胸いっぱいの幸せ
少しして、リーズリットさんが、お盆に皿とコップを載せて、台所からリビングへ戻ってくる。
「はい、準備出来ましたよ。ちょっと細かくなりましたけど」
チョコケーキだったらしい。
白い皿の上に、カットされた焦げ茶のケーキが乗っていた。
上手く切られているが、ちょっと潰れたり、ひしゃげている所があるのは、私のせいに他ならない。
「チョコにしたんですね」
「うん。大分安くなったよね」
チョコレートは、昔はもっと高級品だったらしい。
それこそ、誕生日のような記念日や、自分へのご褒美でもなければ買おうと思えないほどに。
終戦前、『南』がまだ、リストレアの領土でなかった頃の話。
「それでも、結構高いですよね……」
「季節外れの"保護"いちごと、あんまり変わらないぐらいにはなったし」
彼女、デイジーさんは、自分の前に皿とコップを置くリーズリットさんの手を取って、微笑んだ。
「それに、お嫁さんの誕生日を祝う時ぐらい、ね?」
もう、恋愛物の演劇を見ている気分でいよう。
「チョコレートは安くなったのに、マスターの頭の悪さは変わりませんね?」
……いや、お笑いかもしれない。
とりあえず、仲がいい事だけは分かった。
デイジーさんが、こほん、と一つ咳をする。
「それじゃあ……リズ。誕生日おめでとう。今までありがとう。これからも、よろしくね」
「ええ。私こそ、末永くよろしくお願いしますね」
笑みを交わし合って、視線を交わし合う二人の気持ちを、舞台で表現したい。
刺激にはなっているけれど、同時に生で、至近距離で見ると、なんだかドキドキする。
やっぱり演目で言うなら、恋愛物のようだ。
……元、役者だったのだろうか?
「あ、えっと……おめでとうございます」
さっきの、愛しさが込められたお祝いの後に、一体何を言えばいいのか。
「ありがとう」
結局当たり前で無難な事しか言えなかったが、リーズリットさんは笑顔で受けてくれた。
そこでふと、お皿もコップも三つずつ用意されている事に気が付いた。
死霊であるはずの、彼女の前にも。
「食べようか。フランも」
「あ、はい……」
気分だけでも、という事かと思ったが、彼女は湯気の立つホットミルクを一口飲み、カットされたチョコケーキにフォークを刺して、口に運んだ。
そして頬を緩め、頷く。
「うん……幸せ味」
「また抽象的な表現を」
呆れ顔のリーズリットさんに向けて、デイジーさんは小首を傾げた。
「具体的に表現する?」
「今はいいです」
「……食べられるんですか?」
「まあね」
「死霊の場合は、骸骨と違って一応『食事』は出来ますよ。味覚がないだけです」
そう言えばそうか。
しかし、それにしては美味しそうに食べる。
見ていると、フォークに刺したチョコケーキを、明らかに自分の口ではない所へ……具体的に言うと、隣のリーズリットさんの口元へ運びかけた所で、ぴたっ、と止めた。
リーズリットさんが、冷たい声を出す。
「……マスター? 人前ですよ」
「……はい」
「気が緩みすぎではありませんか」
そう言いながら、ひょい、と宙に浮いたままだったチョコケーキを食べるリーズリットさん。
「幸せ味ですね」
「……リズ……?」
「別にこれぐらい、街中でもよく見るじゃないですか。私は、状況を考慮せずに、無意識で動く事を注意しただけです」
確かに、仲の良い二人で食べ物をシェアするのは、普通に見かける光景だ。
でも、これどう見ても同じ物だし。
……つまり、想像を少しばかりたくましくするならば、さっきの『食べさせあい』は、多分毎年の恒例行事なのだろう。
それが証拠に、今度は彼女の方から、チョコケーキを一切れフォークに刺して、口元へと差し出した。
ごく自然にそれを食べ、目を閉じるデイジーさん。
「……さっきより幸せ味」
「マスターの幸せは特殊ですねえ」
鼻で笑うリーズリットさん。
見事なまでに、自分の事を棚に上げている。
チョコケーキを食べ終わり、まだ熱いホットミルクを、ゆっくりと火傷しないように飲む。
もう冬だ。温かい飲み物が嬉しかった。
デイジーさんが、私を見る。
「フランは役者さんだって言ってたけど、舞台には立つの?」
「ええ……一応。一ヶ月後の記念公演でも、主役を貰いました」
それは、私の誇りだ。
しかし、なるべく自慢に聞こえないよう、控えめに言う。
「一ヶ月後の記念公演……って言うと、『短剣に恋をした蛇』? 主役って……」
「ええ、"猛毒の王"です。……ファンなんですよね」
それも、割と気合いの入った。
なにしろ、衣装を真似るぐらいだ。
「……うん」
ちょっと恥ずかしそうに頷くデイジーさん。
リーズリットさんも頷き、自分のマフラーに触れる。
「私も好きですよ。マフラーを赤にしてしまうぐらいには」
「ご夫婦で好きと言って貰えて嬉しいです。リーズリットさんは『リゼ』のイメージにぴったりですね」
「ふふ……」
リーズリットさんは嬉しそうに笑い、デイジーさんはちらちらとその笑顔を見ている。
「そのメイド服も、『リゼ』イメージなんですか?」
彼女は、軽く首を横に振った。
「これは、このひとの趣味です」
趣味。
……趣味?
「……いや、趣味だけど趣味じゃないって言うか……。私にとってのリズらしい服って言うか……」
「一応、今も昔も仕事服ですからね。――このひとは、職場の上司だったんですよ。こう見えても」
「どう見えてるの」
「聞きたいですか?」
「……やめておく」
職場の上司。
だから、マスター呼びだったらしい。昔の呼び名を愛称にしているといった所だろうか。
まだ、ケーキもホットミルクも残っているけれど。
ごちそうさまという気分になった。