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病毒の王  作者: 水木あおい
EX
551/574

思い出の写真


 あのイトリアで、私の初めての戦争は終わった。


 私は、戦争の英雄の一人に数えられるようになった。


 正式に暗黒騎士の叙勲も受けた。が、それでも私は下っ端の一人だ。兵士の下っ端から、騎士の下っ端になっただけ。


 戦後、軍人が要らなくなったかと言えば、そうでもない。


 平和でも、特に戦争直後には、やる事はいくらでもあった。私のような下っ端にとっては、戦後の方が仕事が増えて、大変だったぐらいだ。



 そしてある日、『約束』を思い出したのだ。



「この戦争が終わったら、好きなだけ現像して、サインしてやる」



 ――この目に、この胸に、この心に、しかと焼き付けた、二人の英雄の姿。

 確かに私が、あの戦場にいたという証。


 私は当日中に約束を取り付け、翌日には、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の館を訪れていた。


「よく来てくれた!」


 門の前で、メイドを伴った"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様ご本人が出迎えてくれた。


 戦中と同じ装束と、同じ顔。しかしその姿は薄く透き通っていた。――上位死霊(グレーターレイス)になったとの噂は本当だったらしい。


「現像しながら、お茶にしよう」


 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様は、そのいかめしい名には似合わない笑顔で、緊張をほぐすように、気さくに笑いかけてくれた。




「本当に、よく来てくれた。嬉しいよ」


 渡された『印画紙』に記憶映像が定着するのを待っている間、彼女は正式に騎士になったばかりの私にお茶をすすめ、親しげに話しかけて下さった。


 三十分ほども話して、緊張は随分とほぐれた。

 お茶うけのクッキーも美味しかったし。


 私は、何気なく聞いた。


「大変でしょう。これまで、一体何人来たんです? こんなに時間をかけて下さるとは……あ、いえ、光栄なのですが」


 笑みが、彼女の顔から消えた。



「お前だけだ」



 ぼそりと、抑揚のない声で放たれた言葉の意味を、咄嗟には掴めなかった。


「私だけ?」


「……君が、一人目だ。まだ他には、誰も来ていない」


 ようやく、私の愚かな頭は理解した。


 私は忙しさに、つい忘れていた。

 同じような奴もいるかもしれない。

 その場しのぎの口約束と、諦めていた奴もいるかもしれない。


 けれど、あの場には、何百人もいたのだ。

 尊敬する最高幹部のツーショットにサインを貰える、千載一遇のチャンスを忘れているようなバカばかりのはずが、ないではないか。


 そして、何故私のような一兵卒が、戦争の英雄の一人に数えられているのか。



 ――それだけの数しか、生き残らなかったからだ。



 "イトリア帰り"と言えば、それだけで一目置かれるほどに。


 最高幹部は、全員が生き残っている。

 それに、私も生き残った。


 だから、錯覚してしまったのだ。

 あの戦争を勝利で終えられた事が、当たり前だったかのように。


 あの戦争に勝てた事を、後世の歴史家が口を揃えて『奇跡』と言うほど、大きな戦力差だったのだ。

 だが、私を含め、当時の時代を生きた者は、皆が知っている。


 あれは、奇跡などではなかった。


 "第一軍"から"第六軍"まで、最高幹部は言うに及ばず、私達一兵に至るまで、皆の全力を尽くして勝ち取った、勝利だったのだ。




「できたかな?」

「ええ、ばっちりです」


 現像が終わり、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様が魔力でサインをする。

 世界で一枚のブロマイドだ。


「ブリジットにもサインを入れてもらうといい。話は通してあるから」

「ブリジット……ブリングジット様ですね」


「そうだ」

「光栄であります。……本日は、ありがとうございました。皆への土産話ができました」


 自慢話とも言う。


「喜んでもらえたなら、嬉しい。……あの日の約束を、本気にしていない者がいるかもしれない。吹聴してくれ」

「ええ」


 あの場にいた者は、間違いなく貰いに来るだろう。

 あの場にいなかった者には……自慢してあげよう。


「やっぱり、一人にこれぐらい掛けるおつもりなんですね?」

「リズ。彼女らの力なくして、勝利はなかった。そして私は約束をした。――これは、彼女らの正当な権利だ」


 胸が熱くなる。

 あの方ほどの英雄ともなれば、「私の力なくして勝利はなかった」と言ってもいいぐらいだろうに。


「……それはそうですけどね」

 メイドの方がため息をついた。


「マスターの休憩時間から、引きますからね」

「え」


 虚を突かれた顔になる"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様。


「当然です!」


 思わず笑いそうになって――きっと許してくれただろうが――慌てて真面目な顔を取り繕って姿勢を正した。


「それでは、失礼いたします。――改めて、本日はありがとうございました!」


「ああ。……これからも、この国を頼む」

 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様は、微笑んだ。



「私も、戦うから」



 その笑顔も、私は心に焼き付けた。

 次の給料をつぎ込んででも、印画紙を購入して、記憶映像を定着させる高等術式を利用して現像しようと、心に決めて。




 それからの"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の功績は、語るまでもないだろう。


 数々の戦後復興への尽力。


 ダークエルフと獣人はもちろん、不死生物(アンデッド)悪魔(デーモン)(ドラゴン)をも含めた戸籍の整備。


 それに伴う結婚制度・相続制度の改革。


 ――そして、部下でダークエルフのメイドと、異種同性婚をすると発表された時は、当時を知る者は皆、笑い転げたものだ。



 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"がまたやらかした! と。



 さらに結婚式に乗じた反乱を鎮圧。

 以後、戦後復興への不可解な横槍はぴたりとなくなった。

 やはり皆で言い合ったものだ。



 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"を敵に回す馬鹿がいたとは! と。



 どんな大金を積まれても、まともな軍人なら、最高幹部を敵に回そうなどとは思わない。

 まして、あの方達を敵に回す事を正当化するような大義など、あるはずがないのだから。




 ――それから、随分と時間が経った。


 今は、建国歴五百二十年。


 来年で、丁度戦後百年になる。

 当時の日記などを見返しつつ、この手記を書いている。


 この手記を、私が生きている間に公開する事はないだろう。

 ただの事実を事実として語るには、私の立場は重くなりすぎた。

 私は今も軍人だが……随分と偉くなってしまった。


 かつて憧れた人達と同じ――"魔王軍最高幹部"。


 二つ名さえ持たぬ私が暗黒騎士団長などと、戦後、騎士となったばかりの私が聞けば笑い飛ばしただろう。


 ブリングジット様の後任は彼女ほどの英雄ではなく、その後任である私は、輪を掛けて平凡だ。

 最前線の指揮官ではなく、治安維持機構の長としての役割が、今の"第二軍"暗黒騎士団長には求められている。



 暗黒騎士団長の地位に夢を抱き、いつかは自分達もと狙う若者達の間で、大戦を生き残っただけの凡人と噂されている事は知っている。



 私は、英雄ではない。それは、私が一番よく知っている。


 しかしあの戦争で、生き延びるだけの事が、いかに難しかった事か。


 この国は、随分と変わった。

 戦争を知らない世代が増えた。

 "第六軍"は、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の退役と同時に解体された。


 だから今では、この国の最高幹部は五人なのだ。


 当時の最高幹部は、リタル様の他は、もう誰も残っていない。

 陛下もまた、退位された。

 "旧きもの(オールド・ワン)"様と結婚しての、寿退職ならぬ寿退位には驚かされたが。



 ――当時の英雄達は、ほとんど皆、表舞台から姿を消した。



 あの方達は今、どうしているだろう。

 消息を知る方も、知らぬ方もいる。

 自らが創った平和を味わっていて欲しいと、願うばかりだ。


 かつて英雄達によって築かれた平和を維持していく事が、英雄ならぬ私に課せられた仕事だ。




 私は羽飾りのついたペンを置くと、自室の壁に並ぶ、額に入れて飾られた写真の数々に視線を向けた。


 戦争当時の幹部ブロマイド(世界に数枚しかないと噂のサイン入り以外はコンプリート済み)。

 戦友達の面影。

 夫や子供の肖像。

 そして"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様と"血騎士(ブラッドナイト)"ブリングジット・フィニス様のツーショット写真、サイン入り。

 後に数人がお願いしに行ったと聞いているが、これは私の記憶映像を元にしているので、世界に一枚しかないレア物だ。



 一枚の写真を、持っている。



 私は、机の引き出しから一枚の写真を取り出した。


 強化魔法などは一応掛けてあるのだが、私が下手なのか、管理が悪いのか、日の当たる所に飾っていたらいつの間にか色褪せてしまった。

 市販のブロマイドは、映像の定着やその強度などに気を遣われていたからこそ、あのお値段だったらしい。


 机の中に大事にしまい、取り出して笑顔で眺めている姿を夫――当時はまだ恋人――に見られた時は、浮気を疑われてしまった。


 私が「写ってるの女のひとなのに何を言って」と笑い飛ばそうとしたら「君こそ何を言ってる。性別に何の関係が?」と言われてしまった。


 もっともだ。これは私が悪い。


 あの方が種族も性別も関係ないと示してみせた結婚式以来、女同士のカップルは当たり前に見かけるようになっている。


 でも、これはあくまで憧れだった人で、浮気なんかではないという事を誠心誠意心を込めて、丁寧に説明したら分かってくれた。


 浮気を疑われてちょっぴり傷付いたので、腰に吊った剣の柄に手を掛けながらだったけど。


 でも、それが結婚に踏み切る切っ掛けにもなったので、何がどう転がるか分からないものだ。


 取り出した写真に、語りかけた。



「"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様。私はまだ、ここで戦います。あなた達が……いえ、『私達』が勝ち取った、平和ですから」



(これからも、この国を頼む)


 ただの一騎士に。戦場の口約束を頼りに面会を求めた一兵卒に、笑顔と共にかけて下さった言葉が、今も心に残っている。



(私も、戦うから)



 その言葉を、その時の気持ちと共に鮮やかに思い出させてくれる、彼女の笑顔を写し取った、一枚の写真を、持っている。




挿絵(By みてみん)




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― 新着の感想 ―
[良い点] これは…、なんと言うか、やはり「遺影」に見えてしまうな…。 とても綺麗で、素敵な表情。 EXももう終わりが近いし、マスターの「物語」も終幕か…。 戦後百年。病毒の王を知らない、そんな…
[良い点] こういう回顧録的なのはずるい。素敵。 [気になる点] 女性同士の結婚をよく見るのは、前例が前例だから納得なんですが。男性同士の結婚は増えなかったのかな?単純に女性の方が多いからかな? [一…
[一言] なんという綺麗な終わり方 主人公達は隠居してゆっくりと過ごしていると思う
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