語られた未来
幻滅?
こんな話を聞かされて。
あんな顔を見せられて。
「幻滅なんてしません。……そんなの、出来ません……」
私は両の拳をぎゅっと握りこみ、首を強く振った。
誰が。
誰が、幻滅なんてするものか。
「……ありがとう」
彼女が安心したように浮かべる笑顔が、あんまりにも綺麗で、私は言葉を失った。
どれだけの覚悟で、これを私に話してくれたのだろう?
「……ある作戦で、私は"病毒の王"様と行動を共にしました。貴族の旅行を装って、敵地の情報を収集し……攻め落とすための材料にするために」
軍事行動に関わる所をぼかされるのに、むしろほっとする。
「じゃあ、座長がメイドとかですか?」
「いいえ。私が貴族令嬢役で、あなたのお母さんが執事役でした。"病毒の王"様は……『使用人役』でしたね」
「……へ?」
軽い気持ちで冗談めかして聞いたら、予想外の答えが返ってきた。
ていうかお母さんもいたのか。
「私も、同じ事を思いましたよ。……使用人の方が目立たないと言われれば、まあそうなんですけど……」
ため息をついて、一口お茶を飲む座長。
「……演劇なんてどうかと、言ってくれたんです」
はっとする。
それは、他の人も言ったのかもしれないけれど。
今日会ったあの人が、演劇なんてどうかと提案したと――確かに言っていた。
「……未来を語ってくれた。私達は、地獄を創ったのに。私達の事、呪われた種族なんかじゃないって、言ってくれた……」
人の偏見は、簡単には消えない。
歴史の授業では、昔獣人と不死生物の仲が悪かった事も、リストレア建国以前は、悪魔も不死生物も『国民』どころか『討伐対象』だった事も学ぶ。
今だって、私達ドッペルゲンガーは、どうしても違う目で見られる。
「だから私達は、呪った事さえあるこの種族を、誇りにさえ思う事が出来た……」
けれど、それが羨望であり嫉妬を含んだ視線であるのは……この三十年に及ぶ、座長や母をはじめとした、"蛇の舌"の活動によるものなのだ。
「……退役後も、あらゆる支援をしてくれました。劇場建築にも、関わってますしね……」
「……劇場まで?」
一体、どこまで関わっているのか。
「劇場前の屋台通り、有名じゃありませんか」
「はい」
頷いた。
軽食の屋台が立ち並ぶ、劇場前の屋台通りには、手っ取り早く昼食を済ませたい時、よくお世話になっている。
懐に優しいのも大きい。
『ブラックカード』という、期限も上限価格も存在しない無料券が"蛇の舌"を含めた劇場勤務の――公演を行う一座や、改修業者も含めた――者達には配られているのだ。
ただし、「常識で考えて使うように」と言って渡されるので、それが何よりも強力な制限とも言える。
真実は闇の中だが、査定条件の一つという噂。
当然屋台に来る客には役者も多く、贔屓の役者を一目見たいファンも集まる。
この劇場が親しまれている理由の一つだ。
お姉様方はファンサービスする時もあるが、時間がない時など、変身能力を使って買ってくる事もあるそうな。
「あれも、"病毒の王"様の発案ですよ」
……ますます分からなくなる。
「……"病毒の王"って、どういうひとだったんです?」
「私達にも、よく分かりませんね。……変なひとでした」
軽く笑う座長。
「非道の悪鬼で、戦争の英雄で……頼もしくて……優しい、方でした」
もう一口飲み、ソーサーに戻したカップの中身は空だった。
「……ドッペルゲンガーが"第六軍"の元で擬態扇動班として活動したのは、一般に公開されている軍の史料にも記されている事実です。具体的な内容となると、機密指定も多いですけどね」
「え、そうなんですか!?」
てっきり、もっと厳重に隠された『歴史の闇』だと思っていた。
それこそ、全てが機密指定されているぐらいの。
「でも、教科書には……」
「……それにはマスターも私達も関わっていないはずですが、優しい人が多い、という事かもしれませんね」
ドッペルゲンガーの事を……悪く思うかもしれない『活躍』にはあえて触れずに、それでも嘘のない歴史を教えようとした人達が、きっといた。
なんて優しい話だろう。
「まあ、終戦前後は重要な所だから細かく書けばひどい量になるでしょうね。他の所も、各軍の細かい戦力まではまず書かれていませんし、ね?」
学生に対しても優しい人がいたのかもしれない。
「……"病毒の王"って……今、どうして……」
私は、慎重に言葉を選んで、探るように口を開いた。
「退役後の消息は、正式に不明ですね」
彼女はソファーから立ち上がって、唇に人差し指を当てた。
「秘密、です」
限りなく黒に近いグレー。
公然の秘密、というやつかもしれない。
私も立ち上がる。
「座長。一つだけ……もう一つだけ、聞かせて下さい」
「答えられるものなら」
「……"病毒の王"……様、って、副官の事、大好きでしたか?」
「愛が重いレベルで大好きですよ。実際、結婚しましたしね」
グレーが、さらに黒に近付く。
けれど、私はその灰色を真っ黒にしない事を選んだ。
「座長。私、頑張って"猛毒の王"、演じますね」
「はい、応援していますよ」
座長が微笑んで頷いた。
「あ、そうだ。……デイジーさんが舞台、楽しみにしてるって言ってました」
「そうですか。大分前に予約は頂いているのですが……S席のペアシートで」
「……なるほど」
絶対、リーズリットさんと一緒にゆっくり見るつもりだろう。
「彼女は大口のパトロンなのですが、いつもの特典は早期予約のみで、規定の料金を頂いているんです。本人の希望で」
座長が、にやりと笑った。
「……今回は、私達初期メンバーで割り勘して、公演チケットをプレゼントしようという話が進んでいますが、あなたも……一口噛みます?」
「はい、ぜひ!」
即答した。
歴史の闇に消えた毒蛇の事を想った。
そして、特に語られた事のない劇団の名前の由来も。
私達は、毒蛇の舌。
そしてもう、毒を使わなくていい。
きっと、そういう事なのだ。
座長が回り込んで、私の肩に手を置いた。
「フラン。――自分の種族を、呪わないで下さい。そして変身能力を、驕らないで下さい」
同じ事を昨日言われたら、私は素直に受け入れられなかったかもしれない。
自分の種族を、呪ってしまった事があった。
――それを昔、もっと強く呪った人達がいた事も、知らずに。
私はもう、絶対に自分の種族を言い訳にしない。
「幻影魔法も進化していますし、ドッペルゲンガーなら無条件で花形になれるなんて事は、ありません」
「……はい」
頷いた。
変身能力は、私の強みだ。
でも、それだけじゃない。
それだけが、私じゃない。
「それでもあなたが主役に選ばれたのは、あなたがしっかり練習をして、演技が上手くなって、将来を期待されているからです。ドッペルゲンガーだからでは、ありません」
「……はい!」
しっかりと、頷いた。
「ありがとうございます。座長とあのひとに……これからずっと役者をやる勇気を貰いました」
座長が微笑む。
「その意気です」
私は座長にもう一度礼をして、部屋を後にした。
帰ったら、台本を読もう。
もう一度イメージを新たにして、読み込もう。
今なら分かる。「"蛇の舌"が演る『短剣に恋をした蛇』は、他とは違う」――という評判の理由の、その一端が。
それはもちろん、あれは"蛇の舌"オリジナルの演目だ。
でも、今では台本も、それこそ一般の書店で買えるぐらいに広まって、古典の仲間入りを果たしている。
どうしても"猛毒の王"を演じる時、強くて、完璧で、それこそ物語の英雄のような存在を演じようとしてしまう。
そういう面は確かにある。
でも、それだけじゃない。
それだけが――『彼女』じゃない。
お姉様方の演技を見ていて、なんとなく感じていた部分が、今日くっきりと像を結んだような、そんな気がした。
座長室に一人残された彼女――クラリオンは、カップを片付けると、本棚に歩み寄る。
並んだ本ではなく、下の引き出しを開けて、一冊の台本を取り出した。
"保護"で保護されているが、それよりも前にボロボロになって手垢で汚れた、糸綴じの台本。紙質もあまり上等ではない。
それでも彼女は、それが美しい宝物であるかのように、古びた台本の表紙を愛おしそうに撫でた。
「……マスター。あなたのおかげで、フランはいい役者になりそうでありますよ」
表紙に大きく書かれたタイトルは、『短剣に恋をした蛇』。
ぱらりとめくり、配役の所を見る。
『ドッペルゲンガー・クラリス……クラリオン』。
役名と、役者の名前が順番に記されている。
何度となく見て、確かめるように撫でた。
おかげで手垢染みがついてしまっている。
思い返すのは、『短剣に恋をした蛇』の初演の事。
……そして、砂漠の街で同じ名前のお嬢様を演じた事。
「一番思い出深いのは、やっぱりこの役です」
彼女は、笑った。
ずっと昔に、勇気を貰った時の事を思い返して。