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病毒の王  作者: 水木あおい
EX
505/574

宝物のような思い出


 彼女――ヘーゼリッタは、背中を壁に付けたまま、ずるずると床にへたり込んで、片手で顔を覆った。

 呻き声が漏れる。


「……ごめんなさい。こんなつもりじゃ……ありませんでしたわ……」


「分かってるよ。……私にも、分かるんだ。寂しいよな。……戻ってきて、欲しいよな」

「……はい」


 リズや、レベッカや、サマルカンドや、ハーケン……苦楽を共にした仲間が。



 自分の事を忘れていたとしたら。



 ……彼女をただ責める事は、私には出来なかった。


「お茶でも飲もうか」


 私が手を差し伸べると、彼女は素直に手を取って、引き上げられるに任せて立ち上がった。


 そこへ、騒ぎを聞きつけたらしいリズがやってくる。


「マスター。ええと……手伝える事、あります?」

「ハルとディアナは早退扱いにしといて。部屋にいる。私は少し彼女と話をしてくる。悪いけど……」


「はい、シフト組み直しておきます。詳しい話は、後でいいですよ」

「助かる」


 さすがリズだ。




 休憩用の一室に彼女を招き入れた。

 小さな部屋だが、テーブルが一つと椅子が二つがあって、仕事の合間に一人――あるいは二人――になれるスペースだ。


 途中、給湯室でお茶もティーポットごと貰って来た。

 しばらく、お互いに無言でお茶を飲み……落ち着いたのか、彼女はぽつぽつと話し始めた。



「……ハールーシェは、暗黒騎士団の中でも、信頼されてました」



 ブリジットから、少しだけ聞いている。

 私が多くを聞いていたら、ハルの負担になるかもしれないとの事で、あまり深くは聞いていない。


 騎士団長を筆頭に、同僚からの信頼も厚い暗黒騎士――それが、私の知っているハールーシェ・リーンフェストの全てだ。


 ブリジットは「お前なら大丈夫だとは思うけどな」と言ってくれたが、確かにイメージを押しつけてしまう事はしたくなかった。

 それだけ知っていれば、十分だ。


「剣技はもちろん。……すごく真面目なのです。サボった事なんて、一度もない。まるで、自分を強くする事しか、興味ないみたいでしたわ」


「ハルも……そうだね。サボった事は、一度もない」


 そう言うと、彼女は自分が褒められたみたいに、嬉しそうな顔で頷いた。



「あんまり何を考えてるか分からなくて……でも、ハールーシェがブリングジット様に言われた事があるんです。『非番の日は身体を休めろ。訓練は休養を前提に予定が組まれている。非番の日はきっちり休め、それも仕事だ』……って」



 部下への気遣いを忘れないブリジットらしい。

 同時に、共に戦列を築く部下に、最高のパフォーマンスを要求する、暗黒騎士団の長らしい言葉でもあった。


 ブリジットは、人気の高い暗黒騎士団長だ。


 しかし、彼女の訓練が厳しいという点では、全員が意見を一致させる。


「……ハールーシェは、休養日に何をすればいいか、分からないみたいだった」


 過去を懐かしむように、ヘーゼリッタは微笑んで、カップに口を付けた。

 そして喉をこくん、と鳴らした後、両手で持ったティーカップを見つめる。


 カップはもう、空っぽだった。



「……わたくしも。息抜き、下手で。ブリングジット様は多分、わたくしにも言ってて」



 ……もしかしたら、ブリジットは自分自身にも言っていたかもしれない。

 息抜きが下手なのは、お義姉ちゃんの悪い所だ。


「だから、一緒に。下手なりに、一緒に街を歩いてみたり、外で食事をしてみたり……」


 彼女が、ぽつぽつと、話していく。

 光景が、目に浮かぶようだった。


 リタルサイドの街を、非番の暗黒騎士が二人、鎧を脱いで……久しぶりに訓練から解放されたオフを、むしろ戸惑うようにしながら。


「最初はどこかこう……罪悪感みたいなものがあって。でも、楽しかったのです。……本当に楽し、かった」


 それでも、親友と――戦友と肩を並べて。

 不器用なりに、精一杯楽しんで。



「リタルサイドで、彼女と一緒に過ごした時間は、わたくしにとって宝物だった……」



 ヘーゼリッタは、それを愛おしむようにそっと語った。


 それはもう、戻らない時間。


「それが、戦争が始まる前の……仮初めの平和だって、分かっていました。わたくし達は、その時のために、たゆまず自分達を高める事を誓ったのです」


 彼女達は、職業軍人だ。

 志願者で構成されるため、魔王軍の士気は高い。


「……"第七次"の時……わたくしとハールーシェは、ようやくその時が来たって、思いましたわ。あれが、わたくし達にとって……本当の『初陣』でした……」


 そして、人間基準で言えば、その全てが長命種で構成されるため、全体の練度も高い。

 教官の層も、分厚いのだ。


 ……けれど、誰にでも初陣がある。


「……"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様は、イトリアは知っていても……リタルサイドと、それからの撤退戦はご存知ありませんよね」


「……そうなる」


 私はその時、人間の支配領域にいた。

 カタパルトによる攻撃の報を――ブリジットが行方不明になった知らせを受けて、私達は『攻勢』に出た。


 それを支えたのは、本国防衛を担った、"第二軍"を中心とするリタルサイド駐留軍だ。


「……ブリングジット様が負傷するなんて、思わなかった。私だって、一対一で負けるつもりはなかった。でも……数が、違いすぎた……」


 ダークエルフは、人間よりも魔力量が多い。

 寿命も長く、たゆまず鍛え上げられた剣技もまた、一級品。個人の質の高さこそが、騎士団全体の質を高め、同数で戦えば負ける道理などない。


 しかし人間達は、ダークエルフよりはるかに多かった。

 それは人口と生殖サイクルの問題でしかない。ただ、それだけ。


 それだけの差が、戦場では暴力的な格差になる。



「沢山殺して……殺された……」



 彼女もまた、歴戦の猛者だ。

 間違いなく、戦争は彼女の心にも傷跡を残している。


「……わたくしは、今の彼女の事を……分かってなかったのですわね」


「……そうかも、しれないね」


 慎重に言葉を選びながら、同意した。


「ハールーシェの事は……分かってるつもりでしたのに」

「今は、『ハル』なんだ。みんな、そう呼んでる」


 彼女は頷いて……目を伏せた。


「ハールーシェは……誰の事も、分からなかった」


 それは、きっとあのイトリアの後の事。

 それぞれが、それぞれの戦後を迎えた。


「一命を取り留めて……それさえも、お医者様は奇跡だっておっしゃいましたわ。でも、わたくし達を誰も……覚えていませんでしたの」


 ヘーゼリッタは、苦い物を噛み締めるように端正な顔を歪めながら、その時の事を話した。


「それからしばらくしたら、面会も出来なくなって……その方がいいんだって。でも、顔を見たら」


 彼女の声に、嗚咽が混じる。



「ハールーシェと過ごした、楽しかった時間の事を思い出して……!」



「……辛かった、ね」

 私は、そっと手を伸ばして、彼女の手に触れた。

 ヘーゼリッタは、首を横に振る。


「辛かったのは、ハールーシェです。わたくしでは……ありませんわ」


「ヘーゼリッタも、だよ」


 感じ方の違いだ。ハルが心を壊したのは彼女が弱いからではないし、ヘーゼリッタが普通に生活出来ているのも彼女が冷たいとかではない。


「でも、『ハル』も、『ハールーシェ』なんだ。暗黒騎士じゃなくても……変わっても。彼女なんだ。それだけは……分かって欲しい」


「……はい」


 彼女は、力なく笑った。

 その頬を、一筋の涙が伝う。



「わたくしは……ハールーシェの、ともだち、ですもの」



 ヘーゼリッタは私の手から、そっと自分の手を引き抜いた。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 忘れたことで相手を傷付けてしまったことに苦い思いを抱くハル、忘れるだけでは救われぬ辛さがありますね
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