知らない時代
「でも、若いのに記念公演で主役なんてすごいな。さすがだね」
「ええ、本当に」
二人の言葉から、悪意は感じなかった。
けれどそこに、悪意のこもった言葉の記憶が蘇り、差し込まれる。
(さすがフランシーヌさん。ドッペルゲンガーですものね)
心がざらりとして、私は思わず呟いていた。
「私……ドッペルゲンガーになんて、生まれたくなかった……」
「……フラン? 会った時も言ってたけど……お母さんと……何か?」
「いいえ。母とは何もありません」
母やお姉様方に憧れた。
私が役者の道を選んだ切っ掛けは、間違いなく母だ。
でも。
「ドッペルゲンガーだから……舞台衣装は見本があればいいですし、血のりや幻覚魔法も要らないし……『ずるい』って言われるんです」
でも、私がこの道を選んだのは、私がごく稀……記録上は初の、二代続けてのドッペルゲンガーだからじゃない。
……そう、信じたい。
「確かに、役者っていう職業において、有利なのかもしれない。でも、陰口を叩かれて、嫌味を言われるぐらいなら……実力を認められないなら……ダークエルフに生まれたかった……」
ドッペルゲンガーの性質は、親から子に受け継がれない。……というのが、定説だった。
お姉様方の子供は他に何人かいるが、その全員が、その母ではなく祖母と同じ、ダークエルフか獣人だ。
私は、私が今もその姿を取るような、ダークエルフに生まれるはずだった。
吐き出すと、少しだけ、すっきりした。
いきなりこんな事を言って、困らせているのだろうけれど。
「…………」
「…………」
ほら、二人共困惑している。
顔を見合わせて……そして、デイジーさんは言った。
「そんな時代に……なったんだね」
「ええ。『ドッペルゲンガーに生まれたくなかった』という言葉を……そういう意味で聞けるとは」
「……あの?」
デイジーさんが一つ咳払いして、重々しく言った。
「『ドッペルゲンガーは、親の種族を継がぬ忌み子』」
そして彼女は、目を伏せた。
「……そんな風に言われた時代が、あったんだよ」
私も、つられて視線を落とす。
「……聞いた事も、ないです」
ドッペルゲンガーである事を羨まれる事はあれど、蔑まれる事などなかった。
「なら、頑張った甲斐は、あったかな」
「ええ、マスター。――フランシーヌ。……たった、三十年前の話です」
けれど二人の表情は真剣で、嘘をついているようには見えなかった。
「――ドッペルゲンガーが……そんな風に言われた時代、が……?」
「ええ。……色々ありました。本当に色々……」
「うん……」
昔を懐かしむように目を細め、二人は頷き合う。
私の知らない過去を、知っている。
私の知らない母を、知っている。
「……私、ね。私が、ね。提案したんだ……」
デイジーさんが、噛み締めるように、ゆっくりと呟く。
「ドッペルゲンガーの能力を生かすのに、演劇なんてどうかって」
……私が物心ついた時にはもう、ドッペルゲンガー、イコール役者という図式は、すっかり定着しているように思えた。
けれど、その図式が、なかったら?
演劇は、戦中から存在していた娯楽だが、今のような大規模な物ではなかった。
酒場に併設された小劇場や、各地を巡業する旅芸人一座のような、ごく小規模な物しか、なかった。
大きな劇場が建てられ、毎日何かしらの公演が行われているような今は、当時からすれば、夢のような未来。
そんな恵まれた時代で、なかったなら。
私達は……ドッペルゲンガーは、変身能力を『何に』使えばいいのだろう?
ぱっと、詐欺なんかが思い浮かぶ。
犯罪に使おうと思えば、無限の可能性がある。
……お芝居でも、そうだったではないか?
『短剣に恋をした蛇』に出てくるドッペルゲンガーの『クラリス』は、敵の情報を盗み、噂をばらまき、"猛毒の王"の覇道をサポートする。
出番はそう多くないし、敵方の状況の説明役という印象が強い。
でも……実際に変身能力を生かして『それ』をしたなら……?
ごくり、と唾を飲み込む。
ドッペルゲンガーにそれは、能力的には出来るだろう。
でも、万が一、見破られたら……。
変身能力は、外見的には完璧だ。
しかし能力や記憶はコピー出来ない。重要な情報を手にしようとして、重要人物に近付けば……バレる可能性だってないとは言えない。
考えるだけで、恐ろしかった。
私達ドッペルゲンガーは、弱い種族だ。
変身能力しか、取り柄がない。戦う力なんて、ない。
でも、この国は、私達の国は、私が生まれる前、戦争をしていた。
敵は、遠く山の向こう。
もしかして、リタル山脈の向こう、遙か彼方へ、『南』へ……母も赴いたのだろうか?
『短剣に恋をした蛇』は、お芝居だ。
けれど、正史を下敷きにしているのは事実だ。
歴史のテストで、終戦前後は、劇の台本を読み込んでいるだけで、まあまあ点を取れると言われるほどに。
「私ね。ドッペルゲンガーの人が演劇をやったら……面白い舞台になるだろうなって、思っただけで。みんな結構乗り気で……頑張って……そこまで一座が大きくなって、ドッペルゲンガーが花形になったのは、嬉しいよ」
もしかしたら、彼女の言葉がなければ、ドッペルゲンガーは、歴史の闇に消えていたのかもしれない。
……歴史の教科書にドッペルゲンガーの種族名を見た事は、なかった。
遙か遠い、リストレア建国の歴史。
北の獣人部族に、魔王陛下が引き連れた一団が合流した。
そして、リタル山脈に赴き、"竜母"リタル様と盟約を結んだ。
リタル山脈は、今は温泉宿で有名なぐらいだが、歴史のテストでは国境線だ。
ダークエルフと、獣人と、不死生物と、悪魔と、竜が、歴史上初めて一つの国に集った。
そこにドッペルゲンガーは、いない。
彼女は、顔を伏せた。
「でも、それが辛い人も、いるんだね。……ごめんね」
「い、いや! ……違う。違うんです」
私は慌てて手を振った。
「ドッペルゲンガーが嫌なんじゃ……ない」
どくん、と心臓が跳ねる。
時代が、違えば。
私は「ドッペルゲンガーに生まれたくなかった」という言葉を、今とは全く違う意味で口にしていたかもしれない。
「『ドッペルゲンガーだから』って決めつけられるのが……嫌なんです。みんな、好きでこの道に入ったはずなのに、ろくに稽古もせずに、口汚く人の噂話ばっかりして……」
話していくうちに、自分が何をもやもやしていたのか、分かった気がした。
そして、何をすればいいのかも。
くいっ、と少し冷めたホットミルクを飲み干した。
「――ごちそうさまでした」
ことん、とコップを置いて、立ち上がる。
「ありがとうございます、話、聞いてくれて。すっきりしました」
「ううん。こっちこそ、ありがとね。無理矢理連れてきたみたいな物なのに、一緒にお祝いしてくれて」
「いいえ。こちらこそすみませんでした」
もう一度頭を下げる。
「お母さんによろしく。みんなと……座長にも。舞台、楽しみにしてるよ」
「はい」
二人と一匹に見送られ、手を振るデイジーさんに手を振り返した後、私は劇場へと向かった。
まだ、日は高い。
知らず知らずのうちに、足が速まる。
駆け出したい気分になったが、思いきりぶつかった後だ。早足にとどめる。
胸の奥に、温かい物が灯っている気がした。
頬に手を当てると――少し熱い。
あの二人の仲の良さに、当てられたみたいだ。