座長室
劇場に戻り、"蛇の舌"が活動場所にしている区画に差し掛かった所で、思わぬ人に出会った。
「フランシーヌ? 帰ったと思っていました」
「座長……」
金に近いクリーム色がかった銀髪が、肩を越えた所まで伸ばされている。
私と同じ金の瞳に、褐色の肌、長い耳。ダークエルフの姿だが、種族は違う。
劇団"蛇の舌"のクラリオンと言えば、その座長として、リストレアで最も有名なドッペルゲンガーだ。
多くの人、特に幼い女の子達が頬を染めて憧れる役者でもある。
座長という事で役者としての出番は控えめだが、一体どこで培ったものか、確かな演技力を持つ実力派だ。
成人女性にもよくキャーキャー言われているし、男性ファンも多い。
新聞で特集が組まれた事もある。
より多くの人に知って欲しい"蛇の舌"と、かつての壁新聞や、政府広報紙としての立場に甘んじず、部数を増やしたい"リストレア・タイムズ"の思惑が噛み合った、大規模特集だった。
新聞の購読者と、劇場の来場者、両方が大幅に増えたという逸話が残る。
そのインタビューによれば、今まで演じた中で一番好きな役は、「『短剣に恋をした蛇』のクラリス」との事。
意外に地味な役を一番に選ぶものだと、思ったものだ。
その時は。
少し自主練をしたいと思って戻ってきたのだけど。
彼女を目の前にすると、今日の事を、話したくなった。
「座長……あの、聞きたい事が、あるんですけど」
「はい? どうぞ」
「『ドッペルゲンガーは、親の種族を継がぬ忌み子』って言葉、知って……」
ますか……まで言えずに、黙り込んだ。
座長のまとう雰囲気が、それを許さなかった。
「誰から、聞いたのですか?」
冷たい声。凜とした口調。
「それをあなたが言われたのならば、私はしかるべき対応を取ります」
「え、えっと。あの」
雰囲気に呑まれ、しどろもどろになる。
一日に二度も、萎縮させられるとは。
これでも舞台ではそれなりに場数を踏んできたつもりだったけれど、また、蛇に睨まれた蛙状態。
「私が、言われたんじゃなくて……」
「そう、ですか」
座長がほっと息をつき、少し空気が緩む。
種族による差別は、リストレアにおいて明確な犯罪だ。
実際に処罰が下されるのはひどい場合だが、先のような言葉を口にすれば、それはもうアウトだろう。
実刑を喰らわなかったとして、周りから白い目で見られ、生きにくくなるのは間違いない。
種族の差を理由に、かつて大陸は二分され、その戦争は、言葉を失うほどの死者を出した。
それを思えば。
あいつらは、たっぷり毒を混ぜてはいても、一応は「さすが」だの「羨ましい」だの、明確な悪口にしないだけの頭がある。
その頭をもう少しまともに使えばいいのに、と思うが、ダメなタイプの愛せない馬鹿なんだろう。
「では、どこで聞いたのですか?」
「えーと、あの……実は街中で人にぶつかって、奥さんの誕生日のお祝いのケーキ落とさせちゃって……」
「今日が……誕生日の……」
「それで、そのお姉さん――あ、同性婚で、死霊とダークエルフの異種族婚の人だったんですけど、その人に何故か誕生日一緒に祝おうって言われ……て……」
「…………」
「い、いや。嘘くさいって思いますけど、作り話じゃなくて。あ、その、母と座長の知り合いだって」
全く要領を得ないだろう話を、しかし座長はきっちり理解したようだった。
その証拠に、あの人の名前が出る。
「……お名前は……『デイジー』?」
「……はい」
頷いた。
「少し、話しましょうか。座長室で」
「座長室に呼ばれる」と言えば、基本的には説教だ。
配役の発表などは全員の前で行われるので、大抵はひっそりと悪い事を処理するために呼ばれるのだ。
これは違う……はず。
座長室には何度か、それこそ入団前から母と一緒に入った事はあるが、座長と一対一は初めてだった。
座長室と言いつつ、座長専用の部屋ではない。
それでも、入室資格を持つのは、ほとんどがドッペルゲンガーのお姉様方だ。
「……この部屋は、昔の職場の談話室をイメージしたんです」
休憩室のような扱いでもあり、木製のローテーブルを挟んで布張りのソファーが置かれ、周りにもいくつか椅子が置かれている。
「そうなんですか……平和な職場ですね」
「戦後になるまで……あまりその部屋を使う機会はなかったのですけど、ね」
「どうしてですか?」
「……私達は、『国外任務』が多かったですから」
彼女は、笑った。
目を細めて、ソファーの背を撫でる。
まるで、かつてそこに座った人を懐かしむように。
「フラン、座って。淹れ置きですけど、お茶を用意しますね」
二人きりなので、名前を縮めて呼んでくれる。
勧められるままにソファーに座ると、座長が手ずから、カップを二つと水筒を持ってきた。
「私用の安物ですけど」
「い、いえ」
水筒から注がれたのは、湯気を立てるブレンドハーブティーだった。
一口飲むと、確かに馴染みの味。
『ブレンド』とは丁寧に配合を考えられて混ぜられた物を意味する事もあるが、この場合は、『なんか色々混ざってる』の意味。
微妙に味は違うけど、お求めやすい価格ゆえ、慣れ親しんでいる味だ。
喉を潤して、緊張が少しほぐれた所で、私は向かいに腰掛けた座長をまっすぐに見た。
「……ドッペルゲンガーの事、教えて下さい」