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病毒の王  作者: 水木あおい
EX
547/574

憧れの向こう側


 それが彼女にとってはただの仕事だったとしても、私にとっては救世主であり、英雄だった。


 その姿に、憧れた。

 だからこそ、この道を選んだ。


 ――自分の長い耳が、へたりと下がったのが分かる。


「……それが……まさかこんな……」


「ならばお前は上っ面に憧れていたという事だな。次の部署転換希望には別の所を書くといい」


「そんな! ……こと、は……」


 言葉が尻すぼみになり、私はうつむいた。


 ……上っ面に憧れていたのだろうか?


 自問した。

 軍務としての厳しさは、想定していたつもりだった。


 しかし、こんなゆるさは、想定していなかった。



「――バーゲストは、確かにこの国になくてはならない。だが、我々はそれを……打算や利益を超えて、バーゲスト達と信頼関係を築かなくてはいけない」



「それは、分かって……」

「まだ分かっていない。さっきみたいな言葉が出るようでは、な。これから分かる事を期待する」


「……はい」


 私は頷いた。

 ――『これから』という言葉があった事で、まだ、自分が見放されていなかった事を知って、ほっとする。


「"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様の手によって、本来人に懐かぬ、範囲を決めて警戒させる程度の魔獣種が、複雑な命令を聞き……時に、自らの意志での行動さえするようになった時、どれほどの革命が起きた事か」


 私が助けられたのは、黒妖犬(バーゲスト)運用の歴史で言うと、かなり初期の話だ。

 両親から、黒妖犬(バーゲスト)の事は、こう教えられていた。



 森で赤く目の光る黒い犬と出会ったら、お腹が空いていない事を祈りなさい、と。



 必死に自分なりにお祈りを考え、練習したが、少し大きくなってからは、それが『諦めろ』という意味だと分かった。


 今では――学校で黒妖犬(バーゲスト)について教えられる内容は違う。


 かつての歴史……黒妖犬(バーゲスト)が"死の使い"と恐れられ、『見たら死ぬ』という伝承があった事。

 現在は大陸の全ての黒妖犬(バーゲスト)がリストレアに属していて、警備や捜索の任に就いているという事。


 馬車が立ち往生した時にはもう、両親も私も、数年前に行われた告知でバーゲストが遭難救助に使われ始めた事は知っていたが、半信半疑だった。


 ――本物のバーゲストに助けられるまでは。


「これは、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"が手ずから書き記した、本人の言葉。歴史書には記されない、真実の姿だ」


 真実。

 ……これが。


「……確かに、印象が、随分と……違います」

「うん、まあな。元々、子供向けに用意された文章だから」



「今なんて言いました?」



 子供向け?


「結局その企画はなくなったんだが、分かりやすかったから、正式にマニュアルとして採用されたんだ」

「確かに分かりやすいですけど! その……格調とか……!」


 マリノア先輩がわざとらしく笑う。


「ははは。気にするな」

「気にしますよ!」



「――気にするな」



 真面目な顔で発せられた一言は、重かった。


「私達に必要なのは、体面を保つ事ではない。言動を飾る事でもない。ただ目の前の存在に向き合い、愛さねばならない。この上なく――……『便利な道具』に対して、打算を超えた絆で繋がらねばならない」


 ぞくりとした。

 覚悟が……軽かったのかもしれない。


 黒妖犬(バーゲスト)は、ひととは違ういきもの。


 現実として、黒妖犬(バーゲスト)のおかげで、死者や行方不明者は戦前より減った。

 犯罪の摘発率は元から高かったが、さらに高まってもいる。

 おそらくは、抑止力にもなっているはずだ。



 もしも私達が信頼を損なえば、それがなくなる。



 もう私達は、黒妖犬(バーゲスト)の事を恐れるべき魔獣としてではなく、便利な道具として見てしまっている。

 けれど、少なくとも私達は……"ハンドラー"だけは、そう見てはいけないのだ。


 金塊や宝石を、その貨幣価値ではなく、その美しさのみ愛でるような、そんな心が必要とされる。


 私に……出来るだろうか。


 先輩は安心させるように口元を緩めて、肩を叩いた。


「……一日やそこらでそうしろ、と言うのではない。ただ、舐めた態度は取るなよ。あいつらは優しいから死者は出ていないが……首筋に牙を当てられた奴は、何人かいるんだ」


「え、その人達……どうして……」


 軍において『訓練中の事故』は、毎年起きている。

 治療魔法も発達し続けている今、死者は少ないが……訓練でさえ、死者はゼロではないのだ。


「厳重注意の上、配置転換。以後、魔獣師団には関われない」


 少しほっとする。

 納得のいく、きちんとした罰だ。

 もう少し厳しくてもいいのではと思うぐらいだが――


「後、上から睨まれる」


 出世は見込めなさそうだった。



「行くぞ。――さっそく訓練だ。バーゲストとの初顔合わせを行う。汚れてもいい服に着替えろ」



「――はい」


 私は立ち上がると、背筋を伸ばした。

 薄い胸を固めた拳で軽く叩いて、気合いを入れ直す。


 私達は、この国の守り手。


 私は、覚悟を決めている。

 軍人として誓った。


 ハンドラーに憧れて魔王軍に志願した。

 だから"第二軍"として勤め続けるのではなく、魔獣師団への転属を希望した。


 でも、それがただの憧れだったとは思わない。


 適性テストは、"第二軍"である程度の結果を出さねば、受ける権利さえ与えられない。

 転属のための推薦も同様だ。適性試験だけなら合格者はもっと多い。


 ハンドラーに憧れた。

 それを、ただの憧れで終わらせたくなかった。



 だから、私は今ここにいるのだ。



 この国のために。

 かつて受けた恩を返すために。

 先人が残した物を、未来に繋いで行くために。 


 妙なゆるさに戸惑っても、それだけは。


 それだけは、変わらない。


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― 新着の感想 ―
[良い点] バーゲストが、救助犬・警察犬として当たり前になった新時代。病毒の王が成した功績の中でも最たるもの。 死神として「畏怖」されていた以前と比べて、「便利な道具」として日常に溶け込んでいる存在…
[良い点] 「こんなゆるさは想定していなかった」 マリノアたち初期メンバーは頭おかしい病毒の王自らの指導と怖いイメージしかない黒妖犬50匹同時訓練という壁がまずありましたが、既に黒妖犬が便利になった時…
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