責任感のある職場
見透かされている。
「……はい。不安にならなかったと言えば、嘘になります」
しかし、どれだけゆるく見えようが、ここは"第三軍"、魔獣師団。
そしてカトラル様は、戦中から今日まで、その類い希なる資質を評価され、その地位に就いている。
バーゲストとのなかよくなりかた……黒妖犬との信頼関係の構築の手法が、いかに子供向けのやさしい言葉で書かれていようとも。
バーゲストとそのハンドラーは、この国に多大なる貢献を果たしている。それが事実だ。
カトラル様は、私をじっ……と見て、笑いかけた。
「初日ですからね。まずは、バーゲストに受け入れられ、仲良くなる事。……率直に言うと、それが成功すれば、後はよほどの事がなければ、上手くいきます」
私は思わず、マリノア先輩の方を見た。
彼女は頷いて、微笑んだ。
「固いが、お前はバーゲスト達の事を信頼している。その気持ちを忘れなければ、いずれ、いいハンドラーになれるさ」
そしてまた、手を伸ばしてわしゃ……と髪を撫でてくれる。
さっきよりも、優しい手つきで。
「なにしろ、あの日凍えてたちびさんが、こんなに立派になったんだ」
彼女の言葉を聞いた途端、胸が、じん……と熱くなる。
その後を追うように、戸惑いが来た。
「……先輩。私の事、覚えて……?」
私は、彼女にとってただの救助対象だったはずなのに。
思い入れも何もない、ただの。
「覚えてるさ」
彼女は微笑んだ。
「『お腹いっぱいだよね?』って呟きながら、バーゲストをぎゅっと抱きしめてるんだから、インパクト抜群だった」
「今すぐ忘れて下さい」
忘れていたかった。
記憶が一部曖昧で――それは、体温が下がっていたとか、お腹が減っていたとか、極限状況だったとかで、あんまり気にしていなかったけど。
先輩の言葉で、記憶の扉が開いた。
頬がカーッと熱くなり、私は両手で顔を覆った。
バーゲストが寄ってきて、私を上目遣いで見上げるのが、指の隙間から見える。
「……お前達も、覚えてるの?」
くり、と首を傾げて見せるバーゲスト。
あ、これ覚えてる。
なんかそんな気がする。
とりあえず発想の転換をする事にした。
「……これからよろしくね!」
地面に膝を突いて、黒犬さんの首筋をぎゅっとする。
ステップ4『(怖がらずに)ぎゅっとしよう』実践編。
――まさか、幼少期に怖がりながらではあるが、いくつかのステップを済ませていたとは。
これはハンドラー見習いにとってアドバンテージ。きっとそう。
バーゲストが寄ってきて……わらわらと大量に寄ってきて、埋もれる。
あったかくて、ぬくぬくで、もふもふで――圧死しないか、不安になるほど。
ステップ……いくつだったか、『甘えてくる時はうけいれよう』を思えば、ここは受け入れる所。
でも。
この密度は。
「え、ちょっ……先輩! カトラル様! これ大丈夫なやつですよね? やつですよねー!?」
黒くてもふもふな海で溺れそうになりながら、思わず叫んでしまう。
「大丈夫だぞ。頑張れ」
「大丈夫ですよ。将来が楽しみです」
「……ぷはっ」
ちょっと密度が減って、圧が緩む。
顔を出して新鮮な空気を吸い込むが、まだ全身のどこもかしこもバーゲストに接している気がする――のは、気のせいじゃない。
「懐かしいですね。"病毒の王"様も、よくそうされていました」
「ええまったく。期待の新人ですね、カトラル様」
基準がおかしい。
私は、かのお方と面識はないけれど。
あの英雄と、同じようにして貰えていると言うなら、それは光栄な事――きっとそう、間違いなくそう。
途中から自分に言い聞かせモードに入る。
一体、どんな最高幹部だったんだ。
……それは分からない。
けれど。
新しい職場で、やっていけそうな気がした。
後日。
「マリノア先輩。このコテージ……『お祝い用』ですよね?」
「ああ」
私と先輩が一緒に掃除して整えているこのコテージは主に……新婚夫婦や手柄を立てた者が、『仲良くして』『愛を確かめる』ために使われる。
「その……使う予定が?」
「そうだな。……おい待て。お前の考えてるのとは違うから。ピンク色の妄想は今すぐやめろ」
「し、してませんよ!」
脳内で両手を振って、ばさばさとピンク色の妄想を振り払う。
「正式にはまだ教えられないんだが……まあ、なんだ。『えらいひと』が来る」
「はあ。賓客が来ると思えばよろしいので……?」
先輩は、曖昧に頷く。
「うん……バーゲスト達へのご褒美って言うか……」
「ごほーび?」
首を傾げる。
「……まあ、いずれ正式にハンドラーになったら教えてやる。群れの最上位に関する話とかも、な」
「分かりました」
最上位。
その存在は噂されている。
狼には、最上位と呼ばれる群れの長がいる。
バーゲストは群体型の魔獣だが――共通点の多い狼の群れと同じように、それのトップ、統率する個体がいるのではないか? という噂が、まことしやかにささやかれているのだ。
先輩は曖昧な言い方をしたので、それがいるのかいないのかさえ分からない。
いたとして、それがどの個体なのか、それを、どういう風に従えているのか……など、分からない事ばかりだ。
気にならないと言えば嘘になるが。
今必要なのは、それを無理に聞き出そうとする事ではなく、正式にハンドラーになるための努力だ。
私は、リベリットシープの毛皮が敷かれたベッドがきっちり整えられ、棚や暖炉の縁に溜まった埃が払われ、床に薄く積もった埃も全部掃かれたのを確認する。
完璧だ。
ゴミを入れた箱を取り上げると、声をかけた。
「じゃあ先輩、これ捨てたら『訓練』行ってきます!」
「ああ、頑張ってるな。私もチェックしたら行くよ」
マリノア先輩が手を上げたので、私は頭を差し出して、大人しく撫でられる。
私がマリノア先輩と同じ犬系の獣人だったら、多分尻尾を振っているだろう。
コテージを出た所で、バーゲストが出迎えてくれて、私は手を伸ばしてガシガシと撫でた。
そして連れ立ってゴミ捨て場へと歩いて行く。
先程撫でられた頭に手をやると、自然と頬が緩んだ。
「えへへ……」
憧れの先輩と一緒の仕事。たまに今日のような役得もある。
憧れていたのとは違う所も多いが、本格的な研修も始まっている。
事故救助、広域警備、犯罪捜査――それぞれに必要な知識とスキルを学ぶのだ。
いずれ"ハンドラー見習い"から見習いが取れるだろう。
この後は、『訓練』がある。
基本的にはひたすらバーゲストと遊んで、一緒に食事をして、一緒にお風呂に入って、一緒に寝る。
合間に座学。たまに今日のような雑務。
現場へは出られないが、先輩達――正式なハンドラーのバックアップは見習いの大事なお仕事だ。
私達、バーゲストとそのハンドラーが、この国の安全の一端を担っている。
責任感のある職場だ。
そこで、足を止める。
私を見上げるバーゲストの頭を、軽く撫でた。
――ふと気が付くと。
……随分と、この職場に染まったような気がした。