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病毒の王  作者: 水木あおい
EX
504/574

過去との邂逅


 私は、ヘマをした。


 それは、事前に分からない事だった。

 それは、どうしようもない偶然だった。


 けれど、やらかした。


 波打つ銀髪を腰まで伸ばしたダークエルフの女性が、ハルを見て、目を見開いて――『名前』を呼んだ。



「……ハールーシェ?」



「……私を、知ってるの?」


 ハルが首を傾げる。


「もちろんですわよ! ……まだ、治ってはいないのですね」


 彼女は強く肯定し……一転、表情を暗く、痛ましげな物に変えた。



「わたくしはヘーゼリッタ。"第二軍"暗黒騎士団の騎士です。……あなたとは、同期で、同じ部隊で……リタルサイドでは、隣室でしたわ」



 お客様の一人が――オフの暗黒騎士で、ハルと鉢合わせる、とは。


 今は、部屋が予約で全部埋まる事もあるぐらいになった。

 しかし、営業開始後まもなくは、無理のない範囲でツテに頼っていた。


 紹介状を持っていれば割り引きされる制度も、その一つ。

 前シーズンに適用されたキャンペーンで……別に軍人しか知り合いがいないという事もないのだが、元最高幹部が経営する宿だけあって、割り引きを利用したのは軍人さんが多かった。


 今は、もうやっていない。

 だから、来る人が軍人かどうかは――まして、その所属など、分からない。


 それも、ただの顔見知りを超えて、思った以上に近い間柄だった。

 止めるべきか迷った瞬間に、ハルが聞いた。



「私が、どんなだったか、教えて」



「……! はい! 誰よりも努力家でしたわ。ブリングジット様に憧れて――あの人に憧れなかった暗黒騎士なんておりませんけど……その憧れを現実にすべく、剣の腕を磨いていました。皆の信頼も厚く……正に、理想の騎士を体現したような人でした」


「……私、が?」

 ハルが戸惑う。


「私……そんなん、じゃ」


 彼女――ヘーゼリッタが、ハルの手を包み込むように握り、優しく微笑む。


「いいえ、ハールーシェ。あなたが忘れても、わたくし達は忘れませんわ。ブリングジット様と共に、カタパルトを壊して城壁を守り、続く撤退戦も、あのイトリアも……二人で、生き延びた」


「……イト……リア?」


「わたくし達は二人揃って、生きている方が不思議だと言われましたのよ? ブリングジット様を一人にさせまいと、前へ出るあなたと共に、わたくし達も――……いえ、よしましょう。戦場の話は」


 ほっとする。

 ヘーゼリッタが、柔らかい声で続けた。


「ハールーシェ。前より随分と、顔色が良くなりましたね。記憶もいずれ、戻りますわ。皆も、そう望んでいます」

「……みんな?」



「ええ。――共に誓った皆が、あなたの回復を心から願っています」



 それを聞いていたハルの表情に変化があった。


「……誓いを」


 ぽつりと呟く。


「民を守るために、剣を取る事を、誓う」


「ハル?」

「ハールーシェ」


 私達二人が、それぞれに彼女の名前を呼ぶ。


「たゆまず、自らを高め続ける事を、誓う」


 ハルが、私の知らない顔をした。

 ヘーゼリッタが、顔をぱあっと明るくする。


 ハルの目に、光が戻った。

 こころなしか、顔も引き締まって。

 どこか馴染みのある、凜とした雰囲気をまとう。


 そう。よく知っている彼女――暗黒騎士団長であるブリジットに、似ていた。


 鎧を身にまとい、剣を握り、戦場で果てる覚悟を胸に秘め。


 それでも、まっすぐに前を向いていた。


 仲間と共に。

 未来のために。


 守るべき物のために。



「共に剣を取った……なかま、と。共、に――?」



 ハルが、左右を見た。

 そして、後ろを。壁しかないのに。


 誰もいない。いるはずがない。


 ここは、リタルサイドじゃない。

 そうだったとして――きっと彼女が、探し求めたのは。


 さっと動いた視線からして、それは一人や二人ではなかった。

 百……いや、もっと?


 私には、彼女の気持ちが分かる。分かってしまう。

 "病毒の騎士団オーダー・オブ・ディジーズ"の名は、正式な物ではない。噂に呼ばれ、気に入った本人達が、最終決戦の際に名乗り……伝説となって語り継がれる名前だ。


 ハーケンを筆頭に十三人が生き残り、今はその十三人を示す呼び名として使われている。


 でも、違うのだ。

 もっと、いた。


 六百を数えた、騎士達。


 私を信じなければ、もしかしたら。

 私が、あんな命令を下さなければ。


 命じられなければ、志願するつもりだったと笑いながら言った死霊騎士の一人は――もういない。


 沢山の仲間と共に、先に逝った。



「っ……あっ……」



 ハルの表情が、くしゃりと歪んだ。


 目端に涙が滲み、すぐに決壊したように溢れ出す。

 ぼたぼたと流れる涙をぬぐう事もせずに、彼女は頭を押さえて、うずくまった。


 私がハルに手を伸ばした瞬間、後ろから彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。



「――ハル!?」



 振り向くと、ディアナが血相を変えて駆け寄ってくる所だった。


「ハル。……ハル!」


 ディアナが膝を突いて彼女の肩を抱いて名前を呼ぶが、ハルは声も上げずに泣き続け、かすかに嗚咽だけが聞こえる。


「……わたくしの、せい? わたくしが……ハールーシェを……?」


 呆然として呟くヘーゼリッタを、ディアナが、きっと睨み付けた。


「お前……! お前が、ハルを――!?」


 ディアナの目が、怒りに赤く染まった。

 ゆらりと、淡くほどけるように、姿が揺らぐ。


 二足歩行なのは変わらないが、それは最早、獣だった。

 ディアナが着ていたメイド服も消えている。


 サマルカンドが直立した黒山羊なら、彼女は羊に似ていた。

 人型の時と同じ巻き角と、黒いふわふわの毛をした――けれど、凶悪な姿。


 悪魔(デーモン)


 生まれたてのひよっこも同然で、上位(グレーター)とはとても呼べないにせよ、それでもなおダークエルフの平均を凌駕する魔力に、比べ物にならない筋力を併せ持つ、規格外の種族。

 ディアナが、蹄になった足で床を踏みしめて、一段と太さを増した腕でヘーゼリッタの首を掴んだ。


「わたくし、は……」

 呆然としたまま、抵抗しない彼女の首を、ディアナの手が絞める――



「ディアナ、やめろ」



 ……のを、私が止めた。

 彼女の太い手首を掴んで制止する。


「こいつ……こいつは! ハルを傷付けたんでしょ!?」


 ディアナが、低く変わった声で、けれど変わらない口調で叫ぶ。

 その理屈は幼いが、同時に本質を捉えていた。


 ――でも。


「だったら、『どうする?』」


 真紅に染まった、横三日月の羊の瞳を、私は睨んだ。

 ぐい、と捻ってディアナの手を、ヘーゼリッタの首から外す。

 彼女は咳き込んだが、そのまま立ちつくしていた。


 ディアナの目に宿る赤い光が、瞬くように揺れる。


「……『どうする』……?」


「首を絞めたら……ひとは死ぬぞ? ディアナ。戦闘訓練をしていないとは言え、君は悪魔(デーモン)だ」


「…………でも、こいつは、ハルを」

「ディアナ」


 私は、彼女の手を、私自身の首に持っていった。

 そして、指を掛けて……上から力を加えて、絞めさせた。


「支配人さん!?」


「……この状態……だと、苦しい……な」


 上位死霊(グレーターレイス)としての特異性は、どちらかと言えば、人間なんて非力な存在を演算し、再現出来る所が大きい。

 私は普段『人間並み』を実現しているので、息が苦しい。


 実際、手足や臓器を失っても再現されるし、どこにダメージを受けようが関係ないと言えば関係ない。――どこも、危ないと言えば危ないのだ。


 本気で絞められたとしても、ディアナに殺される私ではないが、苦しい事は苦しかった。

 手を引こうとするディアナの手を掴んで、逃がさない。そのまま、ギリギリと自分の首を絞め――させ――る。


「わたし、こんなの……。やめ……やめて、下さい」


 悪魔(デーモン)の姿で、彼女はふるふると頭を横に振った。

 デーモンの変身は、ただ姿が少し変わるだけ。


 彼女の本質は、情に厚い女の子なのだ。


 私は少し手を緩め、息をする。

 しかしディアナの手は離さない。


「……『こうしたい』訳じゃないだろ」


「それ、は……。でも、わたし――」


「ハルを一人にしてまで、する事か?」


「……あ」


 彼女が、まだうずくまって泣いているハルを見た。

 一番最初に駆け寄ったのは、ディアナだったのに。


 今、ハルは一人で泣いていた。



「『それ』が必要なら――私がやる。でも……私はハルにとってのディアナには、なれないんだ」



 ハルは、私を慕ってくれている。

 他の従業員とも、そんなに悪い関係ではない。淡泊だが素直なため、結構可愛がられている。


 しかし……彼女が同室を希望したのは、ディアナ一人なのだ。


 その理由はハルによると、ディアナの抱き心地が一番ふわふわだったからだそうだが、それは今、言わない事にする。


 大切なのはきっと、始まりではないから。



「大切な物を、間違えるな。……そばにいてやれ。いつもの恰好で」



「……はい」


 ディアナが目を閉じると、しゅるりと揺らぐように、ゆっくりと変じていく。

 身長はあまり変わらず、けれど腕は細くなり、脚も蹄ではない。

 そして、ある意味全裸だった先の姿とは違い、メイド服だ。


 私は、手を離した。

 彼女は、そっと膝を突いて、寄り添うようにハルの肩を抱く。


「二人で、部屋に戻っていい。とりあえず今日はもう、他の事は気にせず休んでいいから」


「はい」


 お姫様抱っこの要領で、膝裏と背に手を回して、うずくまるハルをかかえこむように抱き上げるディアナ。


 私は、ヘーゼリッタをちらりと見る。


「……彼女とは、私が話をしておく」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 過去が突然やって来た時に、側に「今の」仲間が居てくれて良かった。 「マスター」も、流石の貫禄。完全に状況をコントロールして、一番安全なところに着地させた。 元最高幹部の名は伊達じゃない。…
[良い点] ディアナは7歳くらいでしたね、この子も心と体がアンバランスで、だからマスターは叱るのではなく、諭しているんだろうな そういう風に導くことができる大人はカッコイイ
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