完全復活
この世界には、悪魔という種族がいる。
どこで、どうやって生まれているかさえ、定かではない。
確かに肉体を持ち、しかし子供さえ作れない、生物としての存在理由さえ不確かな種族。
召喚魔法によって喚び出される、あるいは生命生成魔法によって創造される召喚生物とさえ言われるが、未だそういった術式を見つけた、あるいは作り出したという話は聞かない。
頑健な肉体。膨大な魔力量。長大な寿命。
最強種族の呼び声も高い、少数種族だ。
時を経て、魔力を増し、戦闘経験を積んだデーモンは、上位悪魔と呼ばれる。
そして、今、ひとりの上位悪魔が私の隣にいる。
主に湯たんぽとして。
名前は、サマルカンド。
"血の契約"によって絶対的に従属している、半人半獣の、直立した黒山羊の姿の悪魔だ。
溶岩のよう、と形容される熱い血が流れ、滑らかでふさふさの黒い体毛を持つため、そばにいると、深まりつつある秋の夜に心地よい眠りを約束してくれる。
さらに一匹しかいないバーゲストも寄り添っているので黒くてもふもふ率は局地的に高い。
「我が主。リズ様が参られました」
「んー……」
優しく肩を揺すられて起こされる。
しかし、もう少し寝たい。
「後三十分……」
「は、かしこまりました」
「サマルカンド。マスターを甘やかすのやめなさい」
ノックの音と共に、ドア越しに氷のように冷たく愛らしい声が聞こえた。
「叩き起こしなさい、サマルカンド。これは命令です」
「申し訳ありませんリズ様。序列と契約により、従えませぬ」
サマルカンドはリズより序列が低いが、私はリズより序列が高い。
私は"病毒の王"。リストレア魔王国、魔王軍最高幹部にして、"第六軍"、通称"病毒の王"陣営の序列第一位だ。
さらに"血の契約"は、あらゆる理屈と感情を無視して命令を強制させる事も出来る、最高強度の呪いに近い契約だ。
とはいえ、私はそれを盾にして命令した事は、まだないのだけど。
加えて言うと、"血の契約"と、雇用契約を結ぶ前からこんな感じだ。
「ですが我が尊きお方。リズ様が起こしに参られました。どうかお目覚めになられますよう……」
鍵が開く音がして、リズが入ってきた。
彼女には、常時入室許可を与えてあるし、魔法鍵の解錠権限も持っている。
さらにメイドは彼女一人しかいないが「メイド長は鍵束を持っているべき」という理由で、物理鍵……普通の鍵も、鍵束にして預けてある。
「マスター、おはようございます」
ショートカットの銀髪にメイド服、そして赤いマフラーをしたダークエルフ。
私の愛しい専属メイドさんにして副官、果ては護衛も兼ねる暗殺者のリズことリーズリット・フィニスだ。
今日も朝からメイド服をきっちり着こなして、キリッとした姿が眩しい。
観念して起きる事にする。
「おはよう……」
思わずあくびが漏れて、噛み殺しつつ口元を手で押さえた。
「ベッドにサマルカンド連れ込んだんですか?」
「うん。空気が随分とひんやりしてきたし、リズが一緒に寝てくれないから」
リズがため息をつく。
「……サマルカンドが上位悪魔だって分かってます?」
「分かってるよ?」
「非公開ではありますが、悪魔軍でも多分五十名いない希少種族ですよ?」
「だから、分かってるって。まあ本家で五十人なら、うちの陣営にも一人ぐらいはいてもおかしくない計算だよね」
「ガバガバの計算ですね」
「我が主。それでは私めはこれで……」
「うん、ありがと」
「我が主にこの身を捧げられた事、真に光栄にございました。またいつでもお呼び下さい」
優雅に一礼して去るサマルカンド。
その背中を見送っていたリズが、私に視線を向けた。
「……変な事はしてませんよね?」
ジト目のリズ。
「してないよ。女として見られてないし」
「まあ悪魔ですし、マスターですしね」
「後半が気になるなあ」
「だってマスターですし」
辛辣なリズ。
私は"病毒の王"。何故か女と見られない率が高い日本人女性(26)だ。
まあ人間である以前に生きている燃料タンク扱いだったり、その後も周りに居るのが獣人だったり、悪魔だったり、同性だったりで、仕方ないと言えば仕方ない。
女と見られたら、それはそれで酷い事になっていそうなので、不満はない。
リズに差し出された着替えを身に付けていく。
若草色のローブに、深緑のフード付きローブを重ね着。
忘れずに、三種の護符も首から紐で下げる。
フードはかぶらず、長い黒髪を両手でまとめてフードの上に流した。
これに肩布を首に掛け、仮面を着け、杖を持てば"病毒の王"の正装だ。
十日ほど前に、護符と仮面、それに杖はひどく壊されて、修理したり、新調したりしている。
私自身肩を負傷して治癒魔法を受け、今日まで安静を言い渡されていた。
リズが一緒に寝てくれなかったのも、その辺が理由だったりする。
命を狙われる事さえ、日常の一部。
それが、魔王軍最高幹部"病毒の王"のお仕事の一つなのだから。
けれど、私は何も失わずその戦いを終えた。
忠実な黒山羊さんも、可愛い暗殺者さんも、愛らしい黒犬さん達も、何一つ致命的には損なわずに。
ローブの裾を手で払って整えると、私は笑った。
"病毒の王"、完全復活だ。
私は、"病毒の王"。
種族、人間。
目標、人類絶滅。
「では行こうか、リズ」
「マスターは、ご飯の時だけ元気になりますよね」
「リズ。今は結構真面目に言ったんだよ?」