お詫びとお礼
ヘーゼリッタのチェックアウト前に、彼女とハルが話す機会を設けた。
場所は、応接室も兼ねた控え室の一つで、私とリズ、それにディアナも一緒だ。
ハルが、向き合った彼女に頭を下げる。
「ヘーゼリッタ。……ごめん、ね。今まで」
「いいえ、わたくしこそ……」
記憶が――完全ではないかもしれないが――戻った事だけは、伝えている。
後、誰も怒ってはいないとも。
「……ハールーシェ。ハルって、呼んだ方がいいかしら?」
「……私は、リタル温泉のメイドのハル。でもヘーゼリッタなら……ハールーシェって、呼んでもいい」
「そう。……ありがと」
ヘーゼリッタが笑う。
「……わたくし、ね。ハールーシェが暗黒騎士に戻らなくても……いいですわ」
「……見限った?」
「怒りますわよ?」
「ごめんなさい……」
うなだれるハルに、ヘーゼリッタが苦笑する。
「……やっぱり変わりましたわね。でも、十年ですものね」
「……ここに来るまで何をしてたかも、よく分からないけど」
「ここの環境が、良かったのでしょうね」
「そう、かも」
彼女は、私達に向き直り、両手を揃えて頭を下げた。
「……みなさん、ご迷惑をお掛けしました。ハールーシェを……『ハル』を、よろしくお願いします」
「もちろん」
「ええ、安心して下さい」
私とリズは力強く頷いた。
「……はい」
「よろしくされた」
ディアナと――最後はハルだ。
私は彼女を見た。
「……ハル? それ本人が言う物じゃなくない?」
「そうだった? ……私、ちょっと記憶ないから」
……意外と今までの『ハル』も、素の性格に近かった可能性。
「ヘーゼリッタ、元気でね。……冬のお休みには、リタルサイド、行くから」
「え?」
「……案内、して。もう……瓦礫の山じゃ、ないんだよね」
「ええ。……復興も、進みましたわよ。瓦礫の撤去、人手が足りなくて大変だったんですから」
「う……ごめん」
「全く。来たら覚悟する事ね。みんなに奢られますわよ」
ハルが首を傾げる。
「……『奢らされる』じゃなくて?」
「誰が、大変だった戦友からむしり取るもんですか。大人しく奢られなさい」
「……ん」
ハルが、ちょっと笑って頷いた。
まだぎこちないが、それでも彼女に笑顔が戻りつつある事は、素直に喜ばしい。
「お詫び……と、お礼」
「いいですわよ、そんな――のっ!?」
ハルが、ヘーゼリッタを抱きしめて、頬にキスをした。
「……え、あ、あの。今の」
ヘーゼリッタが、頬を染めて硬直する。
「……お詫びと、お礼」
ハルが繰り返す。
「い、いや。こういうのは」
ハルが身を離し、私を見た。
「……支配人? 女の子同士なら、友達なら抱きしめるのは普通で、親しかったら挨拶はほっぺにキスで、大好きならそういうの沢山するべきって」
「待ってハル。私に矛先向けないで」
全員から、じっと視線を注がれる。
「……純真なハールーシェに、一体何を教え込みましたの? ……事と次第によっては、斬り捨てますわよ」
ヘーゼリッタに、ぎろりと睨まれる。
帯剣はしていないのに、さすが暗黒騎士だ。並の眼力ではない。
手を上げろとは言われていないのだが、両手を上げて戦意がない事を示した。
「……嘘は言ってない、よ?」
「嘘おっしゃい! 友達を抱きしめるなんて普通しないし、余程親しくないと頬にキスなんてしないし、大好きならって……それはもう恋人でしょう!?」
「いや、それは解釈の違いだと思う」
そこは譲れない。
「……私、ヘーゼリッタと親しく……なかった?」
「え、いや。それは……そのー」
返事に詰まる彼女を置いて、ハルは私を見た。
「支配人は……よくしてるから」
「……へえ」
温度が下がる。
先程の視線も鋭かったが、今の氷のような冷たさの比ではない。
「逃げ場のない立地の温泉宿に、事情を持った好みの女の子を集めて、立場を利用して侍らせてハーレム気取り……かしら?」
人聞きが悪すぎる。
「……待って。誤解だよ。接客を任せてるからメイドさんが目立つけど、普通に男性従業員もいるから。ハルがどう解釈したのか分からないけど、私が沢山そうするのはリズだけだから」
「リズ?」
「私ですよ」
「うん。夫婦だから」
かたわらのリズを軽く引き寄せて、頬にそっとくちづけた。
リズが微笑む。
「大丈夫ですよ。もしもマスターがそんな事したら……ね?」
私は今までこんなに怖い「ね?」を聞いた事がない。
多分、続く言葉は、「あなたを殺して私も死ぬ」あたり。
ヘーゼリッタは、勢いに気圧されて頷いた。
「あ、はい。……え、人前で? いつも?」
「人前だから自重してる方。後、普通お客様の前ではしないけど」
視線の冷たさはなくなったが、呆れが含まれるようになった。
「文化が違いますわね」
「個人の解釈レベルだよ」
「ええー……?」
疑いの込められた、湿度の高い視線。
しばらくそうしていたが、彼女は一つため息をつくと、真面目な顔になった。
気にしない事にしたらしい。
ディアナが一歩進み出た。
「……あの、昨日は……ごめんなさい。わたし、あの……首、大丈夫ですか」
頭を下げて謝った後、しどもどろになる。
自分が絞めた首がどうにかなっていないかと聞きたいのは分かる。
ヘーゼリッタにも伝わったようで、彼女は安心させるように微笑んだ。
「ええ。跡も残ってませんわ」
ディアナが、ほっとした顔になる。
「あなたが、ディアナさんなのですね。現在のリストレアで唯一の、軍隊経験のないデーモンだと。……勇気付けられている者も、多いのですよ」
「……え? わたし……何も」
ディアナが、ふるふると頭を振った。
そんな彼女に、ヘーゼリッタが続ける。
「――進むべき道が、生まれでは、決まらないと。種族は大きい要素ではあっても、自分の進みたい道を選んでいいのだと」
「……わたし、そんな立派な気持ちじゃ……」
「悪魔が、温泉宿でメイドをやろうと言うのです。何か切っ掛けがあったのでしょう。――胸を張りなさい。あなたは自分の道を選んで、進んでいるのですから」
ディアナがはにかんだ。
「……はい。でも、全部そこの支配人さんのおかげです」
ディアナが、手で私を示した。
ヘーゼリッタが、怪訝そうな顔で私を見る。
「……え、あなたは、メイド長とかではないので?」
「その響きも悪くないけど。ハルとディアナが呼んでたの聞いてなかった? 私はリタル温泉の支配人で、こう見えても総責任者だよ」
『総支配人』は別にいるが、まあそれはさておき。
「……あなたが、ここで一番偉いんですの?」
「こう見えても、ここで一番偉いんだよ」
「…………」
曖昧に微笑んで黙り込むヘーゼリッタ。
やはり、気にしない事にしたらしく、表情を引き締める。
その直後、ハルに腕を掴まれてうろたえた。
「な、なんですの。ハールーシェ」
「ヘーゼリッタも、キスして?」
さっと緊張が走る。
なんて天然系小悪魔だ。
――もしかして全部分かって言ってて、狼狽するヘーゼリッタや、どう反応すればいいのかさえ分かっていないディアナの反応を見て、楽しんでいるのではないだろうかと思うぐらいだった。
でも、そういう訳ではなかったらしく、ハルはむしろ戸惑い顔になった。
これが演技なら、今すぐ"蛇の舌"で、主演女優を張れる。
考えてみれば、ハルは、ヘーゼリッタが語る言葉によれば、息抜きが下手で、鍛錬に時間を使うようなタイプだったと言う。
多分、入軍可能な年齢に達したと同時に志願して、騎士を目指し、努力し続けたのだ。
……軍内の常識の中で。
ある意味では、純粋培養の箱入りお嬢様とも言える。
ちら、とリズを見た。
「……なんですか、マスター」
「いや。ちょっと昔を思い出して懐かしくなって」
魔王軍におけるリズは、その軍歴のほとんどを暗殺者として過ごしてきた。
最初は"第二軍"だった事は間違いないので、もしかしたら――リズが"第二軍"の暗黒騎士になる未来も、あったかもしれない。
……そうなっていれば、多分私の元に来る事は、なかっただろう。
そしたら、この天然物の悪女さんに振り回される事は、なかった。
今となっては、いい思い出だ。
――当事者となっている時は、そんなほのぼのした気分ではいられないけれど。
ヘーゼリッタとディアナが視線を交わすが、果たして今、目と目でどういう会話がされているものか。
本人達にも分かっていないような気がする。
ハルが痺れを切らして、ヘーゼリッタの腕を掴んで引き寄せた。
ハルは強引な所がある。……多分、暗黒騎士だった頃から、なのだろう。
意志が弱くて務まる職業ではないのだ。
ヘーゼリッタが観念したように息をつく。
そして、ハルの腰を軽く引き寄せて、頬に軽くキスをした。
「元気でいなさい」
「ん」
ハルが満足げに頷いて……ヘーゼリッタは苦笑した。