似た者姉妹
二頭の骸骨馬が繋がれた馬車の前で、私は御者さんに挨拶した。
「今回はよろしくお願いします」
「はい……どうぞよしなに……」
御者は、線の細い女の人だ。種族は、死霊。
透けた姿が骨ではないのは乙女心かもしれない。黒髪で、肌が白いあたり生前の種族は獣人らしいが、獣耳は、フードの上あたりがわずかに膨らんでいるだけで見えなかった。
少しオーバーサイズに見える深紫のローブはゆったりしていて、耳を覆い隠している。
髪の色と体型に、ちょっと親近感を覚えた。
深紫のフード付きローブは、死霊達が多く着ている。
――昔の、死装束だったという話だ。
かつてリストレアが建国される前から、この土地に住んでいた獣人の部族の風習が広まったという。
安い物は食用でない果実。高い物は花の汁で染められた、死者への手向け。
最後に貰った物であり――最初に貰った物。
戦時中……特に六回あったリタルサイド防衛戦の際は、とてもそれだけの数を用意出来ず、廃れた風習だ。
少し形を変えて、かつてそれを染めたような紫色の花が、墓に手向けられるようになっていると聞く。
なので、花屋の店先で、紫色の花だけでまとめられた花束を見ると、ふと哀悼の念が胸に湧くようになった。
私にとっては黄色い菊の花が仏花の定番だった。
色んな事が、書き換わっていく。
自分が着る服も、見かける服も。定番のご飯も。家も……何もかも。
私がいた、日本とは違うのだ。
まあ、西洋建築も多かったように思うし。
お腹周りが楽なゆったりした服は割と向こうの服と似てるし、ご飯も結構馴染みの味。
米の飯や醤油や味噌が恋しくなる事もあるが、それも慣れるものだ。
時間は、ゆっくりと全てを押し流していく。
何より、リズが作ってくれるご飯だ。メイドさん――さらに恋人、後に夫婦――が作ってくれるという、それだけでなんか胸が一杯。
私がこの世界に来たばかりの頃、ガナルカン砦の一室で食べたご飯は……美味しかった。
ブリジットが、衰弱していた私に気を遣って、グレードを上げてくれたのもあるだろうけど……なるべく、一緒に食べるようにしてくれたから。
……その後、王城で軟禁中に出された食事は、もっとグレードが上がったのに。
それまでと、それからのご飯とは、比べ物にならなかった。
馬車に乗り込む。
軍で使われている物より、客車が少し小型だが、距離が近いのもいいものだ。
座席には柔らかいクッションが張られ、シートもカーテンも清潔で、気遣いもしっかりしている。
私とリズがそれぞれ向かい合わせで座り……ブリジットは一瞬迷った様子を見せ、リズの隣に座った。
そして背もたれに背を預け、息をつく。
「……座ると、ほっとするな」
「あー。一日の帰りに、電車に座れた時みたいな」
「でんしゃ?」
「……ごめん。私の世界の乗り物だよ。こう……馬なしで、馬車が繋がったような」
つい記憶に頼ってあるある話をしようとすると、当然ながら伝わらない。
戦時中はそれなりに気を遣っていたつもりだったが、気が緩んでいるようだ。
気を遣った結果、私はリズに向けて害のない物を面白おかしく脚色して教えたので、多分彼女は私の世界の一部を……かなり誤解していると思う。
「……え、馬なしで?」
「馬車が繋がったような……?」
ブリジットとリズが、揃って眉をひそめる。
特にリズのは、ちょっと懐かしい反応。
私は聞いた。
「トロッコ……ってあったっけ?」
「ありますよ。……鉱山で使われる、レールの上を走る荷車みたいなやつを指しているなら、ですが」
「うん。そんな感じで、平地の上に敷かれたレールの上を走るの」
「……マスターの世界、そんなのが当たり前に普及してるんですか?」
「え、鉱山内の短距離じゃなくて……平地の長距離にレールを敷いてるのか? そんなのすぐに壊されるだろ」
「平和な時は問題ないよ。戦時中は……無傷で確保しようとしたり、逆に壊そうとしたり、色々あったみたいだけど」
モノレールとか新幹線とかリニアモーターカーとか列車砲とか、そういう話はしない事にする。
魔獣種のいるリストレアの事。決まった線路しか走れない電車は不利な所もあるが、逆に魔獣種の生息地を避けて線路を通す事も出来るかもしれない。
元々魔王軍は集落と国境の防衛……『定点の防御』に特化してきた歴史がある。
レベッカも興味を持っていたし、いつかリストレアの大地を、電車が走る日が来るかもしれない。
馬車がゆっくりと動き出す。
ブリジットが、躊躇いがちに聞いた。
「……元の世界が懐かしかったり、するか?」
「そりゃあね。家族もいたし」
軽く頷く。
そして、安心させるように微笑んだ。
「――でも、こっちで家族が、出来たから」
そして両手を伸ばして、斜め前に座るブリジットの耳に触れた。
不安もあった。怖い事もある。
今だって、全部なくなった訳ではない。……幸せになればなるほど、それを失う事を想像したら、不安になるし、怖い。
それでも。
私はこの世界で、力を得た。
もう、誰にも、何も、奪わせない。
そして……もし、それでも戦わなければならない時が来れば、きっと、一緒に戦ってくれる人がいる。
「……そうか」
ブリジットが笑った。
「――……で、なんで私の耳を揉むんだ?」
「私の世界、ダークエルフいなかったから。この国に来て良かった事のひとつ」
エルフ耳のひとを見て……その長い笹の葉のような耳に触れる度に、しみじみと幸せを噛み締める。
ブリジットは、目を細めた。
「ひとつ……か」
「うん」
彼女が、自分の耳に触れている、私の手に自分の手を重ねて包み込む。
「その中のひとつに、私が入ってるなら、嬉しいよ」
私は、思わずリズを見た。
「……リズ。お姉ちゃんの言葉が心臓に悪いのなんとかして」
「私にはどうしようもないですよ。似た者姉妹ですね」
「うん。リズもブリジットも、私の心臓を握り潰しに来てるよね」
リズがジト目になる。
「いや、マスターと姉様を似た者姉妹って言ったんですけどね?」
私とブリジットは、生まれも、育ちも、種族さえも違うのに。
それでも。
「…………」
「…………」
私とブリジットは、顔を見合わせると、苦笑した。