水色のリボン
頬を舐める犬の舌の感触で、目が覚めた。
カーテンの隙間から朝日が差し込んで、上位死霊でなくても、薄暗い部屋を見通すのに支障はない明るさだ。
「あ、起きましたか?」
「ん……おはよう……」
リズに挨拶を返しつつ、もそもそと起き出して、ぼーっとする。
寄ってきたバーゲストに、寄りかかるように抱きしめて、ゆっくりと脳を目覚めさせていく。
「おはよう。よく眠れたか?」
「おかげさまで……」
ブリジットにそう言いながら、気を抜くと、布団に戻りたくなる。
ベッドの寝心地もよかったし――何より、心安らかな気持ちで眠りに入れた。
上位死霊となっても、こんな風に休息を取る必要がある。
安定しているようで明日をも知れぬ身としては、身体を労るのも大事だ。
そして何より、人の身としての感覚をなくし、生きる理由を見失えば、その時、私は『死ぬ』。
そもそも、不死生物の『存在限界』は、まだまだ分からない事も多い。
多くが、その前に戦場で果てた。
寿命で死ねる世界の、なんと贅沢な事か。
ブリジットがうさ耳フードを下ろした所で、目が覚めてきた。
「あ、ブリジット」
「なんだ?」
「着て欲しい服があるんだけど」
「今度はどんな服だ……?」
明らかに警戒心を剥き出しにするブリジット。
「そう警戒しなくても」
「差し出されたパジャマのモチーフがウサギじゃなかったら、私もこんな警戒心は抱かなかったよ」
「正論だけど、そう警戒しなくても」
リズがトランクから取り出した服を受け取り、私からブリジットに渡す。
「ワンピース……か?」
広げて、どんな怪しい物も見逃すまいと、真剣な表情で検分するブリジット。
ややあって、彼女は首を傾げた。
「……普通だな?」
「少なくとも、身内で楽しむ服と、よそゆきの服は分けてるつもりだよ」
内輪のノリは、内輪だから楽しめるものだ。
お洒落は自由とはよく言われるが、私は自由とは奇抜さだとは思わないし、奇抜さがお洒落の到達点だとも思わない。
それはそれで、ファッションショーのキャットウォーク上という舞台における、最適解なのかもしれないが。
「あの、身内で楽しむ服の基準、もう少しなんとかなりませんか?」
「なりません」
拒否権は当然あるので、嫌なら言ってくれればいいだけの話だ。
今回は、エリシャさんにお願いした、お休み用のワンピース。丈は長めで、ノースリーブの夏仕様だ。
私が旅行用の服について相談するとエリシャさんは、「えっ? 暗黒騎士団長様に可愛い服着せていいんですか!?」と言った。
「今回は私達も同じデザインの着ますし、注文段階からチェックしましたので……妙な裏はないはずですよ」
「私、妙な裏のある服を着せた事は一回もないんだけどねえ」
私はいつも、正々堂々、まっすぐ正面からお願いしている。
多少……デザインが特殊な事はあるが、それもきちんと伝えた上で、「これを着て欲しい」とお願いしているのだ。
「そういう事なら……」
ブリジットがアニマルパジャマを脱ぎ、私とリズもそれぞれ着替える。
着替え終わった所でブリジットの方をもう一度見ると、丁度背中を向けていた。
ベッドに腰掛けたブリジットが、自分の頭に手を回して、軽く髪を掴み、水色のリボンできゅっと結んで、この旅行で初めてポニーテールにする。
些細な所だけど。
いつもと、違った。
「そのリボン……」
「ああ、旅行だからな。いつもの紐も味気ないかと思って」
ブリジットが振り返らずに答える。
淡い空の色のようなリボン。派手さはない。
それでも、今回の旅行を、私達と過ごす夏休みを楽しみにしてくれていた証のようで、嬉しかった。
ブリジットが、軽くポニーテールを払って髪を流し、整えた。
馬車の移動の間は、背もたれに背を預けにくいから、ほどいたままだったのだ。
「この髪型にすると、引き締まるな」
私に背中を向けたままで――彼女にとっては前を向いたままで、一体それをどんな表情で言ったのか、分からなかった。
「……やっぱり、その髪型が落ち着く?」
この髪型は、ブリジットにとっての覚悟の形だ。
しかし彼女は、その重さは感じさせずに軽く言った。
「もう、長いからな。……それに、いい事もあるんだぞ?」
「いい事?」
ブリジットが振り返ると、くすりと笑った。
「妹達に、人混みでも見つけてもらいやすいとかな?」
確かに、いつもの待ち合わせの時は、彼女のポニーテールを目印にしている所があった。
それを――そんな事を、『いい事』に数えてくれるのが嬉しくて、私の口元にも笑みが浮かんだ。