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病毒の王  作者: 水木あおい
EX
516/574

アヤメ風呂


 私は、夕食後、リズとブリジットと連れ立って、宿に併設された公衆浴場へ来ていた。

 あくまで中継点なので、他の客は少なく、貸し切り状態――と思ったら、一人、思わぬ先客がいた。



「アイリスさん?」



「あ……デイジー様方」


 湯船に張られたウーズに浸かったまま軽く会釈する彼女は、お風呂なので深紫のフード付きローブ姿でこそないが、アイリスさんだった。


 ぴこりと反応したのは黒の猫耳。猫系の獣人さんだったらしい。

 肌は透き通るように白い……というのは定番のアンデッドジョークだが、本当に透き通っている事を除いても色白だ。


 物腰も丁寧だし、どことなく深窓の令嬢や、薄幸のお嬢様といった風。

 透けているせいもあり、かなり薄く見える薄緑の瞳が、私を見返した。


「お先にお湯を頂いておりました。それでは、私はこれで……」


 そう言って立ち上がろうとするアイリスさんを手で制した。


「もし遠慮してるなら、そのままどうぞ。ここは公衆浴場ですし」

「……そう、ですか」


 もう一度、浸かり直すアイリスさん。


 ……着やせするタイプだった。

 親近感を感じていたのに。


「……何か?」

「いえ……お気になさらず」


 ちらりとリズとブリジットを見る。

 レベッカがいないと……ある種のバランスが取れない。


 それはまあ気にしない事にして、とりあえず洗い場で身体を洗う事にする。



「さ、お義姉(ねえ)ちゃん? 背中流すのと、流されるの、どっちにする?」



「両方で」

 さらりと答えるブリジット。


 初めて一緒に公衆浴場に入った時に、どことなく距離感に戸惑っていた彼女は、もういないのだと思うと、一抹の寂しさが。


 ……その代わりに、ごく自然に近い距離を許してくれているのだと思うと、改めて嬉しくもなる。


 普通に身体を洗った後、背中だけ洗って貰う。

 髪はまた後で。


 湯船に三人揃って浸かると、アイリスさんが口を開いた。



「……仲がよろしいのですね」



「長い付き合いですから」

「長い付き合いだからな」


 リズとブリジットが声を揃える。


 長命種基準では、まだ短い方かもしれないけれど。

 きっと、長命種基準でも長い付き合いになるだろうと思っているし、そのための努力を惜しむつもりはない。


 それに私の基準では、長い付き合いだ。

 この世界に来てから……ずっとなのだから。


 私は付け加えた。


「それに、深い付き合いだから」


「そのようですね。羨ましい事です」


「ありがとう」


 あまりにさらりと言うので、客へのお世辞なのか本心なのか分からない。

 けれど嫌味な感じはしないので素直に受け取る。


「デイジー様は、アンデッドなのに入浴されるのですね」

「アイリスさんこそ」


 入浴する不死生物(アンデッド)が、全くいない訳ではない――というか、骸骨(スケルトン)の場合は、半ば義務だ。


 ただ、聞いた情報を総合すると、あれは入浴と言っていいのかどうか。

 洗浄が必要なほど汚れていると判断したら、"粘体生物生成(クリエイトウーズ)"によってウーズの満たされた湯船に、全身を浸す。

 大体は、生成したウーズの寿命が来る前に適当に上がるとの事。


 聞くと『全身』とは本当に全身で、爪先から頭のてっぺんまでだ。浮力らしい浮力もないし、湯船の深さを考慮して、底に寝転がるのだとか。

 入浴って言うより入水。

 都市伝説にある、医療用献体が沈められているホルマリンのプールかと思いそうな絵面。


 便利な日常生活用魔法、"浄化(クレンジング)"の汚れ判定も万能ではない。


 改良されつつも、あまり『汚れ』の範囲を広げると事故るから、あえて多少不便にしてあるとはレベッカ談。

 不死生物(アンデッド)でも一応使えるが、『事故』が起きる事もあるので、なるべく使わないのが基本だと言う。


 うちの騎士達は泥や血で汚れた場合は、川縁でお互いに水をぶっかけて洗ったりしていた。


 ――そういう、入浴と言うより洗浄と言うべき『お風呂』は、骸骨(スケルトン)の場合のみ。


 死霊(レイス)骸骨(スケルトン)より汚れにくく、個人の判断に任されている。


 どちらにせよ、私は公衆浴場で不死生物(アンデッド)の人を見た事はなかった。



「……生前、入浴が好きだったもので。肌に触れる感覚は薄くなりましたが、なくなった訳ではありませんし……」



 生前の感覚は、不死生物(アンデッド)になった際に鈍感になる――らしい。

 私は不死生物(アンデッド)としては新米な上に特殊なので、そういうあるあるネタに、あまり共感出来ないのだ。


 聴覚はむしろ鋭くなるぐらいだし、視覚は見え方が違いすぎるが、ある意味では高性能化する。

 味覚と嗅覚も、一応そういった感覚はあるらしい。――不死生物(アンデッド)が食べられるのは魔力だけなので、ある意味純粋で、余計な物を削ぎ落とされた味かもしれない。


 その中で唯一、鈍いとは言え、生前と近しい物を残すのが触覚だ。

 痛覚と呼べるものはないにせよ、身体に何かが触れたという感覚はある。


「……私は、『目覚めた時』、あまり自分の事を覚えておりませんでした。名前は引き継ぎましたが、連れ合いのような者もおらず、すんなりと"第四軍"へ」


 よくあるパターンの一つだ。

 記憶をどれだけ引き継ぐかは人による。――何もかも忘れている事も、珍しくはない。


「ただ、それでも覚えている事はあるものですね。日々の忙しさで忘れていた、昔の望みを……終戦と、それからの魔王軍への所属義務の消滅を切っ掛けに、思い出したのです」


「……どんな?」



「違う土地を、見てみたかった……」



 懐かしむように目を細めるアイリスさん。


「……死後に夢が叶うというのも、不思議なものです。"第四軍"では"荒れ地(バッドランズ)"内の輸送任務が中心でしたが……終戦後、退役前には、開拓村の事前調査に御者として参加しました」


 それは、ベテランの仕事だ。

 不死生物(アンデッド)の馬の強化に、ペース配分。もちろん、道を覚えていなくては話にならないし、天候を読む技術も大事だ。


 さらに、見知らぬ土地を馬車で行くとなれば、多くを今までの経験で補正する必要がある。


「経験を買われて、今の仕事に誘われたのです。まだ、山向こうへはあまり行けておりませんが、全国を巡っております」


「ベテランなんですね」

「ええ……まあ、長く御者をしておりましたから。でも、私などまだまだです」


 奥ゆかしい。

 ただの遠慮というのでもなく、本当に、そう思っているらしかった。


「……喋りすぎたでしょうか」

「いいえ、そんな事は」


 軽く手を振って否定する。



「そう言って頂けると幸いです。……不思議ですね。今までは、あまりお客様と踏み込んだ話をする事はなかったのですが……」



 どこか不思議そうに、口元に手を当てるアイリスさん。


「マスターは、お風呂では無礼講という主義ですから」

「仲良くなるには一緒に入浴って信条の持ち主だから」


 私の事をよく分かっているリズとブリジット。


 アイリスさんが、くすくすと笑った。


 私も、ちょっと笑う。

 いつも立場を背負っていては、胃に穴が空く。

 それでも、背負わねばならぬものがあるとしても……せめて、お風呂ぐらいは。


 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"時代の事を、ふと思い返す。


 私が、一人だった時だ。


 本当に、初期の頃。

 私の部屋は、本当にただの執務部屋で。

 まだ、仕事の合間に、裏庭で壁に背をもたせかけてぼんやりする私のそばに、黒妖犬(バーゲスト)は寄ってこなくて。


 リズは、仕事に関する事ならばあらゆる要望を聞いてくれた。

 でも、仕事以外の事はそうでもなくて……私はまだ、うまく甘えられずにいた。

 

 最初、一緒に食事をする事を断られてから、私は臆病になっていた。


 リズにしてみれば、自分は副官であり、メイドであり……そういう立場を望まれたのだから、と、彼女なりに忠実に、メイドを演じていたのだ。

 特に彼女にとって身近なメイドは、軍所属の下働きで、普通、食事の席を共にする事はない。


 けれど私にしてみれば、知らない国で、あまり馴染みのない味付けの食事を、広い食堂の長机で一人ぽつんと取るのは……寂しい以外に言いようがなかった。


 格式のある、他よりも少し豪華で、座り心地も、品もいい椅子。

 でも、その上座に、何の意味があるだろう。


 私は、一人だったのに。


 お風呂だって、そうだ。

 総大理石の豪華で広い――広すぎる――湯船いっぱいに広がるのは、うぞうぞとうごめく、黄緑色の何か。


 ……それでも温かいウーズは、温かいお湯と同じく、心をほぐしてくれた。

 慣れると、他よりはマシだった。


 お風呂の方が、一人の時間という感じがしたから。


 ……昔より、ずいぶんと人恋しくなった気がする。

 途中から不死生物(アンデッド)になったとは言え、いい大人なのに。


 ……大人だから、自分一人では埋められない隙間を、思い知らされているのかもしれない。


 そっと、水面下の手を、ウーズをかき分けながらゆっくりと伸ばし、リズの手に触れた。

 リズがちょっと眉を上げ……そして微笑んで、手を握ってくれる。



「……それでは、私はこれで。先に上がらせていただきます」



 アイリスさんが一礼して湯船から上がる。

 その姿を見送った後、リズと手を繋いだままブリジットの方を見ると……彼女は笑って、手を重ねてきた。


「ブリジット」

「両手に花だろ?」


「……うん」


 私は、素敵なお嫁さんとお義姉(ねえ)ちゃんを持った。


 一瞬、姉妹丼という言葉が頭をよぎったのは、内緒だ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 猫はお風呂嫌いと聞きますし、獣人の方々も割りと個人差で風呂に入る頻度が異なると言っていたけれど、黒猫獣人死霊のアイリスさんは風呂好きなんですねぇ。 ええこと。 「違う土地を見たい」と言う…
[気になる点] そろそろ曇らせてくれ。病と毒の王が日本にいたころの人格を取り戻すんだけど、人類の虐殺なんかに耐えられる精神なんてしてるわけなかった的な。私はデイジーなんて名前じゃない!みたいなセリフあ…
[良い点] 相変わらず幸せそうで何より [一言] 自分の嫁と義姉を見て姉妹丼は最低だぞ…。 いや、以外とそういうもんなのか?
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