二度目の選択
ハルが、私と話をしたいと言った時、私はとりあえず安心した。
昨日、顔を歪ませて泣き崩れたハルは、そこにはいなかったから。
「……支配人」
でも……いつものハルとは、少し違った。
目に……生気がある。
相変わらず、そんなに眼力はなくて、耳も下がっているけれど。
「……記憶は、戻ったのかな」
「……ん。全部じゃ、ないかもしれないけど」
それは、誰にも分からない事かもしれない。
そしてハルは、単刀直入に切り出した。
「私に、お休みを下さい。暗黒騎士団に行きたい」
「……そう。分かった。それが、ハルの選択なら」
私は、頷いた。
私には、支配人としての責任がある。
……でも、縛るつもりはないのだ。
皆には、それぞれの人生がある。
ここは、その一時を過ごす選択肢の一つ。
それでも。
「寂しく……なるね」
「……支配人はメンタルが弱い」
呆れ顔のハル。
確かに、言うべきではなかったかもしれないけれど。
――ああ、この子は、もう守られるべき存在ではないのだ。
最初に顔を合わせた時の事が思い出される。
部屋で一人きりで、羊のぬいぐるみを手に、ぼんやりと宙を見つめていた彼女は、もういない。
私は、彼女に何か出来たのかな。
私は、寂しい気持ちを押さえると、支配人として、なるべく粛々と手続きを進める事にした。
「このシーズンは……いてくれるかな。それとも、次の便で?」
ふもととリタル温泉を結んで運行しているリベリットシープ便は、お客様と、生鮮品を中心とした食糧を運んでいる。
ただ、一応休暇を申請すれば、下山する事も出来る。
ふもとも賑やかになりつつあるとは言え、まだ遊ぶ所なんかは少ないのでちゃんと使った人がいない制度だが。
テストを兼ねて、抽選で何人かを選んで、休暇を渡して下山させてみたら……「温泉宿から温泉地へ行く意味が分からない」と言われた。
もっともすぎる。
従業員として働くのと、客として利用するのは違うだろうが。
温泉宿の最大の売りの温泉に、新鮮味が皆無というのは致命的な問題だった。
ハルは、淡々と答えた。
「もちろん、シーズン終わりまでは働く。当然」
「そう。じゃあ……その後、だね」
リタル温泉のシーズンオフに、ハルは山を下りる。
そして、もう戻らない――
「うん、今年のシーズンオフは下山組で」
……訳じゃないのかな?
「……ねえ、ハル。もしかして私、誤解してる?」
「……支配人が誤解してるかどうかとか、分からない」
真顔で答えるハル。
「うん、ごめんね。そうだね。……ええと、暗黒騎士として"第二軍"に戻るって話……してた?」
ハルは、ふるふると首を横に振って、明確に否定した。
「してない」
「……つまり?」
「先の事は、分からないけど。でも、とりあえず……仲間達と会って、話が、したくて」
仲間達と。
苦楽を共にし……死線を共にくぐり抜けた、戦友達と。
また、会えるなら。
……それはもちろん、会いたいだろう。
「帰ってきたよ、って」
ハルの耳が、ちょっと上がる。
初めて、だ。
いつも、彼女の長いダークエルフの耳は、下がりっぱなしだった。
ダークエルフの――エルフの――耳が下がるのは、リラックスしている時か……気分が落ち込んでいる時。
リズとレベッカ、それにブリジットの耳をよく観察している私でさえ、耳だけで区別出来るかというと、自信がない。
リラックスしている時と落ち込んでいる時は、耳以外も違うのが普通だから、普段は問題にならないけれど。
ハルの場合は、記憶の欠落と共に、感情そのものが平坦になっていた影響もあったので、区別が付かない。
常時下がっているため、普段より下がっているからいつもと違う……という風に、判断出来ないのだ。
その、ハルの耳が。
上がっている。
そして、ゆっくりと口元が緩められた。
「……でも、私は、リタル温泉のメイドの……ハルだから」
ハルの笑顔を見るのも、初めてだった。
「……ありがとう、ハル。そう言ってくれると、嬉しいよ」
「……ん」
ハルがはにかみながら、少しだけ首を下げて、頭を差し出してくる。
――ある程度の、記憶を取り戻しても。
まだ、そうしてくれるのが嬉しくて。
私は、彼女の頭に手を置いて、優しく撫でた。