姉妹の絆
その日、私は朝からそわそわとしていた。
人を待っているのだ。
呼び鈴が鳴って、椅子から立ち上がった私はいそいそと玄関に向かう。
「いらっしゃい」
笑顔で出迎えた相手は、レベッカ――と、サマルカンドとハーケンだ。
「お招きに預かりまして。……珍しく可愛い恰好だな。エリシャに着せられたか」
「レベッカの洞察力が高すぎる。……リズとブリジットに、旅行を口実に、姉妹でお揃いの服を着てもらおうとしたんだけど」
文字通り一張羅で着たきり雀だった期間が長すぎて、このワンピースが似合っているのか自信が持てないところがある。
スタイルのいいリズとブリジットとお揃いなのでなおさら。
しかし、レベッカは笑ってくれた。
「似合ってるぞ」
「そう?」
「ああ」
レベッカが頷く。
サマルカンドとハーケンも続けた。
「我が主に大変お似合いでございます」
「うむ。胸を張られるがよろしい」
「……ありがと」
お世辞ではないと思う。
でも、この二人の私に対する評価を鵜呑みにしていいのかは、迷うところ。
けれど、素直に受け取る事にした。
「ま、上がって上がって」
三人を招き入れる。
「元気にしてた?」
軽く身をかがめて、レベッカの頬に挨拶のキスをする。
レベッカも頬に挨拶を返してくれた。
「ああ、元気だよ。……無茶な上司がいないと、心労が溜まらないし」
「え」
「……冗談だ」
にこっと笑うレベッカ。
本当に冗談なのだろうか。
それは気にしない事にして、三人をリビングへ案内した。
普段はリズと二人きりの食卓に、今日は六人も。
このためにテーブルは大きめの物を選び、椅子も予備を用意してある。
「このメンバーで集まるのは、久しぶりだね」
揃うのが、意外と少なかった。
軍時代はブリジットの所属が違い、駐留場所も違っていたので、頻繁に会えなかった。
さらにレベッカ達が気を遣って、私とリズとブリジットを三人にしてくれていたのもある。
私は、サマルカンドを見た。
「サマルカンド。例の物は?」
「ぬかりありません」
軽く頭を下げるサマルカンド。
「ありがとう。では、頼む」
「はっ」
サマルカンドが手に持った袋からリボンの掛けられた紙箱を出し、テーブルの上に恭しく置いた。
私はするりとリボンをほどき、紙箱を開ける。
ブリジットが出てきた物を見て、呟いた。
「……ケーキ?」
苺と生クリームに、チョコのメッセージプレートがのっている、シンプルにして基本のバースデーケーキだ。
春から夏である今まで"保護"で保存されている苺に、まだまだ高級品のチョコ。割高ではあるが、お祝いのためなら惜しくはない。
「なんでまた」
「……ブリジット。自分の誕生日も忘れたの?」
「……あ」
素で忘れていたらしいブリジット。
今日は七月三十一日。
七月が終わる今日に、彼女は生まれた。
一度、食事を共にしてお祝いした事もあるが、手紙で触れるのが常だった。
でも一度は、きちんとお祝いしたいと思っていたのだ。
ブリジットがリズに聞く。
「リズ。私、二百になったっけ?」
「なってませんよ。自分の年齢ぐらい覚えててくださ……いや、私もよく忘れますけど」
昔は、自分の年齢を忘れるなんて、と思っていた。
「私の故郷では、毎年誕生日を祝うんだよ。人間ばかりだったからかも、しれないけどね」
でもそれは、年齢と見た目が比例する、人間特有の感覚だったのかもしれない。
あるいは、平均寿命というものを信じられる社会に生きてきた者の傲慢さだったのかもしれないと、思う。
この世界でも人間は誕生日を毎年祝う――祝っていた。
裕福な者達は。
自分の出生日に確信を持てず、ましてカレンダーではなく季節の移り変わりに従って日々を生きるような農民達には、ケーキで祝うような誕生日などなかった。
私の命令が、刈り取ったような人達には。
ダークエルフは百歳になった時と、後は百年ごとに祝うと聞いたが、あまり見た事がない。
人の誕生日や年齢を忘れるのは、意外とよくある話。――まして百年単位では。
自分から言い出すのもなんだかなあ、という気持ちも分かる。
気にしないうちに忘れていそうでもある。
ブリジットが、私からケーキに視線を移し、微笑んだ。
「こんな風に祝われたのは初めてだが……いいものだな」
「初めて? 百の時は?」
「百の時は……丁度"第六次"の頃だ。その時は意識もしていなかったし、祝う雰囲気でもなかったな。……正直に言うと、忘れていた」
戦争め。
ひとが誕生日をお祝いするようなささやかな余裕を奪うのが、戦争だ。
誕生日なんて、『そんなもの』。
殺し殺されるより、随分と優先順位が低い。当然だ。
でも、大事でないという事ではない。
心の中で、定義にもよるけれど"第六次リタルサイド防衛戦"は六十か七十年前の話で、その頃に百歳という事は……と、ざっとブリジットの年齢を概算――するのを止めた。
彼女がいくつだろうと、関係あるものか。
大事なのは外見年齢。
後、精神年齢。
自分の精神年齢に自信はないけど。
「お前は? いつ生まれなんだ?」
ブリジットが軽く口にした質問に、私は曖昧に微笑んだ。
「……忘れちゃった」
「……あ、その。すまない」
「いいの。私は、誰かをお祝いする方が好きだし。どうしてもって言うなら、祝われついでに祝って」
「そうか」
ブリジットが頷く。
そして慈しむような笑顔になった。
「……生まれてきてくれて、ありがとう。そして、この日まで生きていてくれて……ありがとう」
「それ重いやつ」
「そうか?」
……それはもちろん、私はここにいる皆に対して、それぐらいの気持ちでいるけれど。
実際にさらりと口に出せるのは、さすがブリジットとしか言いようがない。
「……でも、そう言ってくれて嬉しいよ。ありがとう」
私の死を望んだ人が、数限りなくいる。
でも私は今『生きて』いる。
沢山の人に守られて。
そんな風に生き延びてきた一秒一秒に感謝する事は、いつもはない。
それを想うのは、こういう区切りの時だ。
「でも今日の主役はブリジットだからね。リズ、お願い。チョコプレートはブリジットに」
「はい」
リズがナイフを取り上げ、器用に五等分する。
準備していた紅茶も淹れて貰う。今の彼女はメイド服ではないし、メイドでもないが、この中で一番手際がいいのはリズだ。
ハーケンは食べられないので、代わりに気分だけでもと、ティーカップには水が入っている。
私が魔力を込めているので、ただの味気ない水よりは、お祝い気分を味わってもらえるはずだ。
「おめでとう、ブリジット」
ぱちぱちと軽く拍手する。
「おめでとうございます、姉様」
「おめでとうございます、ブリングジット様」
「おめでとう、ブリングジット殿」
私に次いで、リズとサマルカンドとハーケンがそれぞれお祝いを口にして、軽く手を叩く。
「おめでとう、…………」
その中で、私のお姉ちゃんセンサーによれば、レベッカはどことなく浮かない顔だった。
妹に関する事であれば、割と高精度だと自負している。
食べ始めてからも、ちらちらとブリジットを見ていて、見られている本人も気が付いた。
「……レベッカ? 私は何か、気に障る事をしたか?」
「そんな事はない。……逆、というか……私個人の問題だ」
「何か、問題が?」
重ねて問うブリジットに、レベッカは沈黙した。
カップに口をつけ、一口すすると、ことん、とティーソーサーに置く。
「……少し、昔を思い出す……」
呟くように言って、視線を落とす。
「ブリ……ングジット殿。あなたは……私の姉……私が不死生物になる前に死んだ姉に、な。少し、雰囲気が似てる。それだけ……だ」
他人行儀な呼び方にふと思い返せば、レベッカとブリジットは、あまり交流がなかった。
私がブリジットに構ってもらっていたのもそうだが、職務上の打ち合わせは、私とリズのみで対応する事も多かった。
そして何より、レベッカが意図的に避けていたのだろう。
彼女には、上に二人、姉がいたと聞いている。
ヘンリエッタと、アネット。――それと、血縁はないが教育係のデイジーに、文官のフローラにも、妹のように可愛がられていたと、昔を懐かしそうに語った。
もう、誰もこの世にはいない。
唯一フローラさんだけが、オルドレガリアの記憶の残滓を留めている。
けれど、彼女は『オルドレガリアの文官のフローラ』では、ない。
多くの記憶をなくし――それでも、彼女は生前と同じ名前を名乗り、レベッカを姫様と呼び、彼女の事を可愛がっている。
同じ故郷を失った者同士の、ささやかな繋がり。
ブリジットに似ているというのは、アネットという人の方だろう。
オルドレガリアが滅びる際には最後まで騎士として剣を取って戦ったと。
彼女は、あまり多くを語らなかった。
私も、聞き出そうとはしていない。
話して楽になる事もあれば、自分の中で完結させるべき過去もある。
遠い日になくした姉と似ていると伝えた彼女の気持ちは、どんなものか。
……それは想像するしか出来ないが、ブリジットは頷いて、微笑んだ。
「……そうか。なら、その、なんだ。私を姉と思っても……いいぞ?」
「夢の四姉妹」
全員の視線が、私に集中する。
今は、真面目な話を茶化すつもりはなかった。
なかったのだが、思わず本音が口からポロリと。
リズが呆れ顔になる。
「……マスターの夢は特殊すぎません?」
「最近否定出来なくなってきた」
私の気持ちの根幹は、多くの人と同じだと思っている。
ただ、枝葉はちょっと特殊な形をしているような、そんな気がしてきた。
「でも、恥じるところは一切ないよ」
「ないんですか」
頷く。
「うん。……あ、でも、一つだけ問題が……」
「もっとあるような気もしますが、その一つとやらを聞きましょう」
「……誰が姉で妹かもう分からない。ブリジットがレベッカの姉で、リズがブリジットの妹で、私がレベッカのお姉ちゃんで、ブリジットが私のお義姉ちゃんで、リズが私……の?」
脳内で引いていく相関図が、上手く繋がらない――
「いや、私はマスターと姉妹じゃないですから」
――のは、当然だった。
「……まあ、全部すっきりさせなくてもいいんじゃないですかね」
「そうだね。でも、私はリズにお姉ちゃんって呼んでもらいたい気もするし、逆にリズお姉ちゃんって呼んでみたい気もする」
お姉様、でも可。
「……たわむれが過ぎません?」
「過ぎたものだけをたわむれと呼ぶんだよ」
リズがため息をつく。
……と、くすくすと笑い声が聞こえた。
レベッカが、外見年齢相応の笑顔で、おかしそうに笑っている。
そして、その笑顔を私に向けてくれた。
「……うちのお義姉ちゃんは、馬鹿みたいだな」
「奇遇だな? うちの義妹も馬鹿みたいなんだ」
二人して、罵倒を私に向けてくれた。
目をそらしてとぼけたかった。
しかし、二人が卑怯にも満面の笑顔なので、目を離せない。
レベッカがブリジットを見て、躊躇いがちに何度か口を開いては閉じ、やがて意を決したのか、口を開く。
「えっと……ブリングジット――」
「レベッカ」
ブリジットが遮った。
出鼻をくじかれて、レベッカの顔を不安の色がかすめる。
「……ブリジット、でいい。親しい者は……家族は、そう呼んでいる」
レベッカが目を見開き……口元を緩めるように笑った。
「ありがとう。ブリジット姉様」
ブリジットも微笑んだ。
「……昔は、こんな風に誕生日を祝ってもらうなんて、夢にも思わなかった」
彼女はケーキを一口食べ、甘さに頬を緩める。
そのまま上機嫌で言った。
「それに、妹が二人も増えるなんて、思わなかったよ」
私と、レベッカと、リズは、顔を見合わせた。
私達は生まれも、種族も、何もかもが違うのに。
同じ人を、姉と呼ぶようになった巡り合わせが、おかしくて。
そして、その不思議な縁が、嬉しくて。
思わず、照れて笑ってしまった。