うちのマスターは頭がおかしい
ああ、小さいな。
許可が出たので、少し身をかがめて、背中に腕を回してそっと抱きしめたレベッカの身体は、本当に華奢だった。
リズも私より少し背が低いけれど、抱きしめると存在感を主張する部分があるし、全身を鍛えているので、意外と抱き心地はしっかりしているのだ。
彼女は、頼りない。
腕の内で、突然の事に身を固くしていてさえ、柔らかくて、少し高い子供特有の体温が……懐かしい。
「……あ、の? 何をして……?」
「マスター。おたわむれを」
「許可貰ったから」
「あんな不意打ち、許可とは言いません。彼女は死霊軍の中でも非常に優秀な死霊術師です。……くれぐれも失礼のないように」
「分かったよ、リズ」
リズの言葉に頷いた。
レベッカを解放する。
「レベッカ。君は、私の仕事をどれぐらい正確に理解している?」
「……着任に当たり、陛下より、簡単な事情を聞き及んでいる。貴方は異世界より召喚された人間で、その視点を生かして、暗殺班と擬態扇動班を指揮して、人間国家の内政基盤への攻撃を担当している……と」
綺麗にまとめられている。百点に近い。
仕事の出来そうな可愛い部下が増えて、嬉しい限りだ。
「仕事の重要性と、重い責任だという事は?」
「理解しているつもりだ」
「なら話が早い」
私は、微笑んで見せた。
「この立場は、常に潤いと癒やしが不足していて、私はそれを求めている。よって、君にもそれを期待する」
「……マスター? だからくれぐれも失礼のないようにと」
リズがじっとりとした目で、私を睨む。
私は笑った。
「私の元に配属されたのだ。それは私の部下であり、私は部下に対する処遇に対して全ての権限と責任を持っている。違うか? リーズリット・フィニス」
「……違っておりません、"病毒の王"様」
リズが、諦めたように目を伏せる。
「……あの?」
「今はこれぐらいにしておこう。リズ。レベッカに案内を。必要な物があれば、君の判断で手配するように」
「はい、マスター」
そしてサマルカンドを伴って、謁見の間を後にする。
「またね」
「――さ、レベッカ」
「あ、ああ……」
「……リズ。聞いてもいいか?」
「はい」
"病毒の王"が退出した後、案内された部屋で二人きり。
レベッカが口にしたのは、当然の疑問だった。
「私が着任の挨拶をしたのは、本当にあの"病毒の王"か?」
「ええ、間違いなく"病毒の王"様ご本人ですよ」
謁見の間でも見せた、諦めたような顔だった。
「あんなのが、最高幹部か?」
「あれでも最高幹部なんですよ」
頷くリズ。
そして少し目をそらす。
「……まあ、たまに喋る内容がおかしいですけど」
「それは痛感したが。……なんで私は抱きしめられたんだ? いや、確かになんとなくで頷いた私が悪いのだが」
「いや、うちのマスターが悪いんですよ。誰があの真面目な流れであんな馬鹿な事言い出すと思うんですか」
ため息をつくリズ。
「適度にセクハラに注意して下さいね」
「せくはら?」
聞き慣れない言葉をオウム返しにしたレベッカに、リズが解説する。
「性的な嫌がらせです。いや、多分マスターに悪意はないんですけど。悪意だけはないんですけど」
「……今、なんて?」
「まあ性的と言いましたが同性ですし、要求されるのは、スキンシップと添い寝と入浴程度ですよ。言った通り、マスターに悪意はないみたいですし、あれでも最高幹部の重圧を背負っておられるのです。多少……いえ、かなり広めの心で、適度にあしらっていただければ、幸いです」
「私は女だぞ?」
「マスター、別に男の人が嫌いとかじゃないみたいですけど、何度か『可愛い女の子が好き』と言っておられました」
「……は?」
「私自身、好きだと言われた事が何度か」
「あ……恋人なのか?」
「違います。……どうせ、ふざけてるだけですよ」
「……で? 私も? こんな見た目だぞ?」
「『みんな年上なんでしょ? 私の世界でも完全合法! 後、外見は自分より下の方が興奮するよね』とか言ってましたが」
「は?」
「そういう方なんです……」
「……頭おかしい! お前のとこの最高幹部は絶対頭おかしい!!」
「まあ否定はしませんが」
「――そこは否定して欲しいなあ」
レベッカの叫び声が聞こえたので、開いていたドアから入る私。
「……マスター、いつから聞いてました?」
「レベッカが頭おかしいって二回も叫んだとこだよ」
「そうですか。本当ですね?」
「だから、私リズに嘘は言わないよ」
「はいはい。……それで、どのようなご用件で? 今は、簡単に説明をしていた所ですが」
「どうやったら説明してただけで、頭おかしいって叫ばれるの?」
「それはマスターの方がご存知かと」
なるほど。正論だ。
「まあそれは深く追求しない事にする。――レベッカに、聞き忘れた事があって」
「なんだ?」
「『一名ともしかしたら一体』ってなんだったのかなって」
もしかしたら。
公的文書にあるまじき、ふわっとした記述だ。
「レベッカの他に、誰か来るの? 説明はレベッカ一人分だったけど」
転属を受け入れるようにという命令書。前の所属に簡単な経歴。それに実験室として地下の部屋を一部屋希望するという、事前準備のための事務的連絡。
陛下からの封書に入っていたのはそれだけで、もしかしたらというのが何なのかは全く分からなかった。
「……ああ、すまない。私のミスだ。あまりに色々ありすぎて忘れていた」
「それは私も悪いからあんまり気にしなくていいよ」
「そう言ってくれると助かる……が、本当にその通りだな」
湿度が高めの視線を向けてくれるレベッカ。
相手が美少女じゃなかったら生きていくのが辛くなりそうな視線を、会って間もない上司に向けられるとは、中々見所がある。
「まあそこはお互い気にしない方向で」
「私にも落ち度がある事だしな……それで手を打たせてもらおう。……これだ」
レベッカが、手荷物らしい古風な四角い革トランクから、布包みを取り出し、壁際の机の上に置いた。
包まれていただけらしいそれを開くと、中から出てきたのは、黄ばんだ白色をした、細長い何か。
「……何、これ? 骨?」
複雑で精緻に組み合わされた構造で、緩やかなカーブを描くそれは。
人の背骨に、似ていた。