歯抜けの記憶
元"病毒の王"の屋敷は、今は"第四軍"の宿舎だ。
別宅と思ってくれという言葉に甘え、部屋もおおむねそのままだし、割と頻繁に泊まっている。
しかし、今日はちょっと立ち寄るだけ。
夏休みのしめくくりは、リタル温泉だ。
私とリズが戻るのに合わせて、ブリジットとレベッカを招待している。
「あ、しまった……」
「何か?」
残念極まるミスに気が付いて、思わず額を押さえた私に、リズが聞く。
私は一つため息をついて答えた。
「総大理石のお風呂で四姉妹でイチャイチャする予定を入れ忘れた……」
リズが一つため息をついて答えた。
「……今から温泉行くんだから、それでいいじゃないですか」
「うん。それはそうなんだけど。温泉とウーズ風呂はちょっと趣が違うっていうか」
「ちなみに、どっちが好きなんです?」
私はリズの問いに、確信をもって断言する。
「どっちも好き」
温泉は、地球と変わらない、身体の芯まで温まる実家のような安心感。
今では、ウーズのぬめりとした感触にも安心感を覚えるまでになった。
どちらが好きとか、比べるようなものではない。
ちなみに『リタル温泉』では、貸し切りのウーズ風呂も備えている。
初回60分無料――と言うと、なんだか妙な響き。
予約は必要だが使用料は宿代に含まれていて、生成されたウーズの平均的な寿命である一時間以上ゆっくりして、かつ従業員に"粘体生物生成"してもらう場合は追加料金が掛かるというだけだ。
王都の家のお風呂を参考にした設備なので、浴槽の広さは一般家庭用とあまり変わらない。
さすがに二人でゆったり入れるぐらいのサイズにしている――が、夫婦や恋人などに人気のサービスだ。
もちろん、馴染みのない温泉にちょっと疲れて、慣れたお風呂に入りたいだけの人もいるけれど。
馬車を引き出し、馬具に骸骨馬を繋いだりして準備を整えていたサマルカンドがやってきて、一礼する。
「我が主。馬車の準備が出来ました」
「ありがとう。……あ」
「……何か?」
不安げになったサマルカンドに、慌てて手を振ってみせる。
「いや、不満とかじゃなくて。……サマルカンドとハーケンの走らせる馬車が、リストレア最速とかそういう噂になってるらしくてね? 私が退役してからは見られなくなったとか」
アイリスさんの言っていた噂話が、ちょっと思い出されたのだ。
レベッカが、軽く頷いた。
「ああ、私とお前とサマルカンドが、馬車から馬まで強化して、飛ばしてたからな……。暴走馬車にもほどがある」
暴走だったのか。
「……街中は普通にしてたから」
「当たり前だ」
リストレアにおいては、街中は厳しい移動速度の制限がある。厳密な速度ではなく、だく足とかそういう基準だが、それゆえにかえって言い逃れも出来ない。
小さい町は、大通り以外、そもそも馬車が入れない道幅である事も多い。
「ハーケンは知ってる? この噂を教えてくれたのは、元"第四軍"で、今は幽霊旅団社の御者をやってる、アイリスさんっていうんだけど」
「いや、知らぬ名だ。……我は、死霊騎士団以外は、あまり知らぬものでな」
「そうなの? 暗黒騎士時代も入れれば、建国時からの古参でしょ? 他部署の人と顔を合わせる機会も多そうなものだけど」
ハーケンは、自らの背骨という召喚具を媒介に召喚される召喚生物の一種だが、不死生物である事に変わりはなく、"第四軍"所属だったと聞いている。
――『死霊軍付きの備品』とか言っていた。
「……うむ。我は召喚生物ゆえ。それも、『特別製』であるからな……」
「そう言えば、他にハーケンみたいな人、見ないね? 私が知らないだけ?」
知識が増えてからも、ハーケンのような『召喚具』を媒介に存在する不死生物を、見た事がない。
強いて言えばレベッカだ。
「いいや。今も『生きて』いるのは、我一人だけだ」
「……ハーケン?」
「戦場で果てた者も多いが、術式に欠陥があったのか……戦場以外でも、同じ境遇の者達は、次々と消えて行き……"第一次リタルサイド防衛戦"が終わった時点で、既に我一人しか残っておらぬ有様よ」
ハーケンは、淡々と続ける。
「それゆえに、我は、ほとんどの時間を召喚具の状態で、まどろむように過ごしておった。……六度の出撃を経験したと言った。それは事実であるが、"第一次"から"第六次"までのリタルサイド防衛戦しか、我が記憶にはないのだ」
――それを長生きと、呼ぶだろうか?
彼が自分の事を『死霊軍付きの備品』と言った言葉の意味を、十年の時を経て、ようやく本当に理解した。
軍人、それも騎士となれば、戦うために存在している。
でも、戦いの時にだけ起こされるような、そんな扱いは。
あまりに。
あまりにも、『合理的』すぎた。
「……そのような顔をするでない、我らが主」
ハーケンが私の肩に、革手袋に包まれた手を置いた。
肉感的な感触はない。手袋の中身は、骨だけだから。
瞳もない。骸骨の顔には、暗い眼窩の内に鬼火が燃えているだけだ。
けれど、肩に置かれた手の力加減に、声のトーン。鬼火の燃え方。そういった物から、私に対するいたわりが伝わってくる。
「でもっ……そうだ。私の所に来てからは……ずっと、ほとんどずっと、そうしてるよね? 大丈夫なの――」
ハーケンは、不安と焦燥感から早口になった私の言葉を遮るように、きっぱりと宣言した。
「主殿。我は、こう生きると、自分で決めたのだ」
「……ハーケン」
「死後の実験に応じたのは生前の自分。再び騎士として戦う事を選んだのは死後の自分。――貴方を主と定めた。たとえ、今こうしている事が寿命を縮めたとして、それは、我が自分でそうしたいと願ったゆえの事」
彼は、優しく、言い聞かせるように言う。
私の肩から手を離し、それを自分の胸に当てた。
サーコートと鎖鎧の下に胸骨しかない、空っぽの胸に。
「次の防衛戦にも参戦せねばならぬと、そのためだけに『生きて』いた頃より充実しておるぐらいだ。そもそも、どちらの方が『長生き』出来るかなど、誰にも分からぬ事よ。なあ、レベッカ殿?」
「……ん。目は通したが、データが少なすぎるからな。戦時という事もあって資料も少ないし……二度と使われないだろう術式で生まれた『レア』な例だ」
「再生が比較的容易なのはよいが、弱点も剥き出しゆえなあ」
「あやふやな存在限界を抜いても、メリットとデメリットが釣り合ってるんだか、いないんだか」
うんうんと頷き合う二人。
そしてレベッカは私を見た。
「それに普通の不死生物も不安定という事では引けを取らないぞ? お前もよく、知ってると思うがな」
「……うん」
よく分からないという点では、私も同じだ。
私は、上位死霊。
リストレアでは二人目だし、それ以前となると、歴史と言うより伝説の領域。
そのエルドリッチさんにしても、本当に『同じ』なのだか。
サマルカンドが、同族のデーモンが、本当に同族かさえ分からないと言った気持ちが、少し分かる。
不死生物の事はよく分かっていないところも多い。
『平均寿命』さえ、はっきりしてないのが現状だ。
私は、永遠に生きたいとは、思っていない。
ただ、ダークエルフのリズと一緒に生きていける時間が欲しい。
それは、人間だった頃にはきっと叶わなかった願いだ。
置いて行くのか、置いて行かれるのか、それは分からないけれど。
それが、なるべく先の事だといい。
リズが、私の腕にそっと触れた。
今日もお揃いのワンピースなので、彼女の手の感触が素肌に直接感じられ、そこに込められた気持ちも伝わった。
なので、思いきり抱きしめる。
「わっ!?」
「大好きだよ、リズ!」
「……私もですよ」
リズは苦笑しながらも、ぎゅーっと抱きしめ返してくれた。
ハーケンの瞳の鬼火が揺らめく。
そしてしみじみと呟くように言った。
「……うむ。お二人の仲睦まじい様を見ていると、寿命が伸びるようであるなあ」