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病毒の王  作者: 水木あおい
EX
535/574

毒された日常


 一通り洗われたところで、お湯をかけて石けんの泡が流される。

 私は両手で、赤くなった顔を隠すように覆った。


「うう……綺麗にされた……」


 リズが呆れ声で言った。



「……『汚された』みたいなトーンで言うのやめてくれません?」



 私は、ぱっと顔を隠していた手を外す。


「いや、まさかリズが人前でここまでするとは」

「身体洗っただけじゃないですか。ねえ?」


 リズは二人に視線を向ける。

 私達とは違い、背中を流し合うぐらいだったレベッカとブリジットは顔を見合わせた。


「……だけ?」

「……そういう事にしておこう」


「いや、そういう事にしておくも何も、そうなんですよ」


「かなり毒されてると思うんだよな」

「幸せそうだからいいんじゃないか」


 二人は、うんうんと頷き合う。

 リズが私を見た。


「……マスター。私、マスターのアレな所に毒されてると思います?」

「なんて言いぐさと思いつつ否定しきれない」


 リズが思案顔になった。


「……見直すべきですかね」

「やめて。頼むから。お願いだから」



「マスターが必死になるって事は、やっぱり私、かなり毒されてるんですね」



 リズがため息をつく。

 内風呂は、洗い場も暖かいのに、冷や汗が頬を伝った。


 初めて会った頃とは――比べ物にならないほど、リズは私に甘くなった。


 『正体不明の要監視対象』だった頃と比べるのは間違いかもしれないが。


 それから、長い時間が経って。

 ちょっとずつ。


 特に、戦争が終わってから――そして、正式に結婚してから。


 リズは、自分の立場というものを大事にしている。

 暗殺者(アサシン)として務めていた期間が、長いせいかもしれない。


 命令は絶対であり、階級は絶対。

 だから……私の、軍務とは関係ない、妄言に近い命令にさえ従い続けた。


 それがより上位の、魔王陛下の命令に抵触しない限りにおいて。


 今はもう、私とリズは対等だ。

 階級差はなく、なんならただの支配人である私に対し、影の総支配人であるリズの方が偉いまである。


 それは、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"を名乗り、最高幹部だった頃からかもしれないけれど。


 御神輿(おみこし)は、きらびやかな担がれている部分の方が目立つ。

 でも、担ぎ手がいない神輿には、何の意味もないのだ。


 もう、私の言葉に強制力はない。

 リズに対して、『命令』は出来ない。


 出来るのはただ、『お願い』だけ。


 私は息を詰めてリズの言葉を待った。


「……なんて顔してるんですか」


 リズが、呆れ顔になる。

 そして苦笑した。



「私は、変わったんでしょうね。それも、物凄く」



「……うん」

 頷いた。


 昔のリズというと、その目を思い出す。


 ぞくりとするほどの、深く暗い目。

 私が映っているのかも分からない、その光のない目に、心を奪われた。


 そう言えば最近、あの光のない目を見ていない事を思い出した。


 軍時代は、折に触れて見ていたのだなと。

 "最適化(オプティミゼーション)"なんて精神魔法を使って感情を調整せねばいけないような立場。


 あの目も好きなので、また見たい。


「……私、暗殺者(アサシン)でしたからね。物理的な毒耐性は高いですし、変な思想に染まらないような教育も受けてます」


 それ自体を洗脳と呼ぶ人もいそうな。

 彼女は手を伸ばし、私の頬に当てた。



「――だから、私が『毒された』なら、それは全部私が受け入れた事なんですよ。マスター。……"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様?」



 どきりとする。

 今はもう、名乗る事も呼ばれる事も、本当に少なくなった名前。


 毒々しいそれを、二人の間で特別な意味を持つ愛称として呼んでくれるのが嬉しくて、胸が詰まった。

 じわ、と目端に涙が滲む。


 今の私はもう、リズの(マスター)ではない。

 今の私はもう、魔王軍最高幹部"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"ではない。


 でも、彼女は私を、そう呼んでくれた。


 デイジー・フィニスと同じ、私を示す呼び名。

 どれか一つでは、私は私たり得ない。


 『ほんとうの』名前は、もうない。


 でも、リズが、私の大切な人が呼んでくれるなら。

 それが真実で、それが本当だ。


 私が何か言おうとして、感情が溢れそうで言葉にならないのを見て、無理に言葉にしなくてもいいと言いたげに、リズは微笑んで、頬を一撫でしてくれた。


 ぎゅっと目をつぶってうつむくと、もう片方の頬にも手のひらが当てられる。

 リズの、力がある割に細い手首を握って応えた。


「……それと、色々と開き直ったマスターの気持ちが、段々と分かるようになってきたんですよね」

「え?」


 どういう事か聞こうとして、顔を上げて目を開けると、ピントが合わなかった。

 でも分かる。目を閉じている時の方が多いけど、何度となく見た光景だから。


「んっ……」



 リズが、口元を隠すように両手を添えて私の頭を固定して、唇を押しつけるようにくちづけた。



 私は開けた目をゆっくりと閉じて、手首を握る手に軽く力を込めた。

 彼女と何度唇を重ねたかなど、覚えていない。


 それでも、その全てを私の唇は覚えている。


 そうされると、心の奥に火が灯るようにあたたかくなっていく。

 同時に安らいで、落ち着いて、満たされていく。


 千の言葉よりも雄弁に気持ちを伝えるような、そんな優しいキスだった。


 唇が離され、名残惜しさを感じながら目を開けると、そこには笑顔のリズ。

 私も笑顔を返して――次に、心の片隅で気になっていた、ブリジットとレベッカの方へ目をやる。


 いつの間にか、二人並んで、内風呂へ肩まで浸かっていた。

 さりげなくバーゲストも一緒だ。


 こちらを見てはいるが、特にいつもと変わりない。

 ……この二人も『毒されている』ような気がする。


 私とリズも、二人と向かい合わせに、並んで湯船に浸かった。

 バーゲストが、半ば泳ぐように歩きながら寄ってくる。


 私達は、手を伸ばして迎え入れ、お湯で濡れてぺとりとした毛に指先を差し込んで、首元をわしゃわしゃした。

 バーゲストが目を細め、動きを止める。


 レベッカが、呟くように言った。



「……夫婦が似てくるって、あれ本当だったんだな」



 私はリズを見て、リズは私を見た。

 リズは変わったけれど、きっと私も、変わったのだろう。


 お互いに、一番長く自分の隣にいる相手だから。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 互いに、相手(の常識)を毒し、(恋の)病を患わせる。 病毒の王とその副官らしい、仲睦まじい姿。 そして、それは周囲へと伝播していき、やがて国家の在り方さえ改変させた。 本来ならあり…
[良い点] EXになってから百合展開より甘いものになってて尊い。 [気になる点] ハーケンのようなアンデット達の給料の使い道。 衣食住に使うことも無さそうだし、娯楽は産業自体が発展してないし。
[良い点] 最高です 最高です この作品、最高だらけですけれど 今回も最高です ありがとうございます
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