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病毒の王  作者: 水木あおい
EX
544/574

当たり前のない種族


 私は、自分の種族に無頓着すぎた。


 私が生まれた時から、母は役者で……同じく役者であるドッペルゲンガーのお姉様方は、みんな優しくて……。


 私はドッペルゲンガーだから、ここにいる。この立ち位置にいる。


 陰口も嫌味も、あながち、ゆえのない物とも言えない。――他ならぬ私自身が、そう思っているのだ。


 だから私は『ドッペルゲンガー』について、知らなければいけない。


「自分の種族の事ですものね……でも、長い話になってしまいますから、要点を絞って話しましょうか。何が聞きたいですか?」


 どこまでを聞けるか、話してくれるのか……聞いていいのか、分からない。


 それでも、三十年前に何があったのか、少しでも知りたくて。

 控えめに、探るように問いかけた。



「ドッペルゲンガーって……その、立場、弱かったんですか?」



「弱かった?」


 彼女は、わらった。


 疲れたように、口元を歪めて。


 座長のそんな表情は、今まで一度も見た事がなかった。

 進行が厳しい時も、舞台が酷評された時も、笑顔を作って見せてくれていた彼女の、そんな色んなものを諦めたような『笑顔』は。


「……私は、両親の顔を知りません。孤児院にいましたよ。すがれるものは、王立の孤児院だけ。『種族間の差別を禁じる』というリストレアの理念、ただ一つ」


「だったら……」



「……私達は、弱すぎた」



 ぽつり、と呟く。


「他の人が出来る『当たり前』が出来なかった。私は、かろうじて日常生活用魔法は使えるようになりましたが……それさえ、ドッペルゲンガーの中には出来ない者もいる。今は、便利な道具も増えましたけどね」


 彼女は、ローテーブルに置かれた水筒をひょい、と取り上げて振った。

 中身がちゃぽちゃぽと音を立てる。


 中に入れられた物の温度を保つ――ただそれだけの、便利な道具だ。


 疲れている時には便利だし、大容量の物は商業的にも重要ではある。

 でも、魔力制御が上手ければ、お茶を温めるのも、お湯を沸かすのも、そう難しい話ではない。


「魔王軍の兵士はもちろん、本格的な力仕事も夢のまた夢……。魔力布も織れず、魔法もほとんど使えず、不死生物(アンデッド)の『供給役』にさえなれない。下働きをすれば……飢えて死ぬ事はないにせよ、それ以上も望めなかった……」


 聞いているうちに、心臓が、どくん、どくん、と動くのがはっきりと分かるようになっていく。

 わーん……と、耳鳴りがする。


 これは、不安、だ。


 さすが座長と言うべきか、感情を込められて語られる言葉は、ことさらに声を張り上げてもいないのに、ドッペルゲンガーの置かれていた苦境を鮮やかに……そして、重苦しく描き出していく。



 でも、この感情は演技ではない。



「……能力に対して、不当な扱いを受けたと思った事はないのです。そういう意味での『差別』はなかった。ただ、私が……ドッペルゲンガーという種族が、このリストレアにおいて、弱すぎただけで……」


 私達よりも、『強い』種族が、この国にはいる。――全てだ。

 (ドラゴン)は別格としても、ダークエルフも、獣人も、不死生物(アンデッド)も、悪魔(デーモン)も、私達より遙かに高い魔力や筋力を持っている。


 その全部が、私達より『優れて』いる。


 ドッペルゲンガーには、何に使えばいいのか分からない変身能力しか、ない。

 筋力も魔力もコピー出来ない、姿と振る舞いを真似るだけの、そんな力しか。


 平和な時代に、舞台の上で娯楽を提供する――そんな、力しか。


 だから座長は、涙をこらえるように顔を歪ませて、吐き捨てるように、呟くように、絞り出すように、今日私が言った言葉を、その何倍もの重さで口にした。



「ドッペルゲンガーになんて、生まれたくなかった。両親に愛されて、友達がいて、未来に希望がある……そんな風な、『当たり前』が、欲しかった……」



 母は、笑っていた。

 成人と同時に、縁を切られた、と。


 それを笑顔で娘の私に語って、そして私の事を宝物だって言って、抱きしめた。


 思い返せば、理由を聞いた時、母は一瞬だけ固まった。


 母は、飲み込んだのではなかったか。

 縁を切られたの前につく『ドッペルゲンガーだから』という言葉を。


 『ドッペルゲンガーは、親の種族を継がぬ忌み子』という言葉を、私に伝えないために。

 私が、自分の種族を呪わないでいいように――



「――でも、そんな私達『ドッペルゲンガー』を、望んだ人がいた」



 はっとする。

 重苦しい、視界を狭める閉塞感と絶望を払う、一筋の光のような強さ。


「……聞きますか? 聞いたら……私達の事、嫌いになるかもしれませんよ?」


 座長は、試すように……怯えるように、私をちらりと見た。


「……なりません。座長も、母も、お姉様達の事も……絶対に、嫌いになったりしません」


「そう、ですか」

 座長が一口、ハーブティーを飲む。

 その手が、一瞬震えた。


 そしてカップをテーブルに戻すと、私の目をまっすぐに見た。



「私達は終戦まで、"第六軍"にいました。"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の名において戦いました。……ドッペルゲンガーの変身能力を、戦いのために使いました」



「兵士には向いてないって……」

「"第六軍"、擬態扇動班の長、クラリオン。……私が誇りと共に今も胸に抱く称号です」


「擬態……扇動?」


「そのままの意味ですよ。時に隣人に。時に役人に。他人の姿を借りてなりすまし、時に不安を煽り、時に暴動を起こす……それが役目の部署がありました」


 淡々と語られる、私の知らない歴史。


 それなのに、知っている気がした。

 『短剣に恋をした蛇』の、テストに出ない所で。


 それを、見た気がした。


「集団心理に、同調圧力……私達が自分で考えた手法もありますが、その多くは、マスター……"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様が提案されたものをベースにしています」


 『マスター』。


 今日出会った、そう呼ばれていた人の事が思い返される。


「……人の心を、あんなにもよく分かる人が、人の心がない手段を選んだ。部下の安全や待遇に気を遣える優しい人が、混乱と争いの種を蒔き続けた……実行したのは、私達ドッペルゲンガーが中心でしたけどね」


 あの人の種族は――なんだった?

 しっかりと姿を思い返そうとして、早くも霞が掛かったように、遠い記憶になりかけている事に気が付いた。


 笑顔を覚えている。

 黒髪も、ダークエルフの物でない白い肌も。


 ……獣の耳を、持っていただろうか?


 あの人は、死霊(レイス)だ。それは間違いない。

 

 では、『生前の種族』は?


 ……知っている魔法の気配を、感じたのではなかったか。

 認識に働きかけるタイプの、幻影魔法を。


 長い耳も、獣の耳も持たぬ種族。

 それは、今は歴史に語られるだけとなった、もうこの大陸にいない『人間』しか――



「……幻滅しました?」



 黙り込んだ私に、座長はそう問いかけた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 戦前を、「本来のドッペルゲンガー」の立場を知らない、新世代。 彼女がそれを肌で感じることがなかったほどに、制度と国民の意識が変わっていて、「同族」から大切に愛されてきたのですねぇ…。 …
[良い点] 名優クラリオン。 彼女が本気で感情をこめて語る、種族の物語。 言葉の一つ一つがずしんとした重さと哀愁をまとう。 それを肌で感じているフラン。ある意味真剣勝負。 [気になる点] 便利な道具。…
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