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病毒の王  作者: 水木あおい
EX
536/574

心に響く言葉


「せっかくだし、露天風呂もどうかな?」


 私は内風呂に設けられた細長い窓から見える、岩風呂を指差した。


 覗きの心配がないのなら全面ガラス張りにしたかったが、コストが高すぎた。

 大きな板ガラスそのものの高価さに加え、この雪山という立地で強化魔法を維持し続ける魔力消費。


 景色も売りの一つではあるが、お風呂におけるそれは、大人しく露天の外風呂に任せたという経緯がある。


 なので、大浴場と家族風呂の露天風呂が、リタル温泉の売りなのだ。


「ああ、それもいいな」


 レベッカが頷いて隣のブリジットを見ると、彼女は微笑んで立ち上がった。


「身体も温まったし、賛成だ」

 そう言ったブリジットは、ちょっと目を細めて私達を見た。


「……心も温まったし」

「お熱い様子を見せて頂いたから」


 レベッカが同意する。

 元々、軍務を通してなら交流していた期間が長かったのだ。レベッカは最古参の一人で、ブリジットは最高幹部。所属は違ったとは言え、お互いに有名で、顔見知りでもある。


 顔見知り以上ではなかったようだけど。

 なのに、息がぴったりだ。


「……別に熱くないですよ」

「うん。日常だと思う」


 ただ、口と口でのキスは、基本的に人前でしないようにしていたけれど。

 お互いにちょっとずつ基準が緩んでいるらしい。



「こんな姿を見せる相手ぐらい、選ぶよ」



 それでも、多分、自分よりも信頼出来るような身内の前だけだろう。


「光栄だな」

 レベッカが口元を緩めるようにして笑った。


 彼女もお湯から上がり、私達は扉を開けて露天風呂へと向かった。

 途端に、身を刺すような冷風が襲いくる。盛夏でも雪の残る雪山だ。


 レベッカもそうだが、生身であるリズとブリジットの方を見てしまう。


 温度差には気を付けるよう、告知は徹底しているが、たまに医務室が出動する。

 今の所、幸いにして死者も重病人も出ていないが、ひやりとするシーンが何度かあったのだ。


 家族風呂があるのは二人部屋からなので、一人で入らないようにお願いしているし、不安のある人は、大浴場の方を利用して貰うようにもしている。


 魔力灯のオレンジの光が淡く照らされる露天風呂は、板壁――正確に言えば板の張られた石壁――に覆われている。

 覗き対策も兼ねているが、どちらかと言えばモロに風が叩き付けられるのを防ぐためという方が強い。


 この、仮にも高級宿の支払い能力を持った上で、モラルを放り捨て、さらに寒空の下、女湯を覗こうとする気合いの入った変態は……いないと信じたい。

 でも、壁があるとそれだけでちょっと安心するのだ。


 その壁にも遮られない、そびえ立つ山の峰に、降るような星空。



 吸い込まれそうな青空が広がる昼風呂もよいものだが、やはり、夜の露天風呂は格別だ。



 白い湯煙の中、白濁色の濁り湯に、小さな石段を下りて、足先で温度を確かめた後、全身を滑り込ませると、少し冷えた身体がカッと熱くなった。

 しばらく肌にぴりぴりと来る温度差に少し身をよじらせながら、身体が馴染むのを待つ。


 演算の精度は、無駄に高い。

 

 私はもう人間をやめてしまったが、人間だった頃から好きな物を全て手放さないでいられるのは、贅沢なものだ。

 もしも私を怒らせる人がいて――考えたくはないが、その切っ掛けが、止めてくれる人がいなくなるような物だった場合、どうなるやら。


 不死生物(アンデッド)の行き着く先、理性を失って全てを喰らおうとする"なれはて"に私がなったとして……物理的に止められるものだろうか。


 するりとかすかな水飛沫だけで滑り込んだ黒妖犬(バーゲスト)の顎裏を指先で掻く。

 ……万が一そうなれば、多分この子達が食い尽くしてくれるだろう。


 長生きはしたいが、それは一人置いて行かれたくないだけの話。


 私は、隣のリズに肩を寄せた。

 そして脚を伸ばして、足先でリズの脚を探って、軽く触れた。


「……なんですか?」



「んー? 幸せだなーって」



 そうとしか言えない。

 ただ純粋にそう言える事が、私の戦果そのものだ。


 戦時中は背中に重くのしかかるようだった不安と恐怖が、今はもう、心の片隅に置かれている。


 全てがなくなる事はないだろう。

 罪悪感やらもミックスされている。私を信じた味方を多く死なせたし……かつての自分と同じ種族を一つ、滅ぼした。


 それでも、かつての私の全てを奪い、この世界で手に入れた仲間を殺した『敵』は、もういない。


 復讐は終わって、憎しみの根は絶たれた。

 何かが少し違えば、勝者は人類だっただろう。



 でも、今この世界に人間は一人もいない。



 その代わりに、少なくとも絶滅戦争の芽はない。

 どこかに種は埋まっているだろう。私達はお互いに違うものなのだ。


 ダークエルフと、獣人と、不死生物(アンデッド)と、悪魔(デーモン)と、(ドラゴン)。それにドッペルゲンガー。


 種族が違う。外見が、生態が、寿命が、文化が、違う。

 それでも私達は、同じ旗の下に集い、同じ国の住民として生きている。


 全ての異なる種族が共に手を取り合い、それぞれの能力を生かす異種族共生国家は理想論だ。

 それでも、夢物語ではない。


 違うものを疎み、排除しようとすれば、それが行き着く先を知っている。

 とりあえずは、それで十分だ。


 リズが足先で触れ返してきて、私は思わずリズを見た。



「私も幸せですよ。……あなた?」



 私は、リズが私を呼んでくれる、ありとあらゆる呼び方が――罵倒っぽいのも含めて――好きだけど。

 一番心臓に『来る』呼び方は、これかもしれない。


「う、ん……」


 思わず胸に両手を当てて動悸を鎮めようとしたが、かえって脈打つ心臓の強さと早さを実感してしまい、顔がさらに熱くなる。


 レベッカがぼそりと呟いた。


「家族風呂じゃなくて夫婦風呂だな、もう」


「……いや、家族風呂だよ? 私は……その、リズと結婚する前から、みんなの事、家族みたいに思ってたから」


 私にとって、身内一人の命の方が、人類全部より重かった。

 それだけの話なのだ。


「……そうか」


 レベッカが微笑む。

 そしてお湯から上がって、岩に腰掛けて、足先でぱしゃりと湯を跳ねさせた。



「私は、別にそうでもなかったが」



「え」

 思わず言葉を失う。




挿絵(By みてみん)




「初対面で人のこと抱きしめるとか、馴れ馴れしい奴だと思ってたな。命令は命令だからとりあえず主と認めはしたが、別に尊敬はしてなかったし」


 足先で湯を跳ねさせながら、切れ味が鋭すぎる言葉を、ぽんぽんと投げつけるレベッカ。


「多少はそう……仲良くなってからも、危なっかしい奴だと思ったよ。言動がいちいち頭おかしいし、メンタルが不安定だし、なんなら病んでるまであった」


 否定出来ない。

 全く正常な精神状態で人類絶滅を目指せる人がいたら、そっちの方が危ない奴だとは思うけれど。


「ああ……でも、な」


 ぱしゃぱしゃとやるのをやめたレベッカが、お風呂でも外さないティアラに手をやった。

 そのまま指を下ろして、何もない空間に指先で触れていく。

 その動きで、かつてそこにあった、黒いリボンが描き出されるようだった。


 私と一番似ているのは、レベッカかもしれない。


 彼女は、全部を失った。

 故郷も、家族も――自分自身さえ。



「今は私も、同じように思ってるよ。……おねーちゃん?」



「はぐっ」


 私はもう一度胸を押さえて呻いた。

 リズよりも、予想外な分破壊力が高いかもしれないし、二連続というのもある。


 よろよろと、隣のリズにすがりついた。


「リズ……暗殺の手法にね……甘い言葉ささやくの入れといて……心臓潰れる」

「心臓潰れるなら、"死の言葉(ワード・オブ・デス)"の下位互換ですね」


 さらりと凄い事を言うリズ。


 ブリジットも湯船から上がって、レベッカの隣に腰掛けた。

 視線が彼女に集中し、ブリジットは戸惑い顔になった。


「……え? これ、私も何か言う流れか?」


「別にそういう事はないですけど」

 リズが首を横に振る。


「いや……でも、そうだな。別に特別な事でも、なんでもないけれど」


 軽く前置きして、微笑むブリジット。



「私達はずっと前から、お前の事を大切に思ってるよ。……大好きだぞ?」



 剛速球(ストレート)

 特別な事ではない、という前置きで油断した。辞書の【特別】っていう言葉の欄に書かれている説明文全てに謝って。


 言語野の大半が焼け野原になり、語彙力という語彙力が灰になった。

 ふるふると頭を特に意味もなく振りながら、私は残った言語能力をかき集めて、言葉を絞り出した。


「おね……あま……死ぬ……」


「……リズ。通訳を頼む」


 ブリジットがリズを見た。

 リズはこともなげに言う。



「『うちのお義姉(ねえ)ちゃんが私に甘すぎて死にそう』ですかね」



 理解力が高すぎるリズ。

 ブリジットがくすりと笑う。


「いつもお前がリズにささやいてる言葉の方が、甘いだろうに」


 それはそうかもしれないけど。

 シチュエーションとか、タイミングとか。


「……いい夏休みだったな。楽しかったよ」


「……そう言ってくれるのは嬉しいけど、まだ明日もあるよ?」


 明日も予約は取ってある。

 最悪どちらか片方、一日だけでもという予備日であり、予定通りなら二日間に渡って当温泉を楽しんで貰うための日程だ。


 支配人として、全力でアピールする。



「大浴場でお湯に浸かりながら朝日を拝んで、全身で夜明けを感じる朝風呂は最高だし、昼間からまったりしながらだらだら浸かるのもオススメだし、位置的に日の入りはほとんど見えないけど、夕暮れ時の光がなくなっていく夕風呂も風情があるよ!」



「……お前……本当に風呂好きだよな……」

 呆れた様子のレベッカ。


「お風呂好きじゃないと、ここで働くの辛いよね」


 残念ながら、ワンシーズンで離職する従業員もいた。

 円満退職ではあるが、やはり残念な物だ。


 自分で退職を選べる時点で、ここでは珍しいとも言う。


 とりあえず石にかじりついてでも目標額を稼がねばならない人達もいるが、段々とお風呂好きかバーゲスト好き……あるいは両方大好きになっている。

 最終的には、従業員全員が、お風呂大好き、もふもふ大好きになるような気がしているが、まだ不明だ。


「私も風呂は好きだけどな。鍛錬の後に汗を洗い流すのとか気持ちよくて、心が洗われるようだった」

「よく分かってるね! さすがブリジット」


 ブリジットの言葉に、深く頷く。

 彼女はもう一度お湯に浸かり直し、首をそらして、星空を見上げた。


「景色もいいし……な。この前に来た時も見たが、絶景だよ」



「うん、本当に絶景だよね」



 隣のリズと、ブリジット、そしてレベッカを順番に見た。

 褐色の豊かな果実がたわわに実り、そして、なだらかで美しい、純白の大平原が広がっている。


 レベッカが無言で岩から降りて、肩まで浸かる。

 絶景度合いが減った。


「教育的指導だ」


「わぷ」

 ビシュ! と鋭い水流が私の顔面を襲った。


 両手を組んで作る水鉄砲は、お風呂での定番遊びだが、彼女の身体能力は高く、さらにインパクトの瞬間の絞り込みは熟練の域。



「テッポウウオより強い……」



 なお、テッポウウオに水を浴びせられた記憶はない。

 レベッカが、淡々と言う。


「それがどんなものか分からないが、な。邪な視線で見るのはマナー違反だぞ」


「失礼な! 純粋な視せ」

 再びテッポウウオ顔負けの水流が顔面に叩き付けられる。


「つい妹の成長が気にな」

 三回目の水流。


「成長しないから」


 冷たい声。

 確かに彼女も私も、もう肉体的な成長は望めない。

 成長も、老いも、変化自体がない。



「ごめんなさい……明日、心を込めて背中流すから許して……」



「……本当に反省してるのか?」


 湿度の高い目で見るレベッカ。


 そこに、四回目の水流が飛んで来た。

 至近距離から。


「り、リズ?」


 組んだ手を外し、水鉄砲の構えを解くリズ。


「……失礼しました。つい」


 ふい、と顔をそらすリズの動きを追うように抱きしめた。

 彼女の顔を覗き込む。



「……大好きだよ?」

「……私もですよ」



 リズがはにかんだ。

 そして、間髪入れずにぴゅーっ、と勢いの弱い水流。


「でも、教育的指導です」


 私よりお風呂のマナーに厳しいまであるリズだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] しっぽり温泉旅行。 [気になる点] 上位死霊「病毒の王」のなれはて…。 普通に考えたら、それこそ魔王陛下の『流星』が直撃してさえ死なない化け物が生まれるだろう。 しかし、何故だろう?…
[良い点] リズの教育的指導(甘め)妻のヤキモチ入り マスター邪心が勝って、ストーカースキルで誤魔化せなかったんですね [気になる点] ブリジット姉は参加しませんでしたが 彼女が水鉄砲をしたらエライ…
[良い点] これがある一人の人間が目の前の人間を突き落とす選択をしてから三年かけて守り抜いて、十数年かけて築き上げた幸せか…。 いいねぇ [一言] デイジーのカットイン!
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