表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
病毒の王  作者: 水木あおい
EX
525/574

今まで出会った全てに


 貝が焼けるのと、カニが来るのを待つ間に昼酒と洒落込む事にする。


 ビールジョッキを差し出して、焼き網の上で軽く打ち合わせた。

 ガラスとガラスがぶつかって、チーン、と澄んだ音を立てる。



「かんぱーい」



「……何に乾杯したんだ?」

「その場のノリでしょうね」


 ブリジットが軽く首を傾げ、リズが応える。

 私も首を傾げた。


「今まで出会った全てに感謝して乾杯……する?」


「重いです」


 リズが苦笑した。

 ブリジットと一緒に、私もくすくすと笑う。


 揃って黄金色の液体を喉に流し込むと、全員、はーっと息をついた。

 意外と暑くて、汗を掻いていたらしい。失われていた水分が身体に染み渡るような感覚。


 そんな感覚が、この身にはある。

 死霊(レイス)として、身体能力と共に各種耐性を引き上げれば失われるような、無駄とさえ断じる人もいるだろう機能が。


 かりそめであろうとも、それは私が人間として生きた証だ。

 人間はやめてしまったし、リストレアの不死生物(アンデッド)として生きる覚悟もしている。


 それでも私が、地球産の人間だったという事実は変わらない。

 いっそ全ての記憶が失われて、壊れていればと思った事さえある。


 自分で決めた事だけど――いや、だからこそ、辛い時もあった。


 私は誰にも、非道を強いられなかった。

 自分の心に言い訳さえ出来ずに、私は命令を下し続けて、私の命令は人を殺し続けた。


 それでも私は、私と、私と一緒にこの世界に召喚されて、魔力袋としてその人生を終えた、顔も覚えていない人達に対する仕打ちを、許せなかった。


 何より私は、自分を助けてくれた人達の事を、好きになりすぎた。


 だから、ただ自分の立場と、出自と、目標を、刻み込むように繰り返し唱えて、病と毒の王として振る舞い続けた。



「一杯しかないから、大切に飲まないとね」



 ――それはもう、遠い日の事。


 夏の日差しを透かして、ビールジョッキの中身が黄金のようにきらきらと輝く。

 簡素な屋根で強い日差しが遮られて生まれる濃い影との対比が、その輝きを何倍も美しく見せていた。

 こんな日は、今まで出会った全てに感謝したい気分になる。


 ……私を、この世界に喚び込んだ、憎むべき人達にさえ。


 私がいなければ、多分『こう』はなっていなかった。

 歴史の分岐点があるなら、私が初めてこの手で人を殺した瞬間が、その一つだ。


 私は、城壁の上にいた。


 目の前の防御魔法使い達を突き飛ばして、突き落として――そうやって張り巡らされた魔法障壁に空いた、小さな穴。


 ブリジットの命令で叩き込まれた攻撃魔法。

 持ち物も、記憶も――本当に全てを奪われて、一人になった私に与えられた一枚の毛布が、私に覚悟を決めさせた。


 ……向こうの世界で、誰も殺さずに、手も心も汚さずに、まっとうに生きたかった気持ちが、ないと言えば嘘になる。


 名前も覚えていない妹の事も、私は大好きだった。

 家族がいた。友達だっていた。


 私を形作っていた大切な全てから、引き剥がされた。



 それでも、私はリストレアに来た事そのものには、感謝している。



 忘れてしまった家の名前がある。

 でも、その代わりに、『フィニス』という名字を貰った。


 忘れてしまった私の名前がある。

 それでも、かつてたわむれに名乗った偽名『デイジー』が、とりあえず名乗るのに不便はない程度に馴染んできた。


 目の前のダークエルフさん達は、それぞれ縮めた名で呼ぶ事を許してくれた。


 私にはもったいないほどのお嫁さんとお義姉(ねえ)ちゃんだ。


「……二人共」


「なんですか?」

「なんだ?」



「だーいすきだよ?」



 二人が、目を見開く。

 そして目を細めて、はにかんだ。


「私もですよ」

「私もだ」



「おねーさんの言葉は、いちいち心臓に悪いです!」



 そこに、思いも寄らぬ方向から声がした。

 そちらを向くと、ぐい、と鼻先に解体されてお皿にこんもりと盛られた、カニが差し出される。


「はい、カニの下ごしらえ出来ましたよ! お塩してありますから、そのまま焼いてどうぞ!」

「あ、ありがとう」


 勢いに気圧される。

 ピンと立った猫耳に、やはりピンと立った尻尾。攻撃姿勢だ。


「うちは普通の網焼き酒場なんですからね! 口説き文句がいちいち似つかわしくなく甘いです!!」

「いや、これはむしろ日常の風景って言うか」


「そんな日常がありますか!」


 そんな事言われても。


「……いや、おねーさんならありそうですけども」


 謎の信頼。

 前回、何かしただろうか。


 全力で叫んだせいで、はあはあと肩で息をする店員さん。


「……失礼しました」


 そして、ぺこりと頭を下げる。

 耳も伏せられ、尻尾もぺたっと垂れた。


「いや、こっちこそなんかごめんね」


 私が謝ると、二人が続けた。


「ええ、うちのひとがすみません」

「ああ、うちのいもうとが失礼をした」


「……え、姉妹なんですか?」


「私は夫婦ですけど」

「うん。義理だけど姉妹だ」


 二人の言葉を受けて、ふるふると頭を振る店員さん。



「……おねーさんなら仕方ないですね」



 何故か納得された。

 彼女は、ただの店員さんで、私の正体を知らないはずなのだけど。


「えっと……ごゆっくりどうぞ」


 すすすーっ、と店内へ消えて行く店員さん。

 店の奥から、何やらもだえている気配がしたが、若いから色々あるのだろうと、気にしない事にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 貝焼き酒場の店員の、渾身のツッコミ!! ミス! フィニス夫婦姉妹には、効いていない!! 店員は悶えている!! デイジーは、そっとしておいた…。 [気になる点] デイジーさんには、周り…
[良い点] 聞き耳たててたんかーい 前回つっこめなかった分の気持ちをこめて、店員さん魂のツッコミ それでいいのか接客業? [一言] 夫婦、姉妹、通常運転 燃料投下ばっちりです。
[良い点] 店員さんは納得した 店員さんは経験値を得た 店員さんはレベルが上った!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ