路面電車
王都を走る、路面電車。
技術的には戦後まもなく完成していたというし、そもそも技術自体は別に目新しいものを使っていないらしい。
戦後五十年を記念して大都市から順に配備され、今ではある程度の規模の都市なら走っているのを見る事が出来る。
現在は、戦後百年の節目に、『北』と『南』を繋ぐ鉄道網……『大陸間横断鉄道』が計画されていて、取材した事もある。
長距離の貨物輸送に関しては、現在"第一軍"……ドラゴン達が一手に引き受けてはいるが、あまりデリケートな物には向いていない。
特に人の移動は、今も限定的だ。
物流に関する最大手、不死生物が中心となって運営される幽霊旅団社が反対するのではという噂もあったが、意外にも鉄道網に肯定的のようだ。
レールの敷設に、その維持管理。鉄道網から外れた地域の需要。新たな仕事は常にどこかにあり、移動手段が変わっていくなら、それに対応していくだけだと淡々と語った同社の女性幹部、アイリス氏の言葉が印象的だった。
考えてみれば、当時としてはかなり革新的な会社だったのだ。
歴史的には、魔王軍の下で管理されてきた不死生物が、戦後一年と少しで、他の改革と共に施行された戸籍制度によって、違う管理体制に組み込まれた。
それでも、多くのアンデッドは軍に留まる道を選んだ。
理由は様々だが――その筆頭は、それが『一番楽』だったからだ。
周りにいる者は多くが同種族で、共感もしてくれる。食いっぱぐれる事もない。仕事に、それなりのやり甲斐もある。
それら全てを、自分達で得なければならないとなったら、どうするのか。
その回答の一つを、幽霊旅団社は示してみせた。
不死生物の種族特性を、積極的に仕事に利用し、けれど同社は、不死生物以外も雇用している。
御者以外にも、予約受付にルート設定、中継点の宿の経営など、ダークエルフ、獣人、そして少ないがデーモンも同社のスタッフにはいるのだ。
魔王軍の、最高幹部に関する規定、『配下に最低一人の異種族を置く事』を参考にしたという。
序列は規定しない上に、人数も最低一名とかガバガバの規定なのだが、それなりに効果はあったらしい。
今も、各軍の多くは種族ごとに分かれている。
それは当然だ。種族特性を利用するために部署が分かれたのだから。
ただ、それぞれに以前より違う種族がいる。
軍と名は付いていても、もう戦争を目的としていないのだから。
あの戦争は、間違いなくリストレアにとって大きな転機だった。
特に戦後一周年式典……を終えた少し後に、戦後史において重要視される出来事が多く集中している。
婚姻規定から、種族と性別が撤廃された。
相続を中心に税制が見直され、今では当時とは大きく変わっている。よりシンプルに、より公平に。少なくとも、それを目指して。
――その中の一つ、『"病毒の王"の結婚式』。
結婚式と名は付いているが、戦後最大の武力を用いた反乱だ。
これを徹底的に――反乱側に生存者を一人も残さず――鎮圧し、以後リストレアでは、本格的な武力衝突は起きていない。
当時の魔王軍最高幹部が全員参戦した残酷なまでの戦力差から、一部では『反乱を誘発し、国内の不穏分子を狩り出す事を目的とした』とさえ語られる。
上位死霊の"病毒の王"と、そのメイドであるダークエルフとが結婚したと、歴史は伝えている。
しかし、同日の結婚数はゼロ。
式と入籍は違う日だったらしく、さらに言うなら、戸籍に"病毒の王"の名は記されていない。
あれは、"第六軍"の序列第一位としての称号なのだから当然というものだけど、それが足跡を追うのを面倒にしている。
「次はー、王城前ー。王城前ー。お忘れ物にご注意下さいー」
拡声魔法を使った、穏やかで間延びした声。定番のアナウンスからほどなくして、路面電車が『王城前』で止まる。
この国は、大きく変わった。
……でも、大人達が言うほどに大きく変わったような気は、しない。
昔はこんな物はなかったと言われる路面電車にしても、大雑把に区切られた区画を周回しているだけで、そんなに本数も多くない。
安全のためとかでそんなに速度も出ていないし、たまに猫なんかが前に飛び出して、緊急停止する。
便利と言えば便利だが、もっと便利に出来るだろう。
改善を要望する声も上がるが、リストレア国営鉄道は頑なに方針を変えない。
でもそれでいいんだよと、大人達は笑っていた。
私も、それでいいと思う。
路線が増え、本数が増えれば、魔力消費量が増える。今よりもっと魔力充填に携わる人が増え……そのためだけに働く人達が出るようになって、きっと、何のために『便利に』したのか分からなくなる。
っておばあちゃんも言ってた。
無段差の昇降口から降りたところで、ふと思った事を呟いた。
「そういえば私……おばあちゃんが何してるのか、知らないな……」
おばあちゃん達の場合は何をしてるのか、聞けばいい。
けれど、あの魔王軍最高幹部に関しては、そうではない。
リストレア五百年の歴史の中で、戦中戦後、合わせてたった十三年間だけ存在した"第六軍"。
公式に開示されている事が信じられないほどの……それこそ血も凍るような非道を行う部署が、かつてこの国の軍には存在した。
『短剣をくわえた蛇』を紋章にした、病と毒の王に率いられ。
『人間』という一つの種族が、この地上から絶滅させられたのだ。
リストレア魔王国は、種族を理由に差別する事を、明確に法で禁じている。
その国が、種族を理由に戦争をして、一つの種族を滅ぼした。
今さら、責めようという意図はない。
けれど。
私達は、知らなければならない。
私達が、何をしたのか。
あの戦争が、どのようなものだったのか。
"病毒の王"とは、なんだったのか。
私は路面電車から降りた後、王城からほど近い、王立図書館へ向かう。
その入り口の階段を二つに分けている彫像を見上げた。
視線を上げると太陽の光が眩しくて、キャスケットのつばを掴んで少し目深にかぶり直し、目を細める。
心なしか睨むようになってしまったのは、"病毒の王"の像だ。
……いや、正確に言えば『モデルは不明』だ。そういう事になっている。
女性像だし、肩布も、仮面もない。杖のデザインも違う。
その石像は、"無名の結婚の守護聖人像"として親しまれている。
フード付きのローブをまとい、フードの陰の顔は目を閉じて微笑み、杖の先端には八角形の石が鎖で下げられて、左手は手の甲を見せるようにして掲げられている。その姿は……確かにどことなく神々しい。
見る度に、どこかで見たような気がするのだけど、ダークエルフの常で、人を顔ではなく魔力反応で見分けている所があるので、顔だけでは思い出せなかった。
イメージされているのは"病毒の王"だというのが公然の秘密だが、モデルになった女性は不明。作者も不明で、ただデーモンだという噂だ。
今では違う作者によって同じ題材が多数彫られ、待ち合わせスポットの目印から、土産物にガーデンオブジェまで、ちょくちょく見る。
しかし、この原点と言われる彫像こそが、最も完成度が高いという評判だ。
確かに、たおやかな微笑みに、服のしわに、髪の一本一本、そして伸ばされた指の先端に至るまで、彫刻家の深い愛情が伝わってくるようだ。
かつて私達リストレアの住民を『魔族』として分断した宗教が敵だった事もあり、リストレアには特定の宗教が広く根付いていない。
そういう意味では、あらゆる種族と性別の間での婚姻を認める法律を成立させる切っ掛けとなった――少なくとも象徴になった――"病毒の王"が、このような形で広く認知されているのは、その隙間にはまったという事かもしれない。
でも。
このひとは。
「"戦争の英雄"? "結婚の守護聖人"?」
認めなかったじゃないか。
自分達と違う、その全てを、滅ぼしたじゃないか。
「私は、そんな風には思えないよ……」
胸の内に渦巻くもやもやを、口の中で呟いて吐き出す。
私は、顔を伏せて彫像の横を通り過ぎると、今日のお目当てである王立図書館へと入館した。




