EX24. 二十九人目のドッペルゲンガー
私は、イライラしていた。
もう冬ではあるが、昼下がりの今は快晴で、いい天気だ。
なのに、同じ劇団員の、勘に障る声が耳に残って、仕方ない。
今日から丁度一ヶ月後の、十二月半ばに予定されている、劇場開演三十周年記念公演の配役が発表された後の事だ。
私は、主役を勝ち取った。
実力だと、信じている。
それなのに、発表後、囲まれて投げかけられた言葉は、祝福からほど遠かった。
「さすがフランシーヌさん。ドッペルゲンガーですものね。それもリストレア始まって以来、親子二代の。主役を約束されているようで、羨ましい限りですわ」
そしてわざとらしく笑う。
その時、その場にいた者達は、同じ思いらしく、薄ら笑いを浮かべていた。
よほど殴ってやりたいと思ったが、それをすればまず間違いなく、主役は取り消しだろう。
私が主役に相応しくなかったとして、彼女達にその役が回ってくる事は、ないだろうが。
単純にあまり上手くないからだ。
"蛇の舌"は、来る者拒まず……とまでは言わないが、割と広く門戸を開いているので、知名度の割に所属する事そのものは、それほど難しくない。
しかし、その中で、本公演に出られるのは一握り。
それも、節目の公演となれば、なおさら。
それを受け入れられないなら、ここにはいられない。それだけだ。
自分で諦める人もいれば、他の道を探した方がいいと言われる人もいる。
それは、人それぞれだ。
よくも悪くも、"蛇の舌"は人気の劇団で、大所帯だ。
だからこんなのは、よくある事。
証拠が残らないようには気を付けているようで、嫌がらせは、陰口や今日のような嫌味が主だ。
創立メンバーのお姉様方――母を含む――は、舞台に関して真剣だ。
実害が出れば、厳しい処分を下すだろう。
陰口や嫌味だって、度を過ぎれば見逃されないだろうに。
その程度の頭もないのか。
私は賢いので、全ての悪態は胸の内でつく事にした。
しかし、イライラが収まらない。
劇場の裏口から出る。
掲示板に貼られた、一枚のポスターが目に入った。
深緑のフード付きローブに、オレンジ色の双眼がきらめく黒い仮面。
銀髪を短くしたダークエルフのメイドと共に描かれたそれを知らぬ人がいれば、よほどの偏屈だ。
私達"蛇の舌"の、正式な初公演、そしてこの劇場のこけらおとしはこの演目だった……と言う。
なにしろ生まれる前の話なので、知識として知っているだけだ。
『短剣に恋をした蛇』。
誰もが習う歴史の一ページをモデルにした演目だ。
劇に詳しいと、歴史の一分野のテストで、割といい点が取れるほど。
ただし、違う所も結構あるので、信じすぎると痛い目を見る。
母を含むお姉様方は、皆「これはただのお芝居だよ」と笑う。
……不敬だと言って、劇団や劇場がどうにかなっていないという事は、まあ確かにお芝居なのだろう。
けれど、よくも許されているものだと思う。
それはまあ、ポスターには割と大きめな文字で『※これはフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません』と書いてあるけど。
書いてはあるけど。
舞台は、リストーレ王国。
主人公は、王国軍最高幹部を務める上位死霊、"猛毒の王"。
どう見てもリストレア魔王国、そして"病毒の王"がモデルだ。
――『あの』"戦争の英雄"にして、異種族間の婚姻第一号でもある、"結婚の守護聖人"が。
確かにもう"第六軍"はない。
二十年前に、解体された。
退役後は、消息不明。
"病毒の王"は、歴史の闇に消えた。
……もし出来るなら、会って話をしてみたいものだ。
なにしろ、次の公演で私が演じる『主役』は、正にその"病毒のお……じゃなくて、"猛毒の王"なのだ。
ヒロインのダークエルフのメイドにして暗殺者の『リゼ』は、お姉様方の一人、エコールさんが演じる。
だから――主人公に私みたいな下っ端が選ばれるとは、思っていなかった。
それは、皆と同じ気持ちだ。
だけど、そのために努力して来たのだ。
記念公演には、新人が抜擢される事も多い。
皆それぞれ、もしかしたら自分が選ばれるかもしれない……という淡い期待ぐらい、抱いていただろうに。
それは、同じだろうに。
……思い出したら、またムカムカしてきた。
ポスターから視線を引き剥がすように目をそらして、歩き始める。
劇場裏から、人気のない路地を、ガシガシと勢いよく歩いた。
住宅街に入って、ますます人の気配がなくなる。
閑静な住宅街。耳から入ってくる音は、ほとんどない。
でも。
頭の中に、あの女の声が響く。
(さすがフランシーヌさん。ドッペルゲンガーですものね)
自分で自分の怒りの火に、油を注いでいる。
(それもリストレア始まって以来、親子二代の)
それは、分かっているのに。
(主役を約束されているようで、羨ましい限りですわ)
ざらついた響きが、胸をかきむしっていく。
悪態はつかないと決めた。
嫌味も言い返さないと決めた。
告げ口もしないと決めた。
でも、思わず私は吐き捨てるように、胸の内の苦みを口に出していた。
「好きで、ドッペルゲンガーに生まれたんじゃないわよっ……!!」
口にしてしまった瞬間、じわ、と目元に涙が滲む。
私はぎゅっと目を閉じると、駆け出した。
ただ、目は開けておくべきだったと思う。
曲がり角で、人とぶつかって、ダメな感じでバランスを崩して。
目を開けなきゃと思うのに、恐怖にますます目を固く閉じてしまう。
ドッペルゲンガーは、身体能力で言えば最も劣った種なのだ。
私が獣人や、今も外見だけを真似ている、ダークエルフだったら。
いっそ、デーモンだったら。
そんな思考が、手を引かれ、強く、しかし優しく抱き止められた衝撃で強制的に中断される。
「……ジョゼ?」
女性の声が、『名前』を呼んだ。
そろそろと目を開けると、文字通り、透明感のある肌に黒髪の女性の顔が目に飛び込んできた。
この死霊さんは、『私の顔』に見覚えがあるらしい。
けれど、今呼ばれたのは、私の名前ではない。
それは、母の名前だ。