レベッカ着任
リズの愛情がたっぷり詰まった朝食を終えると、サマルカンドがすっと影のように背後へ控えるのが分かった。
タイミングを見計らっていたのだろう。
「なんだ?」
「リズ様には既にご報告を。陛下より、直接命令書を預かって参りました」
「……陛下から?」
上司としては尊敬出来るし、間違った事は言わないし、割と優しいのだが、結構ドライな所と、部下に無茶振りする所があるのが、我らが王たる魔王陛下だ。
お手紙を開けるの、ドキドキする。
一応規定として、魔法的な封印と、古式ゆかしい封蝋をチェック。
最高幹部の魔力反応はご承知だ。私が触れると、魔法的な封印がほどけるのが分かった。
「リズ。開封許可。頼む」
「はい」
用意していたらしいペーパーナイフを、エプロンの内側に仕込まれている小物ポケットから取り出すリズ。
優雅な動作で封蝋を浮かして剥がし、取り出した中身を私に差し出す。
丁寧に折りたたまれた封書を開き、眺める。
「へえ」
「いい知らせですか?」
「うん。増員されるんだって」
「増員ですか。規模はいかほどで?」
「えっと……よく分かんない」
「……なんですって?」
リズが眉をひそめる。
「私の知らない公的な書式かな……リズ、読んでくれる? 死霊軍から人員を回してくれる、っていうのは間違いないと思うんだけど、その解釈で合ってるのか。後、人数。一人? 二人?」
「はい。でもマスター、普段は公的文書でも、普通に読んでますよね?」
「だと思うんだけどね」
私がこの世界で読み書き会話が出来るのは、この人達が日本語を普段使いしているか、異世界に召喚される際に、親切にも不思議機能によって言語解読オプションが付けられたおかげか、どちらかだ。
多分後者だろう、とは思っているのだけど、それの限界かもしれない。
しかし、ネイティブであるリズも首を捻った。
「一名ともしかしたら一体……もしかしたら?」
「『もしかしたら』も気になるけど、『一体』ってのもよく分からなくて」
「私もよく分かりません。結構急ですね、明日ですか。サマルカンド。あなたも目を通しておきなさい」
「は」
「護衛が足りなくて危うく全滅する所だったからね。急いでくれたんじゃないかな」
「そのようですね。……しかし、陛下もエルドリッチ様も、思い切ったものです。彼女、ベテランですよ」
「やっぱりこの名前女性だよね。有名なひと?」
「ええ。レベッカ・スタグネットと言えば、死霊軍の筆頭死霊術師です。最高クラスの死霊術師ですよ。積んだ実績も信頼も厚く、実戦経験も豊富。ですが術式改良の評価が高いため、現在は後方勤務……王城付きの死霊軍に配属されていたと記憶しています」
そこで、何故かリズが不安そうな顔になった。
「サマルカンド。あなたは彼女の事を知っていますか?」
「お名前と、容姿の特徴ぐらいは。有名な方ですので」
「……大丈夫だと思います?」
「我が主のなされる事に間違いはございません」
「私の不安をくみ取って、かつマスターへの盲目的な信頼を排除した回答を用意なさい」
「我が主は、聡明であらせられますし、こう見えて規則に忠実なお方です。してよい事と悪い事の区別も明確。何より相手を見ておられる。大きな問題にはならぬと考えます」
「本当にそう思ってるんですか?」
「はい。リズ様にとっては、違うのでありましょうか?」
「……違わないですけど」
「嬉しいなあ。リズ、私の事を聡明で規則に忠実だと思ってるんだね」
「ええ。ほんっとうに規則のギリッギリを攻めるのとか、権限を限界まで行使するのとか、規則に照らし合わせれば拒否出来なくはないけど立場上断りにくい命令とか、そういうの上手いですよね」
私は否定出来そうになかったので、ただ無言で微笑んで、誤魔化す事にした。
しかし、何か含みのある言い方だったな。
何を心配しているんだろう。
レベッカ・スタグネット。一体、どんなひとなのだろう?
翌日。
「死霊軍より派遣された。死霊術師のレベッカ・スタグネットだ」
謁見の間――という名前の、ただ段の上に椅子が置かれ、赤絨毯が敷かれただけの殺風景な部屋――で、着任の挨拶をする彼女を見た時、疑問は氷解した。
「陛下と死霊軍総帥のエルドリッチ様より、"病毒の王"陣営の不死生物の教導役を仰せつかった」
ゆっくりと明瞭な発音で、要点を押さえて自己紹介をする姿は、確かにベテランの風格を持っている。
しかし、外見は幼女。
身長が低い。立っているのに、椅子に腰掛けたまま着任の挨拶を聞いている私と目線がまっすぐ合うほどだ。
この国では珍しい、人形のような白い肌。耳は笹の葉のような、長くぴんと伸びたエルフ耳。長い銀髪は怪しいほどの美しさ。
褪せて古びた黒いゴシックなシャツとスカートには、所々にフリルがあしらわれて可愛い。頭の上には、葉っぱと蔦の意匠が美しい銀の小冠。一際色の褪せた黒いリボンが端に結ばれている。
「よろしく頼む」
外見相応の声帯に抗って、あえて声域を一つ落としているような落ち着いた声が耳に心地よい。
そして、彼女は軽く微笑んだ。
私は頷いた。
「"病毒の王"だ。着任を歓迎する。こちらこそ、よろしく頼む」
立ち上がり、歩み寄って手を差し出す。
「レベッカと呼んでも?」
「ああ。それで構わない」
そして握手。
ふにっとしたもみじの手。
懐かしい感触だった。
ただ、この感触の手と改まって握手した事はないので、その新感覚をゆっくりと味わう。
握手を終えて微笑んだ。
「改めて、着任を歓迎する、レベッカ。必要だという実験室は地下に用意してある。自室は二階だ。後で、リズに案内させる。他にも必要なものがあれば遠慮なく相談してくれ」
「ありがとう」
「知っているかもしれないが、二人の紹介をしておこう。リズ……リーズリット・フィニスと、サマルカンドだ」
「リズで構いません。マスターはそう呼んでおられますので」
「私めも、サマルカンドとお呼び下さい」
「ああ、よろしく。リズ、サマルカンド」
軽く一礼。
出来た幼女だ。
「レベッカ。抱きしめていい?」
「ああ――ん?」
許可が出たので、遠慮なく抱きしめる事にした。