思い出の写真
あのイトリアで、私の初めての戦争は終わった。
私は、戦争の英雄の一人に数えられるようになった。
正式に暗黒騎士の叙勲も受けた。が、それでも私は下っ端の一人だ。兵士の下っ端から、騎士の下っ端になっただけ。
戦後、軍人が要らなくなったかと言えば、そうでもない。
平和でも、特に戦争直後には、やる事はいくらでもあった。私のような下っ端にとっては、戦後の方が仕事が増えて、大変だったぐらいだ。
そしてある日、『約束』を思い出したのだ。
「この戦争が終わったら、好きなだけ現像して、サインしてやる」
――この目に、この胸に、この心に、しかと焼き付けた、二人の英雄の姿。
確かに私が、あの戦場にいたという証。
私は当日中に約束を取り付け、翌日には、"病毒の王"の館を訪れていた。
「よく来てくれた!」
門の前で、メイドを伴った"病毒の王"様ご本人が出迎えてくれた。
戦中と同じ装束と、同じ顔。しかしその姿は薄く透き通っていた。――上位死霊になったとの噂は本当だったらしい。
「現像しながら、お茶にしよう」
"病毒の王"様は、そのいかめしい名には似合わない笑顔で、緊張をほぐすように、気さくに笑いかけてくれた。
「本当に、よく来てくれた。嬉しいよ」
渡された『印画紙』に記憶映像が定着するのを待っている間、彼女は正式に騎士になったばかりの私にお茶をすすめ、親しげに話しかけて下さった。
三十分ほども話して、緊張は随分とほぐれた。
お茶うけのクッキーも美味しかったし。
私は、何気なく聞いた。
「大変でしょう。これまで、一体何人来たんです? こんなに時間をかけて下さるとは……あ、いえ、光栄なのですが」
笑みが、彼女の顔から消えた。
「お前だけだ」
ぼそりと、抑揚のない声で放たれた言葉の意味を、咄嗟には掴めなかった。
「私だけ?」
「……君が、一人目だ。まだ他には、誰も来ていない」
ようやく、私の愚かな頭は理解した。
私は忙しさに、つい忘れていた。
同じような奴もいるかもしれない。
その場しのぎの口約束と、諦めていた奴もいるかもしれない。
けれど、あの場には、何百人もいたのだ。
尊敬する最高幹部のツーショットにサインを貰える、千載一遇のチャンスを忘れているようなバカばかりのはずが、ないではないか。
そして、何故私のような一兵卒が、戦争の英雄の一人に数えられているのか。
――それだけの数しか、生き残らなかったからだ。
"イトリア帰り"と言えば、それだけで一目置かれるほどに。
最高幹部は、全員が生き残っている。
それに、私も生き残った。
だから、錯覚してしまったのだ。
あの戦争を勝利で終えられた事が、当たり前だったかのように。
あの戦争に勝てた事を、後世の歴史家が口を揃えて『奇跡』と言うほど、大きな戦力差だったのだ。
だが、私を含め、当時の時代を生きた者は、皆が知っている。
あれは、奇跡などではなかった。
"第一軍"から"第六軍"まで、最高幹部は言うに及ばず、私達一兵に至るまで、皆の全力を尽くして勝ち取った、勝利だったのだ。
「できたかな?」
「ええ、ばっちりです」
現像が終わり、"病毒の王"様が魔力でサインをする。
世界で一枚のブロマイドだ。
「ブリジットにもサインを入れてもらうといい。話は通してあるから」
「ブリジット……ブリングジット様ですね」
「そうだ」
「光栄であります。……本日は、ありがとうございました。皆への土産話ができました」
自慢話とも言う。
「喜んでもらえたなら、嬉しい。……あの日の約束を、本気にしていない者がいるかもしれない。吹聴してくれ」
「ええ」
あの場にいた者は、間違いなく貰いに来るだろう。
あの場にいなかった者には……自慢してあげよう。
「やっぱり、一人にこれぐらい掛けるおつもりなんですね?」
「リズ。彼女らの力なくして、勝利はなかった。そして私は約束をした。――これは、彼女らの正当な権利だ」
胸が熱くなる。
あの方ほどの英雄ともなれば、「私の力なくして勝利はなかった」と言ってもいいぐらいだろうに。
「……それはそうですけどね」
メイドの方がため息をついた。
「マスターの休憩時間から、引きますからね」
「え」
虚を突かれた顔になる"病毒の王"様。
「当然です!」
思わず笑いそうになって――きっと許してくれただろうが――慌てて真面目な顔を取り繕って姿勢を正した。
「それでは、失礼いたします。――改めて、本日はありがとうございました!」
「ああ。……これからも、この国を頼む」
"病毒の王"様は、微笑んだ。
「私も、戦うから」
その笑顔も、私は心に焼き付けた。
次の給料をつぎ込んででも、印画紙を購入して、記憶映像を定着させる高等術式を利用して現像しようと、心に決めて。
それからの"病毒の王"の功績は、語るまでもないだろう。
数々の戦後復興への尽力。
ダークエルフと獣人はもちろん、不死生物、悪魔、竜をも含めた戸籍の整備。
それに伴う結婚制度・相続制度の改革。
――そして、部下でダークエルフのメイドと、異種同性婚をすると発表された時は、当時を知る者は皆、笑い転げたものだ。
"病毒の王"がまたやらかした! と。
さらに結婚式に乗じた反乱を鎮圧。
以後、戦後復興への不可解な横槍はぴたりとなくなった。
やはり皆で言い合ったものだ。
"病毒の王"を敵に回す馬鹿がいたとは! と。
どんな大金を積まれても、まともな軍人なら、最高幹部を敵に回そうなどとは思わない。
まして、あの方達を敵に回す事を正当化するような大義など、あるはずがないのだから。
――それから、随分と時間が経った。
今は、建国歴五百二十年。
来年で、丁度戦後百年になる。
当時の日記などを見返しつつ、この手記を書いている。
この手記を、私が生きている間に公開する事はないだろう。
ただの事実を事実として語るには、私の立場は重くなりすぎた。
私は今も軍人だが……随分と偉くなってしまった。
かつて憧れた人達と同じ――"魔王軍最高幹部"。
二つ名さえ持たぬ私が暗黒騎士団長などと、戦後、騎士となったばかりの私が聞けば笑い飛ばしただろう。
ブリングジット様の後任は彼女ほどの英雄ではなく、その後任である私は、輪を掛けて平凡だ。
最前線の指揮官ではなく、治安維持機構の長としての役割が、今の"第二軍"暗黒騎士団長には求められている。
暗黒騎士団長の地位に夢を抱き、いつかは自分達もと狙う若者達の間で、大戦を生き残っただけの凡人と噂されている事は知っている。
私は、英雄ではない。それは、私が一番よく知っている。
しかしあの戦争で、生き延びるだけの事が、いかに難しかった事か。
この国は、随分と変わった。
戦争を知らない世代が増えた。
"第六軍"は、"病毒の王"の退役と同時に解体された。
だから今では、この国の最高幹部は五人なのだ。
当時の最高幹部は、リタル様の他は、もう誰も残っていない。
陛下もまた、退位された。
"旧きもの"様と結婚しての、寿退職ならぬ寿退位には驚かされたが。
――当時の英雄達は、ほとんど皆、表舞台から姿を消した。
あの方達は今、どうしているだろう。
消息を知る方も、知らぬ方もいる。
自らが創った平和を味わっていて欲しいと、願うばかりだ。
かつて英雄達によって築かれた平和を維持していく事が、英雄ならぬ私に課せられた仕事だ。
私は羽飾りのついたペンを置くと、自室の壁に並ぶ、額に入れて飾られた写真の数々に視線を向けた。
戦争当時の幹部ブロマイド(世界に数枚しかないと噂のサイン入り以外はコンプリート済み)。
戦友達の面影。
夫や子供の肖像。
そして"病毒の王"様と"血騎士"ブリングジット・フィニス様のツーショット写真、サイン入り。
後に数人がお願いしに行ったと聞いているが、これは私の記憶映像を元にしているので、世界に一枚しかないレア物だ。
一枚の写真を、持っている。
私は、机の引き出しから一枚の写真を取り出した。
強化魔法などは一応掛けてあるのだが、私が下手なのか、管理が悪いのか、日の当たる所に飾っていたらいつの間にか色褪せてしまった。
市販のブロマイドは、映像の定着やその強度などに気を遣われていたからこそ、あのお値段だったらしい。
机の中に大事にしまい、取り出して笑顔で眺めている姿を夫――当時はまだ恋人――に見られた時は、浮気を疑われてしまった。
私が「写ってるの女のひとなのに何を言って」と笑い飛ばそうとしたら「君こそ何を言ってる。性別に何の関係が?」と言われてしまった。
もっともだ。これは私が悪い。
あの方が種族も性別も関係ないと示してみせた結婚式以来、女同士のカップルは当たり前に見かけるようになっている。
でも、これはあくまで憧れだった人で、浮気なんかではないという事を誠心誠意心を込めて、丁寧に説明したら分かってくれた。
浮気を疑われてちょっぴり傷付いたので、腰に吊った剣の柄に手を掛けながらだったけど。
でも、それが結婚に踏み切る切っ掛けにもなったので、何がどう転がるか分からないものだ。
取り出した写真に、語りかけた。
「"病毒の王"様。私はまだ、ここで戦います。あなた達が……いえ、『私達』が勝ち取った、平和ですから」
(これからも、この国を頼む)
ただの一騎士に。戦場の口約束を頼りに面会を求めた一兵卒に、笑顔と共にかけて下さった言葉が、今も心に残っている。
(私も、戦うから)
その言葉を、その時の気持ちと共に鮮やかに思い出させてくれる、彼女の笑顔を写し取った、一枚の写真を、持っている。