カンストなしの忠誠心
リタル温泉のふもとには、温泉街とでも言うべき町が出来ている。
温泉を売りにした宿も多いが、山上――本家本元で元祖リタル温泉目当ての一時滞在客を泊めるために、あえて温泉関連の設備を用意していない宿も多い。
馬車が遅れる事なども考えれば、現地入りは早めが望ましい。天候が荒れた時にも泊まれる場所が必要になる。
初期は私達が経営していたが、現在は提携だ。
「それでは、楽しまれるがよろしい」
「我らはここで、お帰りをお待ちしております。レベッカ様、ブリングジット様」
ハーケンとサマルカンドは、ふもとに残り、二人をまた送ってくれる事になっている。
それはまあ、支配人権限を使えば繁忙期に彼らの分も部屋を取れなくはないが、二人が揃って辞退したのだ。
「またシーズンオフにね」
私とリズはそのまま山の上に残るので、二人とはここでお別れという事になる。
「うむ。会えぬ時間が想いを育むとも言う事であるし」
「……それ、恋愛関係の時に使わない?」
「そうかもしれぬ」
とぼけた様子でからからと笑うハーケン。
「我が忠誠心も、我が主に会えぬ時間を糧に、高まり続けております」
などと言うサマルカンドに、不安になった。
とっくの昔に天井に達していると思っていた忠誠心が、高まり続けている?
「……ねえ。それ大丈夫? 実像を超えて暴走とかしてない?」
「それはもうしてるんじゃないですか?」
「それはもうしてるんじゃないか?」
「それはもうしてると思うぞ」
リズ、ブリジット、レベッカが声を揃える。
共通見解。
しかしサマルカンドは泰然とした様子で首を横に振った。
「我が主は取り繕わず、飾らぬ方ゆえに。実像を超えての暴走などあり得ませぬ」
対外的に多少は、望まれた最高幹部像を演じていた。
けれど、身内の――"第六軍"、"病毒の王"陣営の者達に対しては、ほどほどに素を見せていた。
常にキリッとして威厳があって、貫禄と余裕のあるどっしりとした最高幹部など演じていては、肩が凝るし、胃に穴が空く。
特にサマルカンドには、私が一番飾らなかった瞬間を――死を覚悟した瞬間を、見られている。
その後は"血の契約"で繋がっている事もあり……確かに、無理に取り繕ったり、飾ったりはしていない。
しかし、やっぱり。
「……それは虚像じゃないかな……」
明らかに彼の忠誠心やら何やらは、重い。
ある程度の事情は理解しているつもりだ。
彼は悪魔で……アイデンティティが希薄なまま、それでも文字通り生きるために軍に入り、戦場に立ち、経験を積んできた。
……多分、彼にとってそれは『出来る事』だった。
『したい事』ではなく。
デーモンであるというだけで、大砲として、盾として……貴重な戦場魔法使いとして、戦場に駆り出される時代があった。
もしも、彼が平和な時代に生まれていれば。
ディアナのように、誰も殺さず、一度も戦場に立たないままに、どこかで働くような未来があったかもしれない。
執事とか似合いそう。
――そうしていれば、きっとサマルカンドは、私のような者を主とは仰がなかっただろう。
長い時間を、心をすり減らすように、ただ命令に従って生きてきた。
私が特別だったのではない。バーゲストと同じで、彼をデーモンではなく、一個の人格を持つ存在として扱ったのが、私が最初だったというだけだ。
それが『当たり前』だった。
いいとか悪いとか、その前に、それを論じる前に、生き残らねばならない。
戦場の論理は、酷く歪で、冷たくて……鉄臭い。
しかしサマルカンドは、その論理の中を生き延びてきた黒山羊さんは、ゆっくりと穏やかに言った。
「私にとって、貴方はそのような方であるというだけです、我が尊きお方」
やっぱり虚像じゃないかなとは思う。
それでも私は、サマルカンドが自分の決断で手に入れた、一人きりの主だ。
死さえも覚悟して。
自分が命を狙った相手に、生死を超えた全てを委ねて。
受け入れる私も私だが、申し出る方も申し出る方だ。
私は苦笑しつつ、ぽん、と、サマルカンドの腕を手の甲で軽く叩いてねぎらう。
「ゆっくり骨休めしろ、サマルカンド。ハーケンも」
「はっ」
「うむ」
彼ら二人にとっても、しばしの休暇だ。
私達四人は、彼ら二人と別れると、リタル温泉行きの『送迎車』乗り場へと向かった。