘定に入れないでの話だ。



「あの人がいなかったら、私達は負けていただろうけど。滅んでいただろうけど。ああ、でも。それでも、あのひとが幸せなら……」



 意味のない仮定だ。

 リストレアが滅びると言うならば、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"も――その名前を名乗る前の存在も、死んでいただろう。


 この大陸の周りは海に囲まれていて、この世界のどこにも逃げ場なんてない。


 陛下は、視線を落として呟いた。



「そんな優しい空想が許されるなら、私はそれを選んだかもしれない、な……」



 その痛々しい姿を見ていられずに視線を落とすと、チョコレートのケーキが目に入る。


 一部の嗜好品の値段も、戦中と比べて大幅に下がった。

 これが、今の十倍もするような時代があった。


 沈黙に耐えきれず、そろそろと、気まずさを誤魔化すようにケーキの半分ほどをフォークで切って、口に運ぶ。


 さっきはあんなに美味しかったのに。

 こんなに味がしないチョコケーキを食べたのは、初めてだ。


 陛下が、すーっと息を吸って呼吸を整える。


「……"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"は、本当にいた。残されている記録、全てが真実だ。……でも、そうだな。プロパガンダとしての側面があった事は、否定しない。"第六軍"とは、目立つあの方を隠れ蓑に非道な作戦を行う部署だった」


 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"がいてもいなくても、"第六軍"がした事が、大きく変わる訳ではない。


「……それは事実だ。だから、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の功績とされているものを、"第六軍"の戦果と置き換えれば、違和感は薄くなるかもしれない」


 陛下の言葉を聞く内に、違和感が少しずつ薄くなっていく。

 説明が、ついてしまう。


 私が顔を上げると、そこにいたのは、"蘇りし皇女リビングデッド・プリンセス"、"歩く軍隊(ウォーキングアーミー)"、"戦場の鬼火ウィル・オー・ウィスプ"……と、数々の二つ名で呼ばれた、建国初期からの最古参である上級軍人だった。


「……聞きたい事は"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"について、だったな。私がどう思うか、で答えよう」


 先代の魔王陛下から指名を受けて、軍内外からの絶大な支持を背景に就任した、当代のリストレア魔王国、国王、レベッカ・スタグネット。



「あの方がいなければ、おそらく私達は負けていた。そしてあの方は、その責任を全て背負われた。……部下として、尊敬している」



 彼女は、幼い声質を殺すようにして、重々しく宣言した。


「私達がしたのが、平和な時代にあっては聞くもおぞましい非道だったとして……それでもだ」


「……そこまで断言して……よろしいので?」


「私は、この立場に望んでなった。そして、この立場に至るまでの苦楽を共にした戦友達を裏切れない。これは、私の本音だよ」


 陛下は微笑んで、カップを空にした。

 空になったコーヒーカップが机に戻される、ことりという音。

 彼女は時計をちらりと見た。


「――話は、終わりだ。それを望むならば、記事にしてくれても構わない。糾弾する事も自由だ。今のこの国は、その程度には開かれているから」


「……もしも、糾弾や、陛下の罷免の機運が高まれば、どうなされるのですか?」


 多分そうなる事は、ないだろう。

 陛下の人気は高い。よほど上手く煽ったとしても、それが主流になるとは思えなかった。


「何もしないよ。必要ならコメントをする。私が辞めた方がよいのなら、それで話は終わりだ」


 それを分かっているのかいないのか、陛下はあっさりと言った。


「もう、私以外、責めを負うべきは誰もいない。……もうこの国に、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"は、いないのだから」


 当時の最高幹部で残るのは、リタル様のみ。

 リタル様を責められるやつは、この国にいないだろう。


 リストレアにおける安全と物流に関して、多くをドラゴンが担っている。そして何より、自らの白銀の鱗そのもののような清廉潔白な人柄で、山脈や温泉地にその名を冠されるほどに親しまれているお方だ。

 ちなみに趣味は温泉に浸かる事だとか。



「私は――あの人の部下だ。この時代に、あの人の責任が問われるのなら、それは私が背負おう」



 彼女は自分の薄い胸に手を当てて、静かに宣言した。

 命令を下したのは"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"及び、先代の魔王。


 彼女の序列は三位と高かったとは言え、『上』がいた。リストレア魔王軍における序列の高さとは、すなわち発言権の強さであり、その差は覆らない。


 いくらでも言い逃れられる立場にいると言うのに、責任の所在を明らかにしようとするその姿は、まさしくこの国の指導者に相応しかった。


「今の立場に、未練はないと?」


「誰かがやらねばならない仕事だが、もう私である必要はないからな」


 そうだろうか。

 一部には、『魔王』……国の指導者は、民によって選ばれるべきだと主張する者がいる。


 建国王であった初代魔王陛下はともかく、権力の委譲が密室で行われるのでは、権力の暴走を止める手段がない、と。


 ――かつての人間国家の一つ、ペルテ帝国では、『選帝院』という国家機関によって皇帝が選出され、世襲ではなかった。

 それを民間へ拡大する事で、私達は、より透明度の高い方法で、より良き指導者を選ぶべきだ――と。


 一理ある。



 まあ、そうしても玉座の座り手が代わる事はないだろう。



 魔王軍が公式に販売している、軍幹部のブロマイドの売り上げ累計トップの不動は、レベッカ・スタグネット……現魔王陛下だ。


 期間別ならば、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"や"血騎士(ブラッドナイト)"、"上位死霊(グレーターレイス)"に"折れ牙"と、当時の最高幹部の中でも迫る者がいる。


 しかし、在任期間が違いすぎる以上、累計での差は揺らがない。

 そして、あれほどの英雄達は、もういないのだ。


 実力はともかく、武勇を示すような戦場自体が存在しない。


 レベッカ・スタグネットにスキャンダルの気配でもあれば別だが、軍人だけでも、幅広い階級に人気というのは尋常ではない。

 "第四軍"はもちろん、"第二軍"、"第三軍"にまで人気であり、"第一軍"と"第五軍"からの信頼も厚い。


 目立った不手際もなく……なんと言うか、物質幽霊(マテリアルゴースト)という希少種族である事も相まって、この種族が入り乱れるリストレアにあって、彼女以上に王に相応しい人物は、そうそう現れないだろうと思わせるほどの器量をお持ちだ。


 ついでに外見も愛らしくあらせられるので、そういう意味でも人気が高い。

 正確なデータはないが、先代陛下より子供達からの人気も高いとの噂。


 彼女が立ち上がる。

 しかし、大きくは目線が変わらない。


 それでも、その姿は随分と大きく見えた。


「言った通り、好きに記事にしてくれればいい。私からは、妙な横槍は入れないと約束しよう。だが、少しだけ考えてくれ」


「何をですか?」


「"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の行動は、当時の軍規定はもちろん、通常の法律にさえ抵触していない。そしてあの方は、当時六人しかいない魔王軍最高幹部だった。――陛下に次ぐ、特権を持っていた」


 私は、うつむいた。

 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"がいなければ、確かに今の平和は、なかったのかもしれない。


 けれど、あれほどの非道を、必要の一言では割り切れない。 

 当時を生きた人の……多分ほとんど全てを知る人の言葉を聞いても、まだ。


 それだけの非道。それだけの『戦果』。


 今、私達の国から一種族が欠けたら――と想像したら、それは恐ろしい事だ。


 しかしそれは、過去に行われた事なのだ。

 陛下の『生前の種族』はエルフだという。


 私達ダークエルフと、ほんの少し肌の色の違う種族は、私達よりほんの少し耳の短い種族に、滅ぼされた。


 そして私達は、その『人間』を滅ぼした。


 善悪の境界は、容易く揺らぐ。

 でも、だからこそ。


 私達は、それを考えていかなくては――



「……でも、考えて欲しいのは、そういう事ではなくて」



 はっとする。

 彼女の言葉には、続きがあった。

 

「私達は、ルールのない戦争を生き延びるために、戦った……」


 魔王陛下が、微笑んだ。



「それをなんと呼ぶかは、君達の自由だよ」




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― 新着の感想 ―
[良い点] 良いですね。 戦争を知らず、平和しか感じたことのない世代が。 戦中の英雄の「所業」に拒否感を示し、疑問を持って調査して、最終的に国のトップに面会、想いの丈をぶつける。 世が世なら、…
[良い点] 平和しか知らない世代からの視点が良く描かれてる。 こういう目線で物事が見れる世代が産まれた事自体が尊い。 [一言] もう何百年かする頃には、魔法を駆使して戦うB級アクション映画染みた『猛…
[良い点] 平和しか知らない世代には考えさせてくれるお話です。 後世の人は当時の生活や厳しさなんか知らないから仕方なかったでは納得できないですよね。 どうしても結果から逆算してしまいますし。 レイチェ…
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